『プラハの春は鯉コイの味』(JETRO BOOKS㊹)読了

プラハの春は鯉の味 (日本貿易振興会): 1997|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

前川健一サンのチェコ旅行記に出てくる本。

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読書のまち・かわさき  川崎市立図書館

編集協力・装幀-(株)マルナカインターナショナル 

事前の印象では新書と思ってなかったので、手に取って、ジェトロが新書なんか出してたんだ、と軽く衝撃を受け、奥付を見ると、「販売所-官報取扱所」でした。それだと、なかなか取次経由で、激戦区である、市中の書店の新書棚を、民間出版社を押しのけてゲットしないでしょうという。

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1997年のラインナップ。ジェトロ(日本貿易振興機構)のホームページで出版物を見ると、もうこういう形式のはなさそうなので、新書サイズやめてる気がします。たぶんあんまり数を刷らないでしょうから、近刊でも、現地インシデントなどで急激に需要が高まってるものは、オンデマンド版で対応してるようです。今日は休日ですので、まだ新書やってるか聞こうと思って、問い合わせしても呼び出し音が鳴るだけです。留守電にもなりません。ジェトロも官報発売所もお休みなのでしょう(というのは勘違いで、十時前に電話してるので、業務開始してないだけかもしれません)問い合わせフォームはあるのですが、「貴社・団体名」入力必須です。政府関係機関カッコいい。

官報販売所一覧 | 全国官報販売協同組合

作者の方は、本書時点でのプロフによると、1983年に大学を出て(在学中に政府交換留学生として中米に留学経験あり)卒業後民間に就職、中小企業診断士登録後、1994年、アメリカの大学院に行って、国際経営学修士になって、帰国前に、旅行に行ってよかったチェコに、1995年5月から1996年11月まで滞在し、ジェトロの現地事務所でアルバイト?かなんかしながら暮らして、その後帰国。その後は知りません。

現地の下宿先に英語堪能なお手伝いさんが通ってきていたそうで、それだから本にする際にある程度信憑性の担保出来る、現地情報の裏とりをしてます。坂東眞砂子サンのイタリア留学記でもそうでしたが、意志疎通のとれる現地の人がいないと、情報があやふやなばっかりで、本に一冊まとまらない。

でも、激動期だったので、今はもうすっかり変わってしまったことも多そうです。それでいて、米原万理などの、ある意味安定した共産期チェコともまた違う。一瞬の過渡期のチェコ像ですので、記録として貴重ではあるのでしょうが、市場経済に直面したチェコ人の戸惑いや軋轢などを読んでると、現在では良くも悪くもそれらの感情は雲散霧消してますので、「オワったコンテンツ」とレッテル張りして蓋をしたくもあります。

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クリスマスの鯉は縁起もの  市場経済に期待をかけるチェコの人々  電子レンジがどんどん浸透していく  中世の街並みにロックが鳴り響く  西欧と東欧の狭間でゆれる  チェコのとまどい

前川健一サンが参考にしてるのは、料理についてある程度詳しく書いてあるからで、上に電子レンジのくだりがあるのも、クネドリーキ(本書では主に「ダンプリング」と総称で記載)をあっため直す際、蒸し器で蒸し直すほうがおいしいのですが、簡便なレンチンが普及しつつあると、具体的に描写しているからです。頁53。いわく、蒸し器もおそらくアジア移民が持ち込んで普及したのではないかとか、伝統的なクネドリーキイースト菌を使わないので、職人の腕でよしあしが左右される(ハズレがある)ので、開放後はイースト菌を使った手間いらずのマスプロ生産に人気が集まっている、など。

ダンプリング - Wikipedia

ほかにも、市場経済になったら曲がった胡瓜が消えてまっすぐになったとか、わずか1~2年のあいだのドラスティックな変化が、視覚的にもはっきり分かる明快さで描かれてゆきます。面白くもあり、その先の長い停滞を知っている分、チェコのみなさんのその狂騒はぬかよろこびで(日本のバブルのようなもの)諸国民に等しく春が来たわけでもないデスよ、と苦いものに舌が触れた気分もちょっとしたり。

タイトルは、チェコ人がクリスマスに鯉を食べる習慣があり、そこから。そんなにうまいもんでもないけど、縁起ものだから、だそう。長寿と健康のシンボルで、幸運を呼ぶんだとか。内陸国だから川魚と理解出来ますし、日本でも鯉は実は外来魚であると同様、欧州でも鯉は紀元1,000年頃に中国から僧侶によってもたらされ(頁22。ナニ教の僧侶なんでしょうか。プレスター・ジョンの使徒ネストリウス派キリスト教徒だったり、中国を追われたマニ教僧侶だったら伝奇ロマン)13世紀にローゼンベルクというドイツ貴族が南ボヘミアのトレボンに養魚塘を作ったのがチェコ鯉業の始まりだとか。

