『歌舞伎町案内人』"A GUIDE OF THE SLEEPLESS TOWN"(角川文庫)読了

 文庫の整理を始めたら出てきた本。COVER DESIGN/BUFFALO.GYM PHOTO/MASAHIRO TAMURA (Freaks) 根本直樹[編]実質的な執筆者はこの人だと思います。リライトの域を超えてる。冒頭にコマ劇場とミラノ座と風林会館のある歌舞伎町地図あり。あとがきあり。

歌舞伎町案内人 (角川文庫)

歌舞伎町案内人 (角川文庫)

 

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消費税5%

消費税5%時代に買ってそのままになってたんだなあと。この人は日本国籍取って「り こまき」になってからの選挙戦映画は見ましたが、あまりよく知らなかったので、今回これでいろいろ補完しました。

「選挙に出たい」“我要参选”「我要參選」(英題:"I want to run for office")劇場鑑賞 - Stantsiya_Iriya

映画時点の配偶者と本書ラストの配偶者は一致してて、何故彼女が映画に顔出ししなかったのかは本書ラストの山場、中国人は中国人を襲う、という展開の一環で、中国人強盗団に自宅を急襲されてさるぐつわかまされてみぐるみはがれた上あわや、の場面から容易に推測出来ます。表に出て危険な目に遭いたくない。その時は作者が機転をきかしてブラフで切り抜けるのですが、中国人強盗団が、日本人より思い切ったことを平気でやる反面、形勢不利かもしれないと計算すると、引き際も実にすばやいという行動パターンが上手に書かれていました。李の脅しなんか、どうせはったりだろと思っても、長居すると焦燥感が消えないから去った方がいい、で、強盗団はいんぬるぞと。

映画では、主人公の父親が文革前期急進的なブイブイ言わせる側で、連日打倒連日暴力連日誰かを捕まえては三角帽子ガルウイングの日々だったのが、後半逆転して一家揃って哀れな日々を送るようになってしまった、となってました。が、本書だと、文革終了後の改革開放初期の1981年の事件で傷を負ったとなっています。一家は「湖南芙蓉文芸学院」なる通信教育を始め、当時そういう発想は中国にはロクになく、文革で学ぶことを禁じられた人民の学習熱に火が付いた時期はまだ続いていて、全国人民がまだ認められていない私立学校な通信教育に殺到し、三ヶ月で五万人の会員と六十万元の会費が集まったが、湖南文芸芸術連合会内のヘゲモニー争いに巻き込まれたこともあり、十八万元の会費を着服したモリカケチックななんちゃって通信教育だと叩かれて一家全滅。母はノイローゼから脳溢血で急逝。兄のひとりは精神病院閉鎖病棟。父は出家して仏門に入るという(1980年代の中国で仏門というのもすごい)話で、叩かれたわりに正式に有罪が確定されたわけでなく灰色決着したので、映画では組織上部批判になりかねないその部分の詳述を避けたものと思われます。

映画の李小牧は湖南訛りの有無はさておき北京語オンリーですが、本書によると、来日以前の数年間は深圳にいたので、広東語もおkということになっています。中国嫁日記のゲツが広東語NGであることから分かるように、21世紀に深圳に棲んでも全く広東語を身に着けることは出来ませんし、またその必要もないわけですが、80年代の深圳だと、絶対必要だったのかと。それで香港行ったらフェイ・ウォンか。あと、作者が広東省の隣の湖南省出身も大きいと思います。太平天国の進撃ルートつながりというか、古来から湖広は中華の大動脈だったので、北京語系統の湖南省と広東語の広東省では、ことばはかなり違うけど、前者が後者を学ぼうとした形跡はけっこうあると思います。私が中国で買ってケウハイビンドーとか練習してた広東語の教材も、湖南省の出版物でした。

で、新宿では上海人と付き合う機会が多いから、上海語も完璧に理解出来る(頁119)とありましたが、聞いて分かるだけで喋れはしないだろうと思いました。で、福建語は全く分からないとしていて、本書でも最も凶悪で最も不講道理なのが福建人なのですが、アモイや台湾で話される閩南語でなく、福州の閩北語なんじゃないかなーと思いました(私は閩東も閩北語と言ってしまいます)そこの分解能が本書にないのは残念。不夜城の劉健一が閩南語を学ばせてもらえなかったので分からない喋れないという設定になってるのは、今でも表記ほかで問題が多いので作者が逃げたと思ってるのですが、李小牧さんが言ってるのはどちらの福建語なのか。福州語だと思うんだけどなー。

本書、昔だったら読めなかったと思います。これだけ時間があいたから平静に読むことが出来ました。頁193の"摇头丸"なんか、やっぱそうだよな、普通の売薬だとかウソだったんだろうよと改めて思いました。"婊子"(頁95)

