『ラサへの歩き方 〜祈りの2400km』(英語題:PATHS OF THE SOUL)(原題:གངས་རིན་པོ་ཆེ།)劇場鑑賞

公式 http://moviola.jp/lhasa/

ほぼ大入りと言っていいと思います。平日なのに、よくもまあ。
午前中地面が
ぬかるんで
ぐちゃぐちゃ
だったので、
映画に行こうと
観に行った映画。

こころは、
シンプル。

このキャッチ
コピーが、
あとから、
検索するにつれ、
ずんずん
響いてきました。

監督の作品は、
むかし、
『こころの湯』は
見ていて、
北京の障害者
福祉について、
きれいだな、
これは映画だから、
と思う箇所も
ありました。

こんなに
チベット
いれこんでる
人とは、
知らなかった。

パンフにあって、公式にない記述として、星泉らの映画評、
タイトルについての注釈、監督インタビューがあります。

パンフ監督インタビューより
Q.この映画は「チベット」と「中国」という2つのデリケートな題材に触れています。中国で公開されるのですか?
A.何か問題になるとはまったく思っていません。信仰という題材ですが、この映画は政治とは関わりなく、ただチベットの人々の生き方を見せたものなのですから。私は中国での公開を希望しています。もちろん大規模な公開は難しいと思いますが。

えっ、この映画、漢族監督による作品で、役者以外ほとんどスタッフ全員漢族なのに、
中国で公開してないの?そもそも中国名なんやねん、と検索しまして、百度がやっと出ました。

百度百科 冈仁波齐 (张扬导演的电影)
http://baike.baidu.com/subview/4475/18856146.htm
確かにここでも、中国での上映時期について、[待定]とありますので、
決定しなかったんだな、と分かります。まあ、お蔵入りの映画は腐るほどあるそうなので、
別にこの映画だけ特別ってこともないと思いますが…
百度の漢語題名「ガンレンポチ*1」は、カンリンポチェ、チベット語カイラス山の意味の言葉を、
漢字で書いただけですので、要するに、中国の56の民族のことばすべてが中国語であり、
漢語は五十六ある中国語のうちのいち言語にすぎない、という前提で、パンフが、頁27、
中国語題は『カンリンポチェ=カイラス山』、と書いているのだ、と分かるわけです。
そこで、私は、この映画の冒頭感じたもやもや、題名がチベット文字でしか書かれていない、
なんで漢語併記してないの? という疑問が、霧のように晴れてゆくのを感じたわけです。
これはすごい(かもしれない)、監督はけっこう本気だ(でもないかもしれない)。
数年前でしたか、中国語専門書店のブログか何かで、中国ではそれまで割と自由だった、
テレビドラマへのしめつけが厳しくなって、特に、上海語や四川語などの方言ドラマが、
陸続とお蔵入りしている、と読んでて、その伝でいけば、これは徹頭徹尾少数民族言語、
放映することで当局の器の大きさを示せる、なんてことはおそらく絶対になく、
不寛容の徹底しかないだろうな、と思い、それで、イメージフォーラムでの、
上映後トークイベントに、シーナの嫁さんはじめとするかのお歴々が出まくる謎が、
やっと分ったわけです。チベットのどっち側の映画なのか、空気認定済んでたんですね。
http://moviola.jp/lhasa/images/news0714_1.jpg
いやー、こころの湯と山の郵便配達*2は同じ監督だと思ってた、私なんかが見て、
ここに感想を書くなんて不遜かつ恐れ多いような気も、しないといえばしないので、
しれっと書きますが、一妻多夫婚は、私も遭ったことありますが、世界ふしぎ発見で、
「この遊牧民の習慣は過去のもので、現在はありません」と、とってつけたように、
草野ひとしくんがあわてて強調してたので、最初、漢族監督が描くならよくて、
日本のテレビ番組だとキャプションつけなきゃいけないのか、と思いましたが、
そうではなく、これもこの映画が封印される理由の一つなのか、と思いました。

