『極夜行』読了

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極夜行

極夜行

 

ほかの人のブログで見て読んだ 『極夜行前』が面白かったので、読んだ本。『極夜行』が先に連載出版されているのですが、『極夜行前』が、探検本番に至る事前準備とトレーニング、実地調査の記録を後からフォローした体裁で、よって、『極夜行』は本番です。

極夜行 (文春e-book)

極夜行 (文春e-book)

 

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極夜行前 (文春e-book)

極夜行前 (文春e-book)

 

 頁71、旅の序の口でいきなり、ブリザードリザードで六分儀を飛ばされてしまい、天測という方法で旅することが出来なくなりますが、本書から入った場合、作者が天測にかけた意気込みと、それを支援した国内メーカや探検部OBの思いは分かりません。終わったことは終わったことで本人は気持ち的に切り替えていて、その上で書いているので、コンパスと地図の旅を、そういうものかと思って読んでしまいます。『極夜行前』まで読むことで初めて、膨大なムダの上に成り立つ人間の活動の記録、について想いを馳せることが出来ます。

頁183、作者が〈非スポンサー主義〉で、旅の資金、四、五百万日本円をすべて自分で稼いでそれをつぎ込んできて、四年間かかっているという記述があり、いったいどうやってと思いました。三浦雄一郎さんなんかはスポンサー作るわけですので、作者もそうかと思った。何して稼いでるんでしょーか。ガイドとかでしょーか。文筆では、マンセー的な活字不況ですので、無理かなと思いました。またそれで結婚出産育児と、計画的に末広がりに花開く人生も両立して切り拓いている。まったく素晴らしい。

本書は冒頭に妻の出産シーンがあり、なんだか忘れましたが、いちばん苦しい箇所にそれを想起し、模すような構成になっています。

作者が何故探検をするのか、そこに山があるからみたいなこととか、理論武装とか、紋切型とか、いろいろ質疑応答のテンプレ、マニュアルはもちろんあるようで、それ以外に、頁141、「脱システム」ということばが出てきます。この言葉は作者の造語のようで、検索すると作者の名前絡みでないものが出ないというくらい作者のことわりを示すキーワードのようで、

頁140

探検・冒険行為の核は脱システムすることにある。常識や科学知識や因習や法律やテクノロジー等々の諸要素によって網の目のごとく構成されているこの目に見えない現人間界のシステムの外側に飛び出すこと。それこそが冒険と呼ばれる行為の本質であり、そのシステムの外側の領域で何がしかを探索することが探検と呼ばれる行為だ。 

 かつては地図上の空白地帯を目指すこともこれに該当していたが、21世紀の現代はさすがにそうもいかない。

頁141

(前略)ピンと閃いたのが極夜世界の探検だった。

 毎日、太陽が昇り、夜は人工灯にかこまれ、常時、明かりの絶えないシステムの中で暮らす現代人にとって、二十四時間の闇が何十日間もつづく極夜は想像を絶する世界であり、完璧にシステムの外側の領域である。わけの分からない世界である。(後略) 

 作者はデビュー作がチベットの未踏査地帯であり、探検家生活のひとつの区切りにしたのもその完結編であり、その後何をしようか考えた時にこれになったようです。大学のパイセンの高野秀行のように、絶えずセルフプロデュースしてプレゼンし続け、その企画を実行し、収益を回収するまでを自らに課す、厳しい世界。それ自体がシステムのようにも思いますので、しぜん、思いは脱システムになったのかと思います。この「脱」は、イリイチかおまいは、としか思わず、若くて古い御仁でござるよニンニン、と思いました。でももう不惑越えてるわけですが。"disystems"なんて単語は検索しても出ません。ディスクーリングは勿論イリイチの言葉。「制度化」なんて切り口で考えると、作者はイリイチの学徒でもあったのかなあ、なんて。上記、「網目の」なんて、おまいはコペル君か、人間分子網目の法則、生産関係、君タチはどう生きるか、俺、舘ひろし。だと思いました。ええ家のぼんが、本読んで、こんな大人にならさはった。

