『月と金のシャングリラ 1 』"Shangri-la for moon & diamond" The First Volume by Kuranishi 読了

 装丁 川谷康久(川谷デザイン)[初出]Webメディア・マットグロッソ2017年3月23日~2018年5月31日掲載分に描き下ろしを加え構成とのこと。巻末に「僕たちの部屋へようこそ」はじめ数点のおまけマンガと、参考文献と、Spacial Thanks。

月と金のシャングリラ 1【電子限定特典付き】
 

 アマゾン、紀伊國屋、本屋クラブのどれかのAIが知らせてくれた、まごうことなきBLマンガ、ではないと思います。BLマンガ読んだことがないのですが、多分違うと思う。昔の花とゆめなど商業誌に載っていたくらいのレベルでは、BLマンガとは言わないのではないか、巨匠作品『風と木の詩』や『残酷な神が支配する』は、BLと言うほどではないと思うのですが、どうか。

作者のひとは、前に講談社のウェブサイトで連載してたやはりチベットを舞台にしたまんが(吉祥寺の本屋で推してたので知った)が、最終巻の紙版が出ないというすこぶる実験的な結末を迎えており、マットグロッソで僧院男子のまんがを始めたとは知っていて、連載をちょろっと読んだこともあったのですが、まさか紙版で単行本が出るとは思ってもみませんでした。こういうのも仏縁とか吉祥とかそういうのでしょうか。作者のペンネームは、直木賞作家東山彰良が「山東」をひっくり返してるのと同様、「さいぞう」でも「せいぞう」でも何故か一発変換されないので「にしくら」で変換してしまいがちな「西蔵」のひっくり返しであることは論を待たないです。私はよく、藤井省三藤井省三北東と書きますが、これは余計なひっくり返し。そのうち、王古蒙とか、疆新太太とか、南雲(云)連合艦隊司令とか、いろいろ出るかもしれません。

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イースト・プレスのWebメディア「マトグロッソ」ではマンガ・文芸・写真ほか、様々なコンテンツを発信中。

マットグロッソはアマゾンがやってると思ってましたが、ちがうとのこと。

matogrosso.jp

検索したら、2013年にもうアマゾンじゃなくなってたんですね。知りませんでした。

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ずっと僕のそばにいて…。 |チベットの僧院を舞台に描く、儚く清らかな、愛の物語。

1945年から物語を始めて、チャムドォ陥落のうわさを聞きつつストーリーが進むので、推して知るべしな展開になると思うのですが、阿来『尘埃落定』のように脳天気に終わってくれないかな、ダメかなと。

ンガプー・ンガワン・ジクメ - Wikipedia

この人を久しぶりに検索したら、ずいぶん表記が変わっていて、逝去の地も、私は晩年は深圳で暮らしたと聞いてたのですが、ずっと北京と書いてあります。情報は絶えずアップデート。

舞台となる孤立した僧院と谷間の景色がとてもよく、朝の清浄な空気が漂ってくるようです。つけられてる地図を見ると、、ナチュとかそういう、西洋人がラサに来れたころは、ランクルチャーターしてウインドサーフィンに行くような湖のあたりの地方らしいのですが、かなり生存環境が厳しいところと思っていて、行ったことないので、こんな活気のある街なのか知りません。そんなに雲南の物資や、モンゴル人やウイグル人が来るのかという。モンゴル人は、巡礼はとおると思います。じゃあ交易商人も来るのかな。雲南も、装身具の瑪瑙とかトルコ石とかが流れて来るから、往来はあってもインカ帝国なのか。回族は、こんなに西洋っぽい顔つきではないと思います。これではパシュトゥーン人の、白髪染めのヘンナが退色してオレンジ色になった人のような。

頁85、ツァンパの説明で、「チンコ麦」という、漢語の〈青稞麦〉から来たことばがやはり使われていて、これとムー(畝、亩)のふたつの単語は、新中国によるチベット解放もの以外のチベットもので目にすると、なんとなく微妙に居心地の悪さを感じます。チベット語の単語もあるとは熱い人から聞いたことがあるのですが、じっさいには現地では滅茶苦茶チンコーとムーが浸透してるのか、漢族相手の会話でだけ出て来る単語なのか。

ja.wikipedia.org

cjjc.weblio.jp

相武台前の本屋兼コンビニで買ったので、イートインや近くのフィリピン料理屋で読もうと思ったのですが、なんとなく読まずに持って帰って、今朝読みました。

参考文献一覧に、チベットの娘と、ダライ・ラマ自伝をもうわざわざ入れなくても、チベットに関心がある人が読むので、そういう人はもう読んでるんじゃいかとも思いましたが、チベット動乱の基礎知識なので、いつも書いておく必要があるのでしょう。セブンイヤーズや木村肥久生、否、西川一三も同様。長田幸康の名前を久しぶりに見て、以前、四川大地震に関して、チベット関連のアムネスティの報告会に行ったら、いてたのを思い出しました。アムネスティも台湾文化なんとかも、ひんぱんに参加しないと、便りが絶え、そのことに気がつかないまま日々暮らしてゆくだけ。便りがあっても都合がつかないと参加出来ないわけなので、没交渉になるのはまあ、けっこう普通とも思います。でも情報は知りたいかな。以上