『首狩り龍 Dragon the hed hunter』読了

 エイミ・タンの小説『私は生まれる見知らぬ大地で』邦訳訳者あとがきに、協力者として登場する、在日中国人作家さんの日本語作品三冊目。本書のプロフィールでは、NTT出版より自伝執筆中とのことでしたが、刊行未確認。これ以降の日本語作品はあるのかないのか。

首狩り龍

首狩り龍

 

 装幀/三浦かなえ

首狩り龍 (毎日新聞社): 2004|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

一作目の感想は下記。角川。野生時代掲載作品含む、大半書き下ろし。1996年。

『螢降る惑星ほし』読了 - Stantsiya_Iriya

二作目は下記。1998年。読売新聞社。書き下ろし。

『慟哭のリング rolling!jump!flash!』読了 - Stantsiya_Iriya

百度百科には、現在理事長をつとめられている日本語学校が載っていて、そこで見ると葉山青子さんという方で、でも百度では美国籍になってます。もともと少数民族出身とのことでしたので、学校の問い合わせフォームに、何族なのかと、育ったカブジ基地というのはどこの省なのか問い合わせましたが、返事はありません。多摩の学校みたいなので、また聞いてみようかと思います。分からないに100ペリカ

私は私見で、前の二冊も日本語ネイティヴとの合作じゃいかと考えてますが、本書も、頁168で、「好久没見了。再見面  非常高」という、誤植で言い逃れるにはあまりにアホな誤記があったりします。興"xing"が信"xin"。で、本書は、説明的な修飾などが、前二作に比べ、格段にレベルダウンしていて、ちょっと荒れ方がすごいです。もう文筆業を志すのをやめたのか、なんなのかの人の同人小説のような。

アマゾンやグーグルブックスの内容紹介

最終人間兵器と称され、空手の世界チャンピオンだった春日一輝は、試合で人を殺してしまい無為な日々を送っていた。ある日一輝は、少年の頃、軍人だった祖父に聞いた中国少数部族の「首狩り村」を訪れる。その村には祖父の柔道を受け継ぐ最後の戦士がいた。二人に芽生える友情。しかし、村を不幸のどん底に陥れる魔の手が伸びる。血で血を洗う凄絶な闘いが始まった…。古今東西の格闘技が炸裂するノンストップ・アクション長編。

格ゲーなのか、わざと打たせて、ハガネのような筋肉がビクともしないことが多過ぎると思います。そんなに頑丈になるわけがないと。前作までは中国武術も出るのですが、本作は格闘マニアっぽく、人民解放軍の散打になっています。この辺、書き手というかブレーンが交代したような気がします。長距離鉄道で、途中下車するとキップが前途無効になるから出稼ぎ工が高額チケット無駄に出来ず高熱の子がいても降りれない場面がありますが、電算化以後そうなったのかなあ。中国は広いので、キップ自体はその列車より有効日数が余裕持って蓄えられていて、途中下車する場合、何次の列車に乗り直すか駅で付箋を貼り直す手続きすれば、きっぷ自体は前途無効にならないはずだったですが、電算化以降変わったのかな。そのへん書いてほしかった。外国人はハードシート耐えられずハードシート無理で、硬座でなく軟座(本書頁60では軟硬座)に乗ると書いてあるのですが、2004年はもう列車もきれいだし空調も効いてるしで、だいたい最終人間兵器がなんでそんなことでダメになるんだよという。

作者も日本ボケしてたのか、途中で、もう出稼ぎが高額になった列車移動するわけないちうことで、長距離バス移動を出してきますが、80年代の中国グラスルーツ的な描写が出来た作者とは、別人のようです。中国で日本人はときどき、日本国籍取って里帰りした中国嫁日記みたいな人に、中国の悪いところや不便なところ、こんなことでダマされたとぶちまけられて愚痴の聞き役になることがありますが、そんな感じか。今の中国語の先生も、子どもは日本育ちで長財布とか無造作に尻ポケに入れてるので、中国では生きていけないだろうと言ってました。