五体投地しながらの徒歩巡礼は結構ファナティックですし、キツいので、
やってるうちにだんだんイカレてくると思ってるので、それも、この映画が、
漢族の秘境紹介観光映画なんじゃいか、と当初警戒した理由なんですが、
それは、私が、巡礼の起点を、甘粛省四川省で考えるからであって、
この映画のように、自治区のマルカム*3であれば、ノウハウも蓄積されていて、
周到かつ無理なく履行出来るんだなあ、と感じ入りました。
九塞溝近くの紅原とか長江淮安から來るリヤカー二人連れなんか、
遠いですから、天空列車や寝台バスが巡礼のポピュラーだと思うので、
徒歩というと、やっぱ無理がある、だからやろうとする奴はかわりもので、
しっかりした装備と人数にならず、リヤカーとロバなんかになってまう、
そういう危うい対比があると思います。
http://moviola.jp/lhasa/images/intro_img_01.jpg
公道をひっきりなしに大型トラックが往来し、あろうことか伴走のトラジ、否、
ラクターをランクルにぶつけられて大破、手押しするわけですが、相手が漢族だったら、
どうなっていたか。漢族のトラック運転手とかも結構粗いと思いますし、
そうしたトラブルを描いていないのに、お蔵入りとかないよな〜と今は思います。
ラサ一歩手前で漢語のネオンがまぶしい大規模トラックストップみたいな町通りますが*4
これは、ひょっとして、中国嫌いな人が軍事拠点とかよく言ってる、
八一鎮をぼろっと出してるんじゃいか、とも思いました。それもダウトだわな。
林芝とかチャムドとかかもしれませんが。ここで、靴買う会話は、チベット語です。
商人もチベット人なんだと分かります。逆に、漢語ばかりなのは、出産の病院*5
病院の垂れ幕が漢字表記のみなのを、最初そこが四川省と思ってぼーっと見てましたが、
あとで左貢県は自治区だと判って、なんか判然としません。最初、「ゾゴン県」
という字幕を「ヅゴン県」と空目って、資貢県って、恐竜の骨とかの、
陳健民のほうの四川やん、と考えてしまったので… ここは、ひょっとしたら、
キャラに漢語で会話させたほうがいんじゃね?的に演出がブレた部分かも知れず、
チベット人の妊婦が、テントの中でもうすでに、
「アイヨ〜」とか、"肚子疼(ドゥーズトゥン)"とか漢語喋ってました。
旦那がドゥーズをニーニーと言い直してますが、ニーニー、分かりませんでした。
漢語のせりふは、あと、スマホで女の子がさべる時、
"那是真的(ナーシジェンダ)" "真的(ジェンダ)"、
「ほんとなの」「ほんとよ」「マジで」みたいな言葉をしょっちゅう入れていて、
これが、インドに行くと、本土の若い世代は漢語交じりのチベット語を話す、
と言われてしまう現象なんだなと思いました。全然本人の責任じゃないですが。
あとどっかで、車止めるのに、ティンティンティン(停)とゆっていた。これも漢語。
それと、距離を表す単語は、どうしても漢語の、タンスにゴンリー(鞏俐)*6
ではなく、"公里(ゴンリー)"をチベット語の中に入れて喋ってました。
http://moviola.jp/lhasa/pnote/images/pnote008.jpg
そういえば、ラサは、アルファベットは"Lhasa"、圧縮*7みたいな字書きますが、
チベット人は「ヒャサ(ヒャ、は息吐く)」と発音すると聞いていて、
この映画でも存分に「ヒャサ」「ヒャサ」言ってました。
https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/M/MV5BNzE2NDg5MzE5NF5BMl5BanBnXkFtZTgwNzIzNjU3NjE@._V1_SY1000_CR0,0,1500,1000_AL_.jpg
最初のほうで、女の人の手がスベスベだったので、
クリーム使っているにしても、牧民でこんなに手がキレイかなあ、
実生活ではこの人はもうこんな生活してないんじゃ、と邪推しました。
村の有力者かなんかで、もうあんまり村にいない人かなあ、みたいな。
要するに確かめようのない推理、つまり邪推。
「女の子は五体投地すると頭がよくなる」ってのも、仏教的な、
かつチベット的な、女性に対するアレな証左と思いました。
https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/M/MV5BMjA3NDM2Nzc4OF5BMl5BanBnXkFtZTgwMDMzNjU3NjE@._V1_SY1000_CR0,0,1500,1000_AL_.jpg
それぐらいかなあ。トラジが治ってよかったです。相手に出させればいいのに。
太陽光発電の板がトラックストップに売られていたり、
(昔は太陽光集めて熱でヤカン沸かすパラボラみたいのが売られてた)
こんな苦労して終着点が今のポタラとジョカンだと、スッキリしない、
と思い、監督も同じ思いだったのか、終着点をカイラスにしてましたが、
予算なのか時間なのか、あっさりカイラスに着くな〜と思ったら、
制作ノートによると、猿岩石のミャンマーイラン同様、はしょったとか。
https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/M/MV5BMTk0MDk1MzcxNl5BMl5BanBnXkFtZTgwODIzNjU3NjE@._V1_SY1000_CR0,0,1500,1000_AL_.jpg
そういう映画です。観客は赤ちゃんでいちばん湧いてましたし、
それで十分じゃないか、中国でも公開すればいいのにと思いました。
でも逆に、日本で公開されないだけで、中国では、
チベット人が漢語しゃべる映画が幾らでもあるでしょうしね。
チベット人チベット語しゃべる映画が入り込むニッチ市場はあるのか。以上