http://www.discover-ce.eu/tourist-products/spa-and-health/czech-republic/trebon/?lang=ja-JP

www.arukikata.co.jp

冬のヨーロッパの石造りの町中の、例の丸い広場に、毎年鯉を売っていい解禁日になると、水槽に入れた、生きた鯉を売るテントが出現するんだとか。目方ではかり売り。ギルドっぽいので、特定の民族とか関係あるのかと思いましたが、ロマというわけでもないようです。生きたまま買ってクリスマスまで家のバスタブに泳がしておいて、イブの朝捌くのが伝統だそうですが、情が移った子どもがショック受けたりなんだりで、店で捌いて貰う人が増えてるのが執筆時の現状だったとか。買ってから調理するまで数日間風呂に入らなくて平気と云うのが、流石シャワー民族と思いました。冬じゃん。

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頁114、ひさびさに見た、図書館本の誤字チェック。クリントン政権国務長官を務めたオルブライトはチェコ移民一世だったというくだり。国防長官と誤字になっています。シュワルツコフがチェコ移民でも全然いいんですが、そういうことではないみたいです。

料理に関して、頁120で、グラーシュとひとくちに言っても違いが大きいとある箇所で、開放後チェコ語に英語が大量に混入した状況を憂いて「チェコ語は言葉のグラーシュよ!」と、英語堪能なオバサンが、それだけに切って捨てる場面があります。ごった煮なのか、グラーシュ。米国帰りの筆者は、そこで、英語の「ホッチポッチ」を想起したそうです。

ejje.weblio.jp

"hotch potch"のアンド検索ワードが、「韓国」だったので、この言葉の語源ハングルなの? と思いましたが、韓国叩く個人の方?の動画アカウントがホッチポッチという話でした。

グラーシュより庶民的な料理として、「ボヘミアン・ポテト・スープ」という料理が出ますが、英語名なので、現地でどう呼ばれているか、チェコ人に話してピンと来るかは分かりません。チャプスイ。

作者が滞在したのは、チェコスロバキアが分離して間もない頃で、作者はジェトロで働いていたので、統計資料が、チェコスロバキアのとチェコ単体のとごちゃごちゃで、ずいぶん泣かされたそうです。チェコはなんとなくチェコで、軽機関銃のチェッコは戦前から邦人にも親しまれてますが、スロバキアと言われてもさっぱりで、私は、タイとラオスとか、シリアとヨルダンみたいなもんかなと勝手に思ってました(失礼)

チェコスロバキアがいっしょだったのは、九世紀の大モラビア帝国の百年だけだそうで、もともとスラブのなかでは別個。別名アルベルト・倦怠帝国(うそ)が崩壊した後、スロバキアはずっとハンガリーだったそうです。それが20世紀、外国支配への対抗として合併したそうで、1993年、何の修羅場もなく離婚協議が成立したので、「ビロード離婚」と呼ばれたそうです。ハニル、ナポリ南イタリアはもともとスペイン領、などを思い出しました。

チェコクネドリーキスロバキアでは「ハルシュキー」と呼ばれるそうで、そう言われると、いかにも別の国な気がします。そこだけ言われると、とも言えますが。

そんな本です。ボヘミアングラスは裕福な外国人観光客向きに特化されたので、急激なインフレで青息吐息のドルなし庶民には手が出なくなって、品のよさそうな老人がよくショーウィンドーで溜息ついてるとか、チェコクレイアニメは実は政治風刺が多くて、肖像権インカ帝国とか、ピルスナーといえばチェコで、バドワイザーとの商標権争いは、実は出版時には外堀うめられてこんな感じで収まりつつあるとか。

作者は邦人ですけど、米国生活で"The squeaky wheel gets the grease."を会得してるので、ズデーデン問題についてひとこと新聞に投書したそうです。ミュンヘン協定でナチスはズデーデンからチェコ人を追放し、戦後チェコはズデーデンからドイツ人を追放して財産を接収した。両方追放したんやったら、その後無人になったんちゃいますのん、アホやな、ええか、どっちも、相手がいなくなったぶん、自分とこの膨らんだ人口を植民させたんに決まってるやろがい、てな話で、話は、「チェコも謝れや」「なんでチェコが謝らなアカンねん、ドイツやろがい元凶は」なんだそうです。そこで、なにがどうルックイーストなのか分かりませんが、チェコは日本を見倣え、という論説があり、作者は、お言葉ですが… をやったということみたいです。時期的に、村山談話の思わぬ余波だったのかな。

あとは、まだ90年代末期のチェコは、気に入った服は自分で縫う習慣を、若い男性も女性ももっていたというくだり。頁36。装苑ですね。体形がちがうでしょうから、装苑の型紙はチェコ人に使えないでしょうが。作者は、よく知人から、縫って上げるといわれたそうで、実際縫ってもらって、足の長さがどうだったかとか知りたいですが、縫ってもらわなかったみたいです。残念閔子騫。以上です。