かつての作者だったらありえないとまず思ったのが、前半の、やはり上海復旦大学とおぼしき大学の留学生ライフの場面。ハッパ蔓延はいいとして(よくないか)留学生が留学生だけで「部活」をやってるんですよ。大都市の留学生は、その大学の中国人の体育サークルに入らず、高卒私費留学生主体で日本の部活の延長線上で「部活」やってると、聞いたことはあったのですが、それがなんの疑問もなく出てくる。韓国人はテコンドー、日本人は空手同好会。で、韓国人は軍隊で格闘技訓練積んだ後留学に来たのもいるから、圧倒的に強く、黒帯がまじっていてもカラテ同好会は圧倒的に弱く、弱いだけならいいが、外で走ってる時にすれ違う時にひじ打ちしてくるとか、そういうのありそうだな~という描写になっています。

確かに私もむかし、日本の大学の体育会で柔道やってた人が、中国の留学先の大学でも柔道部みたいなとこに入ったが、タタミにヘリがあるのは仕方ないとして、中国では柔道は靴履いてやるとか中国人学生に大うそこかれて、組手で素足を靴でふみつけられたとか、(あとでその話を、中国の別の地方の、ヘリのない畳を日本から持ち込んで道場やってる先生と生徒さんいずれも中国人に話したら、憤慨してました)そういうイケズも聞いてるのですが、でも、同じ国の留学生だけで部活とか、なんだそりゃ。なにしに中国来たんだと(そう言われると、来たくて来たんじゃない、親に言われてとか、アメリカに行くほど学費がないとか、そういう話にしかならない)その後中国は世界GDP二位になったですから、留学生もまた変わったでしょうけれど。本書執筆時点では、爆発的に増えた韓国人留学生も退潮期に入ったとあります。いまも国同士がもめたりするですから、どうですかね。あと、名古屋の大学のサッカー部の学生で留学先の大学でサッカーやってた人いましたが、そこは中国人も多民族なので、また違う話。

左は中表紙。

なんというか、共同執筆者がいるとしたら、そのスケールが、だいぶ小さくなった感じです。後半雲南の密林で麻薬シンジケートと首狩り部族最後の精鋭とでいろいろあるわけで、そこに本書ではインパール作戦ということになってますが、既に前世紀に小林よしのり戦争論で日本が勝った雲南の局地戦をマンガにしてるので、それを出しても良かったかなという(葉青さん的にはNGだったかも)かつての日本軍の柔術の達人のいまにいきづく精神が絡むわけで、でもキャラ同士の出会いがご都合主義なので、お話作りとして、どうなのよと思いました。山野の野宿も小都市の公園の野宿も執筆関係者の体験なのでしょうが、後者は、白人の自転車旅行なら見逃されるかもしれないが、普通通報されて公安呼ばれるよと思いました。また熟睡してよくそれで荷物盗まれないものだと。盗みの気配を察知出来なくてなんの武道の達人かということかもしれませんが。

そんな小説です。前二作は読むのに時間がかかりましたし、また感情移入する箇所もあったのですが、本作は熊谷迄の電車でさくっと読めてしまいました。あと、作者はもう天安門引きずってません。一人、歌舞伎町の住人で喧嘩拳法の使い手が、天安門以後の転落人生?を語る箇所がありますが、内容は書いてなくて、だらだらうるさいというムード。なのでだいじょうぶ。電車内で高熱を発した盲流农民工黑孩子をハードスリーパー(硬卧)に担ぎ込んだら日本人女性留学生がふたりいて、日本人同士のよしみで携行薬を分けてくれたり親切にしてくれるのですが、彼女たちが中国人を見下しているのでその後席を離れたとか書いてある場面があるのですが、作者の日記でも写したのか。

頁219、香港のモンコック(旺角)を「ウォンコック」とルビ振ってるのとか、日本人旅行者としたらおかしい。北京語の中国人ならそういうミスもあるでしょうけれど。

ラスト、怒濤の展開で、格闘の猛者たちが次から次へと新登場して半死半生になったり死んだりするのですが、出てくるたびにいちいちプロフを説明するのとか、もう小説でない気がします。漫画原作ならアリなんでしょうけれど。漫画原作者なのかな? 以上