岩波ホールがコロナで休館したまま、次か、次の次にかかる新百合ヶ丘まで来てしまい、終息するまでは劇場行かないほうがいいだろなと思ってるうちに、緊急事態宣言。
この映画、ポスターにはチベット語のタイトルが書いてあるのですが、公式やウィキペディア、百度などにチベット語の表記がなく、「アラチャンソ」とチベット語で書けばいいだけやん、と、先日ものすごい努力でཕོ་བྲང་། བཞིམ་བྲགཇུ ས་ལིགས། ཀུངགོཀུམཀུའུ་ཚིངསུང་ བཀྲ་ཤིས་བདེ་ལེགས།という字を打ち込み終えた私は上から目線で思うですが、「アラチャンソ」がアムド語だとすると、どう打ち込んでもラサ語で読むとおかしなことになりかねず、それでチベット語表記書いてないのかと思いました。漢語表記だと"阿拉姜色"
岩波ホールとアルテリオ新百合ヶ丘のひそかな共通点として、飲食禁止があります。私はどちらもそれを知らず、うっかり私のパン食の二大定番、あらびきウインナーパンとカレーパンを食べようとしたことがあり、前者は食べ終わってからそれを自分で知り、赤面したものですが、後者は食べ始めるや速攻婦人がたから注意を受け、川崎市民厳しいなと思ったものです。コロナに関しても、感染リスクを同様に川崎市民は指摘したんだろうか。岩波は二月末に従業員の安全も鑑みて休業開始、アルテリオは 国の「緊急事態宣言」、神奈川県から示された「特措法に基づく緊急事態措置に係る神奈川県実施方針」及び川崎市の方針を受け、新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、令和2年4月11日(土)から 休館。
以上
【後報】
そういうわけで見ることが出来ました。上の文章は特集パンフのムヴィオラの巻頭言。ウェブにも同種の文章がありますが、紙のほうが想いが強く感じられます。
2020年2月、私どもではチベットのソンタルジャ監督の『巡礼の約束』を公開しましたが、新型コロナ感染拡大のため上映は3週間で中止となりました。もう一度『巡礼の約束』を岩波ホールのスクリーンにという思いから、2021年3月13日よりチベット映画特集を開催させていただくことになりました。
厚木ではこの映画のネット配信なども行っておりましたが、あの頃私も何を気を張っていたのか、自宅と職場の往復だけに人生を使っていて(あと畑)まるで気づいていませんでした。一年ぶりのリベンジ上映企画、よくこぎつけたなあと。
チベット語タイトルは、あちこち探しまわって、下記と西蔵自治区のいくつかのサイトから。
'Ala Changso' un film @SontharGyal à #Paris :
— Tenam བསྟན་རྣམ། 😷 (@tenam) 2019年2月22日
2 mars à 10h45 au Studio des Ursulines
9 mars à 15h45 au Mac Mahon
ཟོན་ཐར་རྒྱལ་གྱི་ “ང་ཡི་ཆང་གསོལ་རོགས།”#Tibetanfilm pic.twitter.com/8MjUscpVck
今回の特集のほかの映画は存分に楽しんでるのですが、この映画はというと、頭角をあらわしたソンタルジャ監督に、ロケ地出身の有名なチベット人歌手が企画を持ち込み、さらに脚本段階で、例のザシダワ(本作の日本配給ではタシダワと表記)が絡んだため、なんつーか監督の味とは違う大仰な悲壮感や、ADHDなど社会の注目を集める「いま」の問題が盛り込まれてしまい、売らんかな商業主義のにおいも感じられて、分散してるな~と思ったです。ペマ・ツェテンは内気で寡黙な人らしいので、そっちにも持ち込んだのかもしれませんが、こっちで企画が成立したんでしょう。ソルタンジャ監督も、今回のようなアバのガンゼの、〈嘉绒〉は勝手が違うと感じたと思います。次の作品ではホームのアムド北部遊牧地帯に帰っている。2019年12月10日に日比谷図書館で行われた本作試写会トークで、自分は遊牧地帯、この映画のギャロンは農村の石造りの多層住宅だと話しています。パンフより。
この歌手の漢字名を北京語で読むとロンジョルジャ、しかしそれは、チベット語の名称に漢字を当てる際、四川訛りの漢字を当てたことから来る悲喜劇のひとつで、なので配給ではこの人の名前をヨンジョンジャと表記してます。四川訛りで漢字を当てるとどうなるかの最も有名な例は、シガツェの日喀则rikazeですが、個人的には、やはりアバの九寨溝近くにゾルゲという町があるのですが、ここが漢字で書くと若尔盖ruoergai。ぜんぜんリヒャルトじゃないやん。
