戦中から戦後にかけてのビルマ脱共産党作家テインペーミンの短編集を読んでいたら、1977年の晩年の作品で、満員バスで女性と密着する中年男の懸想の中で、本短編集収録『牧歌』が出て来ましたので、読んでみたです。
カバー装画 織田広喜
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裏表紙だけ見ると、モーパッサンのふるさとノルマンディーの気風と人物ばかりが描かれてるように思ってしまいますが、『牧歌』はジェノヴァ発マルセイユ行き列車に乗り合わせた出稼ぎイタリア人同士の話(しかもぐうぜん隣村)で、訳者あとがきによると、モーパッサンの中短編360編の中から65編を選びだした短編集全三巻のうち、ノルマンディーものとその他の「田舎もの」を集めたのが本書ということです。Ⅱは都会もの、Ⅲは戦争(普仏戦争)と怪奇ものだとか。
裏表紙のことばも、目次の作品一覧も、その原題も、新潮社公式に載ってました。裏表紙寫して損した。でも目次を書き写す前で助かりました。べんりべんり。
でも、公式のオリジナル煽り文句も気になったので、置いておきます。
訳者を女性だと思ってました。ので、モーパッサンのノルマンディー方言を写しとったつもりのヘンな訳も許してたのですが、男性となると話が違います。
頁148『木靴』"Les sabots"
そこで、女房が言った。「どっちみち、あたってみたらよかろうに」それから、娘の方に向いて、「おでかさん、わかったか。汝なれはオーモンさんとけえ女中奉公に行くだよ。なんでも、あのかたの言いつけどおりにしにゃいけねえだよ」
役割語とかぜんぜん関係なく、「おでかさん」という娘への呼び方や、汝と書いてなれと読む読み方、「とこへ」が突然「とけえ」と江戸っ子ことばというか、私の地言葉神奈川もこうなんですが、その言い方になる不思議。訳者は山梨だそうなので、やっぱそうなるかな。
頁290『クロシュート』"Clochette"
ぼくはクロシュートのばあやが大好きだった。朝起きるがはやいか、お針部屋へあがってゆくと、彼女は足に行火あんかを入れて、いっしんに縫いものをしているのだった。ぼくを見ると、すぐその行火をむりやりぼくにゆずって、その上にすわらせるのだった。屋根裏の、こんな寒くて、だだっぴろい部屋のなかで、風邪をひいてはいけないからである。
「喉から血んちがひくようにね」
こう彼女は言うのだった。
この「ちんち」は検索で出ませんでした。なんなんだろう。
ちんちんじゃなくて「ちんち」だから、違う。
該当なし。
頁378『田園悲話』"Aux champs"
すると、テュヴァーシュのとっさんはむっとなって言った。
「てめえをくれずにおいたといって、文句をけつかるのか?」
いきなり関西弁。ケツカルコアトル。こういうもろもろが、仏文ギャルのなれのはての口から出るのか、仏文じじいの口から出るのか、どちらかで対応もおのずと異なるというものです。でも、役割語と全国各地からの方言ストームだからといって、新訳すればいいというものでもないでしょうし、なやましいところかな。
私が図書館で借りた本は、ところどころエンピツで線やマルがしてあって、最初はまるで意味が分からなかったのですが、ひょっとしたら、訳について何か考えがあって、そこに印をつけたのかもしれません。でも、図書館本に線引いたりマルしたらダメだお。てめえで買うたはりもってけつかれでゴワス。
頁43『田舎娘のはなし』"Histoire d'une fille de ferme"「白い馬が引っぱっている鋤」に線、鋤にマル。
頁44『田舎娘のはなし』"Histoire d'une fille de ferme"「欲情にうずうずし」に線。
頁241『悲恋』"Miss Harriet"「青い空」の空にマル、「紺青の海」の海にマル。
頁247『悲恋』"Miss Harriet"「老嬢の法悦」の法悦にマル。
頁358『海上悲話』"En mer"「イギリスの海岸」「フランスの海岸」にマル。
頁100、「田紳階級」という単語が出たので検索しましたが、コトバンクに載っているくらいのことばのわりには、藤枝静男の講談社文芸文庫ばっかりが出ます。
頁334『ジュール叔父』
ジェルセー行きというのは、貧乏人にとって、旅行の理想だった。さほど遠いところではなかったが、この島はイギリス領になっていたので、船で海を渡り、外国に行くということになるのだった。だから、フランス人にとっては、二時間の船旅で、隣の国民を、その土地でじかに見物でき、また、人々が無邪気に云々しているところによれば、イギリスの国旗がひるがえっているこの島の風俗習慣を、たとえそれは感心したものでないにせよ、ともかく研究できるはずだった。
この時代の欧州における海外旅行が、博覧強記の為の見聞旅行であり、易経に記された「観光」の語源に忠実であったことが分かります。
でもその「ジェルセー島」を検索すると、この小説ばかりがヒットし、"Jersey"で検索して、「ジャージー島」であると理解しました。でも私はジャージー島もよく知りません。
『田舎娘のはなし』はいいオチだなあ、とか、『アンドレの災難』より乳母のほうが災難だろうとか、『アマブルじいさん』は深沢七郎のようだとか、恋に破れるとよく自裁してるけど、キリスト教の信仰が形骸化してるんだろかとか、太鼓腹やテーブルに腹がつっかえる描写が縷々あるので、19世紀末フランスは既に飽食の時代に入ったんだろうか、アジア・アフリカの生き血を吸ってパリ泰平の世紀末を過ごしていたとすればけしからんけれど、そうでもないのかな、食卓にのぼる動物性蛋白が脂身ばっかなので、この頃既に低所得層ほど高カロリー食で太りやすくなる法則が発動していたのだろうか、などなど思いました。以上