脱学校論 - Wikipedia

イヴァン・イリイチ - Wikipedia

ちなみに、作者の衝撃のデビュー作、ヤルツァンポーは、積ん読か、未読のまま図書館寄贈のどっちかです。読み出すと、チベットのウー、ツァンに行きたくなり、作者がうらやましくなるので。

このように脱システムを試みる作者なので、GPSを用いず、六分儀による天測で位置を割り出して旅したかったわけで、同様に、衛星電話も使いたくなかったが、家族が出来たので、妻と子どものために持つことにして旅立ち、そうすると後半、毎晩妻と子どもに電話をかけて、「もちもちパパでちゅよ~」的な言辞を弄する(原文とは違います。私が読んで作ったイメージ)ようになり、そこで停まらず、イヌイットの集落に暮らすベースキャンプ的日本人定住者にも毎晩電話をかけてインターネットの天気予報を聞くという、まさに電話依存な狂騒状態を呈し始めます。ここは、よく赤裸々に書いたと思いました。まーウソ書いても相手に取材すれば口裏合わせなければ分かることですが。作者も、誰も見てないのだから好きなように書けてしまうのが探検ルポの怖さとしており、自省こそ大事だと思いました。その意味で、この電話中毒場面はよかった。脱システム破れたりといえど山河ならぬ極夜あり。自然だけは変わらず、それに依存する脱システムは成功せざるをえない。

冒険のウソと真実というと、有名なのが、太平洋ひとりぼっち堀江謙一を、虚偽ではないかと石原慎太郎が信ぜず疑義を呈し続け、それをホンカツが批判して文章にして本に入れて、みんな読んだ件でしょうか。灰谷健次郎『我利馬(ガリバー)の船出』はこれとは無関係なのかなあ。無関係だろうなあ。

『極夜行前』は、あとから書いたのと、ウェブでなく紙媒体だったのとで、落ち着いてると思いますが、『極夜行』は、比較的コーフン冷めやらぬ頃に、レスポンスがばしばし可視化されるウェブ媒体で書かれたので、後半、なんじゃそりゃみたいな文章が散見されるようになります。

頁156、イヌアフィシュアクの巨大血の池地獄事件の記述で、「連赤事件みたいになって次から次へと無意味な殺人に

頁216「周囲にうち広がる荘厳な谷間の風景は相変わらず八戸市議なみに美しかった」時事ネタはすぐ劣化するって学校で教わらなかったのか、と誰か言いそうな気瓦斯。船戸与一はそんなこと言わないか。西木正明はどうか。でもオヤジウケしそうな比喩ではあります。

頁220

その証拠にAは凄まじい美貌の持ち主だった。目元は妖しげで唇は熱情的、まるで上戸彩井上和香を足して二で割らなかったような容貌をしていた。八戸市議どころの騒ぎではなかった。身体つきも、ほっそりとしているくせに胸はむしゃぶりつきたくなるほど豊満で、推定Gカップ。要するに男の欲望をすべて具現化した女族最終兵器のごとき女、それがAだった。 

 これは、ヤルツァンポー踏査時に作者の行く手を阻んだ人民解放軍のハニートラップ、黒竜江省加格達奇出生のシャンフーツァイジンシャンホーシャン26才ではなく、作者が痛快布マスク新聞に勤務していた時、埼玉と群馬を跨ぐ利根川上流に現れたキャバクラの水神の描写です。上戸彩は埼玉出身なので、そうかなあと思って読みました。年齢がちがうふたりをよく組み合わせるものだ。どんな顔なのか見てみたいです。

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以上

【後報】

『極夜行前』のセイウチはこわかったですが、本作の、ネオテニーの犬から始まる、狼のさいごまでの展開が心に残りました。送り狼何見て送る。寝首をかくかかかれるか。犬よお前は食えぬのか。

(2020/4/9)