エッセー『下級国民A』の書評を何かで見て、それで読んでみて、あと一冊だけ、本業の小説も読んでみようかということで読んだ本。別に読まなくてもよかった。下級国民と同じ題材、東北復興支援の土木事業に参入した関西の業者の一員として過ごした日々を、小説仕立てで書いていて、逆に差異が気になってしまいます。こっちが先で、下級国民があと。ネタバレから先に言うと、ラスト、「翔ぶ」理由が、こっちでは裏金操作がバレ、家族にもとっくに破綻していた一獲千金の嘘がばれ、なのですが、下級では、復興事業の除染は金になるが除草は金にならず、しかし除草込みでないと受注出来ないので、除草だけ下請けに卸して下請けを泣かせる、の構図のドツボにはまって、胸算用の零細経営がだだ狂って、作業員への賃金すら払えなくなった末、になっていて、どっちがほんとなん? という気になります。裏金や銀行の口座貸しは犯罪だから、別途異なる真実の「ノンフィクション」を書く必要があったのか、など、考えてしまいました。
単行本書き下ろし。カバー写真 サトウノブタカ 装幀 新潮社装幀室 (写真と本文は一切関係ありません)と奥付に明記。
ノンフィクションでは「精神病を患った娘」としか書かれてませんが(その割に、ただ「娘」とは書かれず、毎回「精神病を患った娘」と書かれる)こっちでは境界性人格障害と冒頭からはっきり書いていて、その娘の、小学生からの生い立ちが、不在がちな父親から見たこま切れ且つ不正確な印象と、数少ないエピソードとして書かれています。家族の私生活をばんばん小説に書いてしまうことについて、車谷長吉への憧れなどがあってのことでしたでしょうか。
この本のレビューではないかもしれませんが、赤松利市は歳とってから小説書き始めたので、若者ことばなどが古い、というレビューを先に読んでいて、どこが該当するんだろうと読みながら探しましたが、よく分かりませんでした。娘があまりタチがよくなさそうなボランティアなかまと酔ってネッキング乱交っぽいことをする場面を目撃した父とやりとりする下記場面でしょうか。
頁189
「あー、疲れた」
娘が肩を落として言った。そして浩平に微笑み掛けた。
「えらいエネルギッシュな人らやったやろ。元気をもらい過ぎたわ」
娘の息が酒臭かった。
「あんな――」
浩平の言葉を遮るように、娘が抱きついてきた。甘えるような声で言った。
「ごめんな。怒らんといてや。けど、あれくらい元気やないと、きついボランティアの仕事はでけへんねん。被災者の人に、元気をあげる仕事やからな」
浩平の胸に顔を埋める娘に、紛れのない嫌悪を覚えた。
「辞めなさい」
冷たく言った。
「もうボランティアに行くことは許さへん」
断固とした口調で言った。
ドンと娘が、また両手で胸を突いて浩平から離れた。上目遣いに見上げる目が、尋常ではなかった。背筋が冷たくなるような目だった。
「オノレ、何を勝手なこと言うとんど!」
「お、おい、オノレって――」
「子供のころから、さんざんネグレクトして、ようやっとその娘が見つけた生き甲斐まで、アンタは奪う気か。えぇ、ごらぁ。親の勝手も、ええ加減にしとかな、ぶち殺すぞ!」
最後は巻き舌で言った。
「しかし今のままやと……」
「煩いわ! もう、寝る。アタシの人生、これ以上、無茶苦茶にせんといてや!」
これくらい今の関西の子も言いそうな気がします。ここの「ごらぁ」は最初「ゴルァ」だったのを、なんぼなんでもネットスラングをシリアスな会話に混ぜたらあかんでしょ、と編集に言われてなおした気もします。それでいうとタイトルも、2ちゃんのメンヘラ板なんか、「ぼだ」「ぼだ」と、おばあちゃんのぼだぼだ焼きみたいな感じでさかんに「ぼだ」が出ますので、そっから来てるんだろうなと思ってましたが、ボランティアなかまがごく自然に彼女にそういうあだなをつけて、それで主人公の父親は知るという展開です。掲示板でなく、リアルな音波での会話で「ボダ子」頁148がその箇所。父親がそれを知り、無神経なあだなではないかと最初当惑。娘のくったくのない笑顔。