【追記】
チベット人が漢族の病院で出産、の場面、最初はスルーしてましたが、
後から思い出したことに、チベット人のあいだのデマ、というかなんというか、
漢族の病院に行くとこっそり不妊手術されてしまう、本人同意なしで。
緩和される前も一人っ子政策対象外な少数民族が多産しないよう、
やられてしまう、という、反共情宣なんかでも同じ情報を見ることが出来ますが、
それを思い出しました。監督がそこまで踏まえて、さらっと、
安産を描いていたとしたら、食えないしエラい監督だと思います。

漢族を病院以外登場させず、だから融和も描かないが軋轢も描かない。
そのシナリオは作戦だったと思っています。
映画の描写として成功し、配給としてそれでもお蔵入りになった。

あと、主人公一家は、ラサで金が尽きたので現場労働などでカネを稼ぎますが、
これは、カネの尽きた巡礼が簡単に物乞いに落ち、さらにそのラクな生き方に、
大都会ラサでの物乞い人生から抜け出せなくなる、巡礼たちの墜ちた乞食人生が、
もう大変なラサ在住漢族のブーイング偏見批判排斥を引き起こしてるので、
わざと啓蒙的に、カネを稼がせる展開にしたのだと思います。

『聖地の路地裏』で読んだのですが、チベット人社会の屠殺も、かつてと異なり、
「慈悲」なき大量ベルトコンベア屠殺になっており、その事実が僧侶から公表され、
大変な反響を呼んだとあります。この映画でも屠殺前と後の場面がありますが、
おそらく棍棒を使った、昔ながらの村の撲殺ではなかったかと思います。

この映画にも酒の問題を抱えたキャラが出ます。彼はまだ巡礼出来る体力も、
共同巡礼生活出来る協調性も残っているのだな、と思いました。
(2016/9/23)

*1:http://ja.forvo.com/word/%E5%86%88%E4%BB%81%E6%B3%A2%E9%BD%90/#zh

*2:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E3%81%AE%E9%83%B5%E4%BE%BF%E9%85%8D%E9%81%94

*3:意味は知りませんが、カムだかアムドではよくある地名なので、「自治区の」と特につけました。漢字表記の異なる"馬爾康"も音はマルカムだし

*4:予告の1.33

*5:予告の1.14ぐらい

*6:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a0/Gong_Li_Cannes_2011.jpg

*7:http://forest.watch.impress.co.jp/library/software/lhaplus/