読んだのは昭和六十二年七月の二刷。カバー・吉田秋生
棒腹絶倒の誤植見逃しは、現代ではありえない気瓦斯。
豚は太るか死ぬしかない (早川書房): 1987|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
訳者あとがきは、この賞の性質、傾向などと、訳注をつけないための補足など。トム・コリンズはカクテルの名前なので、トーマス・コリンズという登場人物がトムと呼ばれるのを嫌がるとか、プリンスとはどういう人なのかを説明していて、プリンスまだこの時代知る人ぞ知る人物だったのかなあ、と思うのですが、プリンスとコンボで登場する“アレク・ギネス”という人を私は知りませんでした。原書は1985年刊。
「ペケボン」と訳された単語の原語は何か、とか、チコの母親の日本訛りの英語の原文は何か、とか、原書を見る悦びはそれはそれとしてあるとして、頁29とか、いろいろきわどいというか、21世紀的に訳を手直ししなければという箇所もあると思います。
登場人物が勝手に人の別荘で買い置きの食糧を使ってメシを作ったりジャグジーに入ったりする展開も、ユーモア・ミステリーならでしょうか。こんなほこりまみれのペンションの備蓄をそこの鍋釜で煮炊きしてとか、ちょっと気持ち悪くて食えないと思うのですが。この頃ジャグジーはまだ日本で一般的でなかったのか、「泡風呂」と訳されています。頁125。たぶん一般的でなかったと思う。今でも一般家庭では一般的でないはず。
この本の最大のミステリーは、バターンというと、アメリカ人に論争ふっかけられて日本人が肩身の狭い思いをする上位ランキング事項だと思うのですが、トレースはそこで日本人側に立って、日本のために勇敢に戦って勝利に貢献した英雄、ということになるあたりで(日本人にとって、白人の年齢が読みづらいのもあると思います)、スピルバーグが「1941」を作ってからだいぶ経つ頃の小説で、もうこの頃スピルバーグはインディ・ジョーンズの二作目作ってたと思うのですが、カウンターというか文化多元主義が、こういう笑いを生むところまで行ってたんだなあと思いました。ちょっとこれを、日本や東アジアの関係性の中で、同種の置き換えをするとどうなるか考えましたが、マジでよくあることで別に英雄的ではなかったり、しゃれにならなそうだったりしたので、考えるのやめました。以上