この、四川訛りの漢字問題は、チベット語のみならず、あの『ワイルド・スワン』の作者、四川省出身ユン・チアンが、漢字で書くと張戎zhangrongなので、どこが「ユン」なんだよう、ロンもしくはゾンじゃねーか、と、日本の中国現代史の泰斗矢吹晋教授がイギリスのユンにえんえん嚙みついて、暖簾に腕押しだった件が超有名でした、前世紀。まあ、リーベンは四川ではズベンになりますが、山東ではイーベンですので、ワイルド・スワンも親の代は別の地方の訛りだったと思えば、腹も立たないかと。武漢日記のファンファン大佐も、親の代は江西訛りの南京人だったそうですし、人口の流動性が高いと、いろんなことがある。
閑話休題。この歌手の人、最初、スベンソンでもやってるのかと思いましたが、映画出演時より若い時の画像が出回ってるだけと理解しました。
2012年网络春晚 歌曲《天籁之爱》 容中尔甲 旺姆| CCTV春晚
この歌手の人は2019年12月11日の岩波ホールのオフィシャルインタビューで、将来的にはこの映画の舞台のギャロンの四姑娘というところにホテルや劇場作って、毎日この映画上映出来るようにするから、来てね、と言っています。コロナで木っ端微塵でしたが、まだあきらめてないといいなあと思います。パンフによると、アバのギャロンには中国で最も美しい村に選ばれた丹巴という村があり、美人が多いので美人谷と呼ばれてるそうです。私は、ガンゼよりセルタとかのほうがきれいな人が多いと思います。あくまで個人の感想で…
アラチャンソというタイトルは、ウチナー口で云うところの、「のまんばー」くらいの意味だそうで、あーそれでチンコの麥で作る酒、「チャン」が入るんだなと分かりました。チンコー麦は漢語のカナ表記、意味はハダカ麦。
四川省のほうが漢族が多いからか、漢語のやりとりは、医院関係がほぼすべてと、あと、ランクルの有料ヒッチで、乗せる運転手は漢語話者ばかりです。親切に世話をする地元のチベット人もランクル持ちなので、チベット人もランクル持ってないわけないと思うのですが、長距離移動をあんまししないということなのかな。
ギャロンは女性の髪飾りが有名とパンフに書いてあり、確かにきれいなのですが、なんか見てるうちに、チベットでなく、彝族みたいに見えてきました。根拠はありません。パンフによると、ギャロンのことばは、チベット文化圏の中にあってしかしカチン語に近いそうで、そうなると、吉田敏浩という人のホームになってしまうと感じました。カチン語は中国に来るとジンポー語、もしくはチンポー語。
ロバの演技は、日頃の行いがよいので、神様とか仏さまが助けてくれたのではないかと思います。そういうチベット的解釈のつもりでFA。
私は以前、アムドの人に、アムド語でありがとうは「グワジェンチェ」、ラサでは「トゥジェチェ」と教わり、そう信じて、この日記の、ルンタのドキュメンタリー映画の感想にもそう書いたのですが、この映画では、ギャロンの人間が、こっちのことばはよく分からんと言いながら、ふつうのチベット人には「グワジェンチェ」僧侶には「トゥジェチェ」と謝辞の言葉を使い分けていて、たいそう不思議に思い、チベットレストランまで行って、ラサでも「グワジェンチェ」って言うんですか? と聞いたら、言うんだそうです。ハズカシー。私、知ったかぶってたんですね。過去の日記もそのうち後報で訂正せねば。
まさにこれ、尴尬尴尬。ちがうか。
それで、この映画、ラサに近づいたあたりで、主人公は雑貨店に入って、ハサミを買う場面で、ハサミということばが店員に通じないのですが、主人公が言うのは、ジェンドー、〈剪刀〉の四川訛りというか、西北訛りのような言い方で、ジェンドーがアムドもしくはギャロンに借用語として入ってるんだなと思いました。で、店員の返事が分からなかったので、これもチベットレストランで訊くと、ハサミのラサ語は「ジャンゼ」だそうで、ギャンツェの漢字表記の北京語読みみたい、と思いましたが、よく考えると〈江孜〉なので、jiangzi、ジャンズでした。映画でジャンゼと言ってたかは、いまいち分かんないです。
そんな映画です。ソンタルジャ監督も、一生に何度か、タイアップというわけでもないでしょうが、しがらみも含めて作品、というのを作るでしょうし、これも、アムドアムドばっかでなくほかのチベットも撮れよ、という声に対し、撮ったがな、と言えると思いますので、その点でよかったと思います。次は徳欽舞台に撮ってほしいです。カイラスは、彼らが、自分たちでチベット映画作りたいと思ったであろう青年期にはやった中国映画〈孔繁森〉におまかせってことで。
以上