装幀 菊地信義 苦し紛れ
本邦初のパンマル入門書とのことですが、私にとってむしろ意外だったのは、その一方で、会話集ってけっこう敬語、丁寧語じゃないんじゃない、フランクでフレンドリーで気さくな会話ばっかじゃにゃーの? ってことで。私自身が確認したわけではないのですが、むかし、地球の歩き方かなんか、韓国旅行のガイドブックの会話部分だけコピーして韓国旅行に持って行ったのですが、それを見たヨンセだかソウル大の院卒で、通いの軍隊で(高学歴は宿舎生活でなく、毎日家から軍隊に通う生活が許される)、KBS(京都テレビではありません)に就職した人が、「なぜ日本人は丁寧語で会話見本を載せないのですか、パンマルばかり」と言われたことがあり、そうなのか、ハングルの会話集って、タメ口ばっかりで、丁寧語の表現を載せてないのかと、勝手に思ってしまった、すりこまれた経験があるからです。その人とその妹さんは英語も堪能だったので、ひょっとしたら、日本のガイドブックでなく、くだけた表現だけが好きな英語圏のコリアガイドのハングル例文を念頭に置いて、そういう発言をしたのかもしれません。とまれ、私はそう思ってしまった。
帯とカバー折。どうなんでしょうか。例えば、台湾映画「KANO」で、原住民学生が風呂で、内地人学生に上からでフザケた会話をする場面があり、私はここを見て、てにをはなどの助詞、動詞形容詞形容動詞副詞の語形変化、が舌っ足らずなのになれなれしいと、なんか鼻につくというか、実生活では袋叩きに遭うこともあるだろうという感想を持ちました。中国語はあんまそういうのがないといえばないんだろうけど、微妙にあっても嫌だなと思うので、書面では "冒昧进上" とか、一筆啓上くらいのニュアンスで使ってみたりしてました。主上、おそれながら申し上げます。
もうちょっと卑近な例としては、英語で接客する時に、"Thank you, sir." と、「サー」を自然につけられるかとかでしょうか。私はインド亜大陸人に接する時だけやることにしています。イギリス人やアメリカ人は、きょとんとした顔をするか、当然と流すので、使った甲斐がない。インド人だと、おまいさん面白いこと言うね、みたいな感じになるので、面白い。これが、"Thank you, ミスタル." みたいにミスターの巻き舌英語になると、英語もロクに喋れないのにインド人英語の物真似して楽しいか? としか思われない。私の私見ではWHOのテドロスさんの英語もこんな感じ。話を戻すと、英語で、相手にサーをつける瞬間って、ある種葛藤や壁を乗り越えて、土下座童貞を捨てて人生初土下座をした瞬間のプチ体験みたいな気がするのですが、どうでしょうか。日本語だとなんのこだわりもなく「お客さま」と言ってるのに、「サー」だとなんか相手にへりくだる気持ちが生じるような気がするのは不思議です。米国黒人は、「サー」と言ってもスルーだし。「サー」が出来れば、そのうち「ハイネス」とか「マジェスティ」を使う機会も来るかもしれない(来ません)
ようするに、そういうのも踏まえて、敬語も学ぶし、ためぐち「も」学ぶ形にするのが好ましいのではないかと。本書は共著なので、ひとつひとつの例文に両者が雑文を添えて一冊にしてますが、だいたいヨモダの人が先なので、こうやって写すと、ヨモダばっかりになります。今読み返して「みあなたよ」が「未案」なのを初めて知りました。ミアンはミアネ屋、シガニはシガニー・ウィーバー、チャムガンマンキダリセヨはキダタローで覚えています。
共著者が先に来てる文章の例。
この辺は韓国スナックで聞き取れたらそれでよいかんじの例。あんでぇ、の後は、なんとなく、「シロヨ」が続く気がしますが、気のせいかもしれません。「ちぇみ おぷそ」はよく使うというか、英語でボーリンボーリン言ってるのと同じな気がします。
「ここは退屈迎えに来て」"It's Boring Here, Pick Me Up" 劇場鑑賞 - Stantsiya_Iriya
歌舞伎町の韓国華僑のちゃんぽん屋については以前書きました。
そういうわけでこの本が出た時、逆に、最上敬語ハングル集みたいのはあるのだろうか、そういうのをマスターしようと思う日本人はどれだけいるのだろうかと思ったです。それは、今でもときどき思うこと。以上