『ラ・ヴィタ・イタリアーナ La Vita Italiana 』読了

 吉田類が『酒は人の上に人を造らず』で出した坂東眞砂子のイタリア本。

ラ・ヴィタ・イタリアーナ (集英社文庫)

ラ・ヴィタ・イタリアーナ (集英社文庫)

 

 装幀|岩瀬聡 カバー写真|オリオンプレス 地図作成|高木守 

下記を執筆するためイタリアのパドヴァに住み、ついでに自動車免許に挑戦した記録。

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 波とか、小説すばるとか小説新潮に発表したエッセーと、書き下ろし。発表したものも大幅加筆訂正とのこと。後半はタヒチ移住後旅行で訪れた時の記録ですが、ジャンクロード・ミッシェルでしたか、フランス人のパートナーは出ません。しかしなんしか落ち着いてて、精神的な充足を感じる。

ラ・ヴィタ・イタリアーナ

ラ・ヴィタ・イタリアーナ

 

 免許は取れたそうで、しかしタヒチで安全運転の毎日なので、それ以外で車乗る気にならないそうです。そういうことか。私も離島なら運転イージーかな。というか西表島では運転してた、そういえば。

免許に挑戦する前は、ベトナム拳法に挑戦してみたり、イタリア人に「やらないか」と声をかけられる毎日をだらだら書いています。これ、ブラジルもそうだと思うのですが、外国人とか、ディスコミュニケーションの状況下でのナンパだから、直截的な表現になるんじゃないでしょうか。「やらないか」イタリア人同士だったら、もっとこみいったごちゃごちゃしたトークになると思います。誘ってる方も、イタリア人を装った移民だったりして。アラン・ドロンユーゴスラヴィア人。ドロミテを旅行する紀行文で、イタリアの少数民族地帯なのですが、会う人がアルバニアからの移民だったりして、そっちかい、と思ったりします。頁170。そのアルバニア人が働く工場の同僚は中国人。目がイエンで、口がコウ、とか、中国語も覚える。

頁82、免許の学校で、外国人クラスに入るわけで、クラスメートに中国人がいるのは当たり前で、このページに出てくる娘の出身が「長安」と書いてあって、マルコポーロの時代の小説書いてるので、混乱したと思いました。現代なら西安やろが。編集者のノーチェックも怖い。

頁163、宿のホステス(女主人)が、妹がボローニャ大学で、南無妙法蓮華経の日本宗教に勧誘されて入信してしまったけど、カルトではないかと相談される場面。これ、小説新潮に初出なのですが、創価学会って、書いてないんですよね。なぜだろう。ロベルト・バッジオが信者ってことも知らない気がする。知らずにタヒチに移住し、舌ガンで死ぬ。

長編小説も書きつつ、イタリア・奇蹟と神秘の旅という、塩野七三でもヤマザキマリでもない切り口でイタリアを語るには、自分にはオカルトしかないというルポルタージュ本を書いた、その取材旅行の副産物みたいなエッセーも併録。そのオカルト本のタイトルが、聖アントニオの舌という、未来を邪眼で見据えてしまったかのような題名になってしまったのは、また別の話。

作者の心の落ち着きが感じられてよかったです。モラヴィアみたいな、実はネクラなイタリア人の本質に気づいてしまった感じで、それもあってタヒチに逃げた後で、冷静に振り返る記述が好もしいです。このテンションで生涯を生きて欲しかった気がする。でも人生はコントロール出来ない。誰かジャンクロードミッシェルのその後を書いて、分かりやすいウェブの何処かに置いてほしい。

旅涯ての地は、読むと時間がかかりそうなので、考えます。坂東眞砂子本は、とりあえずここまでです。以上