『愛のくさり』(庄野英二随筆集)読了

愛のくさり : 庄野英二随想集 (人文書院): 1972|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

庄野英二のエッセーをいくつか読もうと思って読んだ本のひとつ。

雑多なエッセーをひっかき集めて一冊にした本。教育者でもありますから、そういうのもあります。

頁 16「プロ人間」

 自分や他人の人生を大事にして、社会に責任をもって生きるのが人間のプロであろう。幾歳になっても、足元が地についていないような者は、精神的には未成年と変りがない。

 こんなの。家族についてもあります。パートナーのことは、相対的に、ないかな。子どもについては、ところどころ書いてます。物書きの父親へのあてつけのように男の子ふたりは本を読まないとか、そんなの。父の日の贈り物なんかいらないと頁22に書いてたのはこの人の性格を知るうえで面白かった。元は父親の稼ぎ、ふところ、財布だ。そっからもらったおこずかいで何か買って父親にプレゼントしたってたかがしれてると言うのです。子どもはその金で、自分の学参の辞書でも買う方がいいという理屈。

ただ、存命中の親孝行より、自分の死後、思い出してしのんでくれればそれでいい、という結論は、どうかなと思います。子どもからしたら、「親孝行、したいときには親はなし」は、格言になるくらいだからよくあることなのでしょうし、やっぱり痛みがある。

頁40、作者が学童期に母が詰めてくれた弁当はなべてのり弁で、ご飯をしきつめてかつぶしと海苔を乗せ、その上にゴハン、またその上にかつぶしと海苔、その上に、の三層構造で、あつあつのうちはおいしいが、冷めると固くてそれほどおいしくないとのこと。こういう弁当こそ、台湾式に昼食時間までスチームで蒸らすべきだと思います。

作者は毎年長野県の浅間のほうに(軽井沢ではない)避暑にいくそうで、キスゲの花は食用になるが今は飽食の時代なので地元の人も食べないと毎回天丼で書いています。

中国のことも時々書かれていて、満州武漢にも行ってるようなのですが、エアーに溶けてしまう感じの、うすい文です。南洋のほうが印象が強いらしく、よく書いている。敗戦を迎えて収容所に入り、復員するのが南洋だから、それで印象が強いのかな。

頁200、坪田譲治の奥さんの葬儀と生前のその人を回想するエッセーで、奥さんナミ子さんは土佐の生まれで、幼少時土佐のキリスト教信者が北海道に集団移住して、キリスト教徒の村を作ろうとしたムーヴメントのなかで、北海道にゆき、そこで育ったそうです。開村時に村民がたてた二つの誓い、毎日曜の礼拝を欠かさないこと、三年禁酒すること、の、後者が面白かったです。なんで三年くぎりなんだろう。いごっそうの基督教受容はそんなものだったのか。それに対する坪田ナミ子さんのコメントは書かれていません。ハチキン。以上