✠カバー・イラストー坂田靖子 ✠カバー・デザインー神崎無現&ミレニアム
JETS COMICS の『村野』(1984年刊)と『ピーターとピスターチ』(1985年刊)の一部を収録して1998年に文庫化したもの、としか書いてないので、おおもとの初出は分かりません。その辺にあったので読みました。出だしの連作は「JUNE」初出だと思うんですが、上記のとおりロンダリングされているので、なんだかわからへんだ。
久住昌之の解説「外の雪を感じるように」によると、彼が装丁したジェツコミックスの『村野』には、作者自身による各作品解題「あとがきと怪説」があるそうなのですが、文庫にはそれはなし。それがどんなにイカレてるかは、久住昌之の引用文から類推すればよいかと。文庫の装丁は彼ではなく、講談社文芸文庫みたいな表紙です。作品のふいんきに合ってる。久住昌之は、ほかにも二冊坂田靖子のジェッツコミックスの装幀をしたとか。久住昌之の解説は器用で誰も傷つけないし外さないのですが、もっと毒吐けるはずという認識があるので、1998年にもうオトナのマナーで世渡りしてインカ帝国とも思いました。ミロの模写など、パーツに関してだけでなく、全体的な世界観にもっと突っ込んでもよかった気瓦斯。
二番目の作品『中華風下宿荘』という題名を見て、讀み始めました。しかし、育ち盛りの下宿生はワンタン一杯では腹がふくれまいと思いました。描かれるBL、否、やおいの軽さ含め、21世紀には疑似的百合で描かれるようになったなにものかの反映と解釋したくてたまらなくなり、男同士の絡みの話はぜんぶ、登場人物が阿佐ヶ谷姉妹だったら、と空想しながら読みました。邪道もいいとこ。
帯。帯裏は、ほかの新刊告知。
はさまってた折り込み新刊広告の本書部分。
表題作は、一見、戦地に赴く学生の悲劇というか、思いに撃たれるような気がするのですが、無事に帰ってこれない確率の高さに比肩すると、「この戦争に日本は勝てるわけがない」という彼の思惑は見事に外れてしまいますので、客観的に読める立場の読者からすると、これ、村野のひとりよがり、ひとりずもうじゃん、となります。要するに日露戦争。そのへんが坂田イズムというか、ウィキペディアに書いてある、下記評論の一つの例かなと。
児童文学史研究家の土井安子は、坂田作品は失敗続きでも生きることを肯定しており、その点は児童文学と共通で、両方を好きな人も多いと述べている[12]。
下は裏表紙。食べる相手にかまわず料理を作る性質が、将来を決めるにあたっての伏線になっているのかも。濃厚な旧制中学の匂いが、金沢の特色として、1970年代のご当地マンガ女子同人界まで覆っていたとは、驚きです、と書くことで、作者がたんにファザコンやブラコンだったんじゃねーの、という指摘を躱す試み。
帯をとると、裏表紙の下五分の二はまっきっき。表紙の桃色、帯の金色からは予想もつかぬ。
『アッシャー家の3代目』や『ピーターとピスターチ』はその後の作風とほぼ同じで、絵ももうそんな感じなので、楽です。坂田靖子のウィキペディアは、批評部分の多くが、別冊文藝なのかそうでないのかよく分からない『総特集 坂田靖子 ふしぎの国のマンガ描き』 河出書房新社(2016年)に依っていて、本書解説に出て来る、矢野顕子が坂本龍一に少女マンガを読んでみたいと相談され、坂田靖子から読んでみたらと回答したというエピソードは入ってません。矢野顕子のインタビューらしいんですけど、見つからないのか、意図が分からないから引用しようがないのか。
ゴーゴーカレーの金沢からは想像も出来ないほど、旧制中学の学風残滓があちこちに散見される(重複表現)本書ですが、「牧師になりにボンに行く」(頁38『中華風下宿荘』)は、ネタ元が分からず、教えてほしいです。ボンは西ドイツの暫定首都で、ミュンヘンやフランクフルトといった大都市をさしおいて、冷戦でドイツが東西に分かれたとき、イギリスやフランスが自国占領地区を差し出さなかったので、米国が自国占領地区からてきとうにみつくろった首都で、ベートーベンの生地くらいしかトピックがないと、欧州現代史でおそわったのですが、なぜそこに牧師になりに行くのか。ケルンとかでなく。神父になりに行くわけないのは、新教旧教で分かるのですが、ボンというのが分かりませんでした。エロ漫画雑誌名の含みでもあるのかな。ほかに、『吸血鬼幻想』や『秘密の愉しみ』にもキリスト教が小道具として登場しますが、ファッションかなと。ボンほどの唐突さは感じられませんでした。
『キノコのベターライフ』は、河出の本の著者インタビューからウィキペディアに引用された「本歌取り」の秀逸さにうならされる作品で、U.S.A.のサバーブの戸建てに少年と父母がいて、少年があやしげなキノコを拾う時点で、『ぼくの地下室へおいで』しか考えられなくなります。ブラッドベリが書いて萩尾望都がマンガしたアレ。作者も世代的にマタンゴとかキノコンガとか知ってるでしょうし、おそろしく親和性があるネタのはずだと思います。それが、ネタバレで、頁214、オーソン・ウェルズが出て来るくだりで、吃驚します。大ゴマだし。オチともストーリーとも何の関係もないんですよね、この大ゴマ。こういうことやるとコマ割りの段階で、「なにこれ、読者はついてこれないよ」とか言われそうなもんですが、
デビュー時の編集長・小長井信昌は漫画界のベテランであったが、坂田のマンガはよくわからないが、読者は面白いと言っているので好きなように描くようにと言い、一般受けする学園ラブコメなどを描くよう強制することも全くなかった[5]。坂田は深く尊敬する編集長のもとで自由に創作し、小長井が1976年に創刊した新雑誌『LaLa』に創刊メンバーとして参加[5][4]。
自分の感覚より読者を信じたという。信じてよかったですね。一部のエロ読者の暴走に引き摺られるとよくないですが、坂田靖子の場合、安心して手放しで見れたのでしょう。ただ、ウィキペディアと本書カバー折ではデビュー作のタイトルがちがっており、ウィキペディアでは『再婚狂騒曲』、カバー折では『結婚狂騒曲』です。《囲城》とはたぶん無関係と思いますが、どうだろう。
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なんとなく、森脇真末味の漫画なども読んでみたくなりましたが、こっちの人は、世紀が変わる頃から、もう描いてないです。いろんな描き手がいる。
以上