デザイン 柴田昌房(30A)初版が2013年12月5日で、読んだのが2018年9月25日の二刷。
著者の手塚治虫なんとか賞受賞作を読む傍ら、お酒をやめた後と、飲んでた時のそれぞれ別の作品を読んでみようと思って、てきとうにホニャコムでクリックした本。ほんとは『ニュクスのランタン』読了後に開こうと思ってたのですが、一昨夜、寝る前にぱらぱらめくってたら、読み終えてしまいました。そんなマンガ。
帯のアオリの、こんなんだけ見たら、そんな漫画かと思ってまいますが、中を開くとまあまあライトエロな、男性読者に寄り添った漫画で、作者がライトエロを描くであろうことは、山本直樹や中村明日美子が描いてるような雑誌、イフ、エロティックスとかそういう雑誌に掲載作があったような気がしたので、不思議でもなんでもないと思ったのですが、かなり比重が、女性読者を置いてけぼりにした男性目線なので、なにこれと思って、寡聞にして知らない掲載誌を検索したら、こんなんでした。
初出◎ナマイキッ! 2012年4月号~2013年10月号
NAMAIKI! ナマイキッ!:竹書房の青年コミック誌サイト ドキドキNavi
本作品が連載されていたころのラインナップは分からねど、2018年春の廃刊(休刊?)時点では「戦う美少女コミック誌」「ライトアダルトコミック」だったようです。それでこういう話なのか。
帯裏見ても、こんなあらすじがきでインカ帝国ですが、当初の連作短編では、やれるかと思ったら男だったとか、謎の乱交奇祭のある秘境とか、ネタ帳のお題を私はこう料理しますた、みたいな摑みから始まっています。フランスで日本よりいち早くその作家性を評価されたセルフプロデュース時代のまんが家は戦前をこう描く、という。
絵は、ニュクスのかすれた書き足し書き足しの線とは違い、昭和の主観的には、かなりアニメです。でもどのみちデジタル作画。男性主人公の造型は、ニュクスと同じで、タイプなのだろうかと思いました。これが男性作家なら、過去に付き合った相手だろうかと推測するのですが、過去を振り返らない、現在を生きる女性作家なので。(私のゆがんだジェンダー観による勝手な思い込み)
荒木町といえば都築響一とか、戦前の新青年なんかと、戦後のカストリ雑誌のエログロナンセンスをごっちゃにしてないかとか、思うような思わないような、でした。
ニュクスの女体は西洋の油絵のようだった気がしますが、こちらは、一昨夜寝ぼけて思ったのは、池上遼一のようだということで、池上遼一は、非常に韓国で真似されていた漫画家ですが、あちらは乳房をぜんぶ印刷出来ないはずなので、幾ら模倣しようとしてもそこだけ摸倣結果を開陳出来ないと思っており、で、池上遼一の描く女性の乳房は、判で押したように同じ形で、きれいなことはきれいなのですが、あまりに様式美が強いので、世の中に追随する人が少ないと思っています。
手塚治虫のように、自分のカミさんがモデルと思われる、大きな乳首をガンガン描いてみたり、あちらの巨乳雑誌のシリコンをそのまま絵にしてさらに妄想でどんどん膨張させていった、現実との乖離が著しい路線、好きなAVがそのまま描く女体になる路線、現代では参考資料がいろいろありすぎるので、池上遼一のような、いつでもどこでもどんなときも同じ乳房のかたちを(「美乳」という単語で表現すればいいのか)描くような強い美学の持主で、かつ現実感を感じさせない作家は、珍しいと思っていて、本作は、それを作画上念頭に置いてないかと思ったのですが、今読み返したら、べつだんそんなことはありませんでした。きれいなヌードではありますけれど、池上遼一を連想させる要素は、特にないかった。
あと、主人公の名前を「じしん」と読んでいたのですが、「ししん」だそうで、それで一発変換も出来るので、そうなんだと思いました。
以上