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ぜんぜん関係ありませんが、頁91に、チャン・イーモウが出て来ます。作者は彼の顔を知ってたので、歌舞伎町に物見遊山にやって来た彼を文字通りキャッチしたとのこと。爾来、張藝謀数度の歌舞伎町滞在時はまさにガイド、导(導)游を作者が努め、各種各様の日本風俗を参観学習させたとか。妖怪とかSMとか。さすが北京五輪花火監督、ワキが甘い。あと、頁166に、長澤節が出ます。バレエやってて体重五十キロの作者は、美少年と呼ぶにはトウが立ってると本人も自覚してるが、スレンダーさを保ってるところが御大にウケたのではと分析しています。

21世紀が始まったばかりの頃、私が知った若い中国人二世三世(帰国子女枠みたいので私大付属高に進学してたような)が、将来の選択肢の中に、キャッチ(拉皮条)がどうのと冗談半分にぺらぺら話してました。今思うと作者の何か文章を読んでたのかもしれません。僑報という在日華字新聞も出してたそうなので。作者がキャッチでなくガイドなのは、①日本の風俗のルール、マナーを熟知していて、それを的確に顧客に伝える能力に長けている。例えば、ソープランドでいえば、入浴料と総額についてきちんと相手の漢人が納得出来るよう説明出来る。(自腹で入店学習すると書いてます)②お店とお客のあいだでトラブルが発生した場合は当然現場に駆け付けて対応出来る。相互誤解によるものが多いので説明すれば双方納得する、わけでは勿論ないので、引く所は引いて相手を立てつつ円満?解決を図る、など。本書は勿論漢訳されてるのですが、風俗店のシステムなどちゃんと訳されてるのか気になります。中国クラブより韓国クラブのほうがなべて一万円くらい高いとか、やっぱ日本のキャバクラはいきとどいてるし、きれいに掃除してあるし、女の子のトークがいいとか、なんじゃそりゃみたいな感じでライターもガンガン書いてるのですが、どう訳されてるのか。

歌舞伎町案内人 (豆瓣)

作者は、自分は日本で謙虚さを学んだので、そこが凡百の中国系ポン引きと違うところだとしています。映画を見た感じだと、別に和風なへりくだりというわけでもなく、中華なおもねりを日本語でやってるだけと思ったのですが、本書で、暴対法以前の隆盛バリバリの本職の幹部から、中国人にしてはえらく礼儀正しくて奥ゆかしいやんけみたいにほめられてるとあるので、そうなのかもしれません。

アウトロールポとして、客引き集団が形成され、手下が勧誘に成功すると店のバックチャージからトップの李さんに手数料が入る仕組みが確立され、手下がはねっかえって、分派し抗争し、ケツ持ちうんぬん、という、スカウトなら新宿スワンみたいな話が続きますので、好きな人は好きかと思います。中国人が中国人向けスカウトしてなくてよかった。華字新聞はむかしは婚姻ヴィザ等査証持ち歓迎なマッサージ店の求人広告ばかりでしたが、最近はそうでもないようです。普通の中国人工務店や中国人建設業の広告もある。話をもどすと、本書で造反するナンバーツーは、台湾の不良映画「モンガに散る」に出て来るブンケランを連想しました。たけしみたいに、首を曲げるようなので。

で、李小牧東京モード学園の中国人学生第一号で、まー宣伝ばっかりのここの評判は当然書いてありませんが、年間百二十万の学費は歌舞伎町で稼いで、出席しないと退学でそうなるとビザがなくなるので出席もしてと、大変だったそうです。課題や制作はおおいにほかの学生に頼んだそうで、それを理由に女子学生と仲良くなったりとか、そういうサンビス描写は、適度にあります。適度。卒業制作は読売新聞社賞受賞で、パリ旅行も出来たとか。

頁201

 私は彼に聞いたことがある。

「よく、犯罪に手を染めなかったな」

 すると彼は穏やかに笑いながら言った。

「金は欲しい。でも、悪いことをしてまで稼ごうとは思わない。上海人の仲間は建築現場で真面目に働くオレを見て言ったもんさ。『グズ』だとか『もっと頭を使え』ってね。でもそう言ってた彼らは結局、全員捕まってしまったよ。パチンコの裏ロムとかピッキングに手を出してね」

 上海人らしからぬ「欲のなさ」に私は思わず笑ってしまったが、同時に「こいつは信用できる男だ」と直感した。 

 2019年に読んでるので、なんとか読めてるです。2002年に読んでたら、全然額面通り受け取らないで、本放り投げてたと思う。上にもあるとおり、中国人が日本人を襲おうとしても通常は勝手が分からないので、安易に中国人を襲うわけですが、警察は中国人同士の争いだと、同国人同士仲良くしなさい、で、被害届も受理してくれないそうで(頁268)当時の話なんでしょうけれど、今はどうなんでしょう。

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死んだ亀

来日当初の嫁がスッポンをさばけない場面もよかったです。スッポンをさばくのは李小牧の役目だったとか。上海の莫邦富もエッセーで、西瓜の皮の浅漬けなんかは主夫である自分が作ると書いてましたが、スッポンのような大物をさばくのが主夫の役目というのは読んでて面白かった。おいしいものを食べるには、勞を厭わないんだなーと。そういう食材を買うお店が知音というのも時代だったと。

以上