頁146、ボランティア参加にあたり、癲癇や境界性人格障害は問題ないかをスタッフとやり取りする場面、スタッフが「一言で言えば、医師にとって都合の悪い患者を人格障害と判断する傾向がある」とのたまい、下記の本を読めと手渡します。
実在の本を書名入りで出してるのに、ネカフェで作家修業するくらい本の虫な作者=主人公の、この本の感想はありません。編集が削ったのか、作者が書かなかったのか。この本のレビュー見ると、言ってることはいいんだけど、言い方ガー、みたいな。同じテーマなら、もう少し冷静な他の本を薦める人もいます。
頁146や頁148を冒頭に持ってきて、そっから始まる構成にすると、よかったのではないかなあと思うです。ノワール小説として。頁189を経て、被災者に性的サービスをして闇報酬もらって、障害者年金がどうので偽造リスカを彼氏が娘さんにつけもって、頁189にも出てきた、ボランティアに潜り込むタチの悪い連中は、以下ネタバレで、金づるの彼女を手放さないので、連れて東京に逃げてしまう(なぜ作者が東京でネカフェ難民になったかの説明の一端。娘に会うため)
私はこの作者の人は、「下級国民」なんてタイトルの本を書くくらいだから左巻きなはずなのですが、どうも写真や、書いた文章を読むと、貧困へのルサンチマンを、ネトウヨ方向で解消する人生という印象を持ってしまっていて、しかし現在のツイッターを見るとやっぱり左巻きで、しかし本書のようにネットスラング紙一重の単語も使うので、どこがどうなったんだろうなあと思います。頁182や頁142ではこのボランティア団体が革新政党の支援を受けていると書かれていますが、作者はこの時点では中立目線です。頁142は同時に癲癇の処置、気道確保なんかの場面でもあります。
父と娘の物語を父親目線でだけ書いてもそれは独善、ひとりよがりになりがちでしょうから、編集も策を練って、主人公のそれまでの人生を描かせていて、結婚が四回くらいですか、それで後半女性を口説くのがうまいわけではないとか書いているのは、どうかなあと、話半分で読みました。
頁97
酒では、何度か失敗していた。
酒乱ではないが、飲み始めると止まらない。しかしそれは、飲んでいる内に、限度を超えて杯を重ねてしまうというのではなく、飲む前から、酔う質だった。テンションが上がってしまうと、ブレーキが利かなくなる。潰れるほど飲んでしまうのではなく、潰れるために飲んでしまう、とでも言えばいいのか。
女性も同じ感じで。そう考えると、四回くらい結婚してるのも、分かるかと。土木事業でも、公私混同で目をつけた困窮女性を事務員に採用して、いいようにしてますが、アナルセックスばかしするので、女性は成人用おむつをつけて暮らしているとか、どんなノワール小説だよと思いました。その主人公が裏金がバレて、流しの作業員を「アンコ」と呼んだのでリンチされるくだり、一人称が「ボク」になってしまうのはどういうことかと思いました。その女性の男が、東北弁の中に、ときおり岡山弁が混じったような話し方をするのも気になりました。「帰ったでえ」「部長さんも一緒じゃ」みたいな。土木作業員を雇用する際、墨のあるなしって、そんなきっちりチェックするものなのか疑問です。
ボランティアにへんなのが紛れ込んでくるあたりなど、阪神淡路でもあったのではないかという気がしました。同じことが繰り返されてる。作者もそれは知ってるはずと思いながら読みました。でも食い止められない。なんだかなあ。この娘さんも、三十代か四十代になれば、食い物にしようとよってくる男も減るだろうから、それまで生き延びていれば、落ち着いた人生があるのかもしれないが、ファザコンというかんじでもなさそうなので、年上の男性とくっついたりはしなさそうと思いました。以上