まさか四月に新刊が出ていたとは。これまでの刊行ペースを鑑みて、もっとゆっくりペースかと思ってました。ここ数年、実はいちばん新刊が待ち遠しいマンガになっています。
この時のことを劇中で語るまでに、これほどの時間がかかったとは。[装丁]橋田 洸 協力の三方は変わらず。バーと喫茶店と渦巻き🌀の人。2020年10/6号~2021年3/2号連載。頁6-7の見開きの光芒や、頁144-145のひとがたの群れの絵などは、協力の方のちからを預かったのかもしれないと思います。橋の建設風景はじめ、震災時など、丹念に風景をまんがに溶け込ませていて、見事だと思いました。
これまで、ここまでの描写をあえてしなくてもと考えていたような気もしますが、自然に想いが満ちてきたのか、あるいは星霜のなかで、他からの情報も踏まえて、描こうと決めたのか。
毎日避難所から瓦礫の中に、家族の遺体を探しに出かけ続け、いつのまにか季節は梅雨時になって、叔母が、探しに行く時は男の子のかっこをして行ってね、女の子のカッコだとラチられちゃうから、と言う頁151。こういう話、「なんちゃって被災者」の犯罪は私も阪神淡路の時に聞いていて、最近だと、今年の1月17日の讀賣新聞で安田大サーカスの団長が書いていたなと思い出します。
20歳で経験した阪神大震災は、人間の弱く、汚い部分がたくさん見えた。「近所の女の子が車に引きずり込まれそうになった」「水を入れるタンクを法外な値段で売りつけられた」――。
頁180からの展開。あまりに多くの死体と死を見続けて心が壊れるというくだり。
頁181
さらに追い打ちをかけたのは… 生きている人間…
国や大企業の大勢のオトナたちが平然と嘘をつく姿をいやと言うほど見せつけられた
助成金に群がる蝿のような連中など ヤツらはやさしい笑顔で近付いてきて全てを奪う
あたしたちの心を恨みと憎悪で満たしましょう
ゾクッとくるか、こどもだましと思うか。赤松利市『ボダ子』を思い出しました。赤松利市も双葉社の小説推理に書いてたはず。
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いい加減いつか学芸大の喫茶店に行ってみようと思います。この巻はなかなかというか、相当珠玉でした。ただ、ギターは、池沢さとしが、弾けないので、弾ける人間は世界が広がってうらやましいと何処かで言ってたそうなのを思い出し、そうは言っても大市民の柳沢きみおなど、夜中に部屋にこもってナッツとチーズ食いながらウイスキー飲んでギター弾くだけとエッセーに書いていたので、そういうことだと世界は広がるんだか広がらないんだかと思いました。指がつったり皮がむけたりタコが出来たりする労苦をしなかった人間、そもそも音感のない人間はなんもいえへんだ。ので、クイズ「私は誰でしょう?」も、六人目がチャーということ以外は曖昧模糊で、小林亜星がどっかにいるのだろうか、曙は、くらいな感じです。
以上
【後報】
いじめられっこが音楽の天才という設定時点で、どうしても『BECK』と比べてしまうのですが(『ピアノの森』や『のだめ』(未読)はクラシック畑なので、ポピュラーミュージックと違うと思う)今回も、ギター持ってたら即壊されるというあるあるな展開となり、ただそこで、100人の壊され方があり、100人の立ち直り方があるという、大阪まで鈍行で行こうが新幹線で行こうが立ち直れるものは立ち直れる、特殊ドラえもん理論を考えました。要するに、差し伸べる手もあるし、人は立ち直れる。(その差し伸べる手の中に、善意を装った悪人の手もまじっていて、心が弱ってるので判別がつかずそっちに行きそうになる描写がこのまんがの味でもあります)
(2021/6/4)