『牛丼屋にて 団鬼六自薦エッセイ集』読了

装丁ー川上成夫 装画ーMAYA MAXX  本文デザインーCGS・野地恵美子  村瀬秀信『気がつけばチェーン店ばかりでメシを食べている』に出てくるエッセイなので読みました。

 バジリコというのもよく分からない出版社で、カンゼンよりはまだ分かる気もするのですが、リトル・モアのようなオサレ系と勘違いしてると、社長が団鬼六本人に自というか自エッセイ集の話をもちかけて、それでこの本が出たとか。セレクトチョイスに関しては、編集者が過去のエッセイ集を作者に見せて、そこからえったとか。

本業のSM以外で、将棋や食道楽、父親の話(やはり、な人だったとか)などからエッセイをよったそうで、下記のごとく題名を改題しています。

「情けないイモタコ論争」が「イモタコ論争」に

「ロンドンで迷子になった『アルコール性健忘症の二人』」が「アルコール性健忘症」に

「単身渡った“禁煙大国”アメリカでの苦悶」を「禁煙大国」に

「いい年こいて私が口説いた『養老酒場』のママ」を「養老酒場」に

「『一度テストしたい!』篠山紀信の写真に難癖を」が「知らぬが仏」

暴力団と親しくなるのを恐れる作家」を「取材作家」

「お墨付き名刀は『贋作』なり インチキ鑑定士の手練手管」が「名刀」

「同級生」は原題「同級生高島忠夫のモテぶりと、サ言葉を懐かしく思い出す」

「拳銃」は「やくざに売りつけられた拳銃を警察に届けたら……」

「風俗屋形船」は「奇怪に揺れる屋形船には紳士淑女の倒錯市場が…」

「変態の館」は「露出症者、覗き見症者の集いの『変態の館』」

「ヘアとかレイプとか」は「美人アナが『ヘア』『レイプ』を口にする時代になって……」

『鬼六将棋三昧』三一書房1998年、『牡丹』幻冬舎1997年、『鬼六人生三昧』三一書房1995年、『果し合い』幻冬舎1997年、『色即是空徳間書店1998年、『怪老の鱗』光文社2000年、『一期は夢よ、ただ狂え』マガジンハウス2001年、などからよってきたそうです。

『牛丼屋にて』は、吉牛で夜ちびちび酒をやると、上限があるのでとめどなく飲まなくて済むし、一人酒をしてても周りの喧騒がないからうるさくないし、カウンターで人間観察も出来るし、という話。なかなか殺伐としててよかったです。クリスマスの冷えた晩に一人酒を飲んでいて、くだびれた中年男性が連れてきた子どもたちに、編集から家族用にもらったキャンディーやクッキーの詰め合わせをプレゼントする話とか、そっから脱線してイワシ料理の店に行く話とか。

その次の話が『フグの喰べ方教えます』で、作者は琵琶湖の産なので川魚は好きだが海の魚はあまり好まず、例外がフグといわしだとか(たぶん)トラフグ一匹の肝と卵巣の殺人量は十人くらいだから、十分の一くらい人間一人食べたって平気で、むしろ至高の珍味だとか、そういう話が、まっくらな中でウナギを手掴みしてたら、まじってたマムシにかまれてすっごく腫れてあぶなかった同級生の話をマクラにスタートします。

頁114

 下戸は酒の害を知れども、酒の利を知らず、上戸は酒の利を知れども酒の毒を知らず、と言葉が出て、それが滝沢馬琴の言葉であった事を普通なら忘れているのにはっきり思い出すのもフグ毒の効果によるものである。

(略)

 貝原益軒は、酒を戒める事を随分と養生訓の中で書き、「多く飲めば人を害する事、酒に過ぎたるものはなし」と説く一方、「少し飲めば、陽気を助け、愁を去り、興を発して人に益あり」とも書いているが、あれはフグの事だけいってるような気がするのである。

 大麻とか、コカインとかやる人間にどうせやるなら男らしく命を賭けて毒フグの肝をやれ、といってやりたくなる。 

 上は、こっそりフグ肝を出す野毛の店に行った時の話。ベニテングダケみたい、と思いました。フグ肝を食べての高揚の中には、そのあと、さして痺れなくって、無事生還したことへの悦びも含まれるんだとか。黒岩重吾が昆虫食なんかのゲテモノにこって、一時期半身不随になった自伝も思い出しました。平塚の村井弦斎はゲテモノ食いで死んじゃいましたが、生きた人は生きたと。私も今、ルッコラバカ喰いで舌は麻痺するわ円形脱毛症もそのせいじゃないかと疑ってるわで、今日ルッコラぜんぶ引っこ抜こうとして、眠いので寝てしまいましたが、そういう、ハマると中毒性を顧みない人はそういうものをやるべきではないと、あらためて思います。

という話を、テレ東の真木よう子主演のテトロドキシンのドラマを見ながら思いました。髪を伸ばしてたので、検索しないと誰だか分からなかった。化粧も変えてるのかな。

mantan-web.jp

アメリカではスーパーだかファミレスだかのレジにディルドーが置いてあるというエッセーはこれで読んだかと思いましたが、これではなく千葉マサーヤさんのアメリカ紀行だったようです。

高島忠夫のエッセーは「なんとかサ」という言い方が東京ふうで、神戸の大学生のあいだで非常にカッコいいと思われたという話。高島忠夫、関西人だったんですね、知らなかった。

最後の小説は、堺事件を題材にして、将棋のコマをくじ代わりにして、歩を選んだものはお役御免で帰って良し、なにがしかのそれ以外のコマを選んだものは、フランス側死者とバーターの同数切腹もうしつけ(死後藩士とりたて)で、それと、死の直前まで詰将棋の問題を解くことに熱中するひとりの切腹男(けっきょくこの男まででフランス側がゲロ吐いて逃亡したので以後の切腹は中止で残りは助かる)の姿をオーバーラップさせたもので、将棋界からわりとウケたそうです。

堺事件 - Wikipedia

団鬼六のSM小説は讀んだことがなくて、晩年、中央線沿線の、高円寺かそこらの、庶民的なキャバクラでひさびさにこれはというキャバ嬢にめぐりあえたので、調教しようとしたところ(といっても店内で指名するだけだから、ことばによる洗脳チックなものだったのでしょうが)先生にはついていけませんメンゴ、と書き置き残して自殺されたというエピソードくらいしか知りませんでした。ハマに住んでたとかで、ハマの話が割と本書には出てきて、それで神奈川の村瀬秀信という人がくいついてるのかなと納得したところで以上です。