『槿(あさがお)』"MORNING GLORY" by Furui Yoshikichi 福武書店版_読了

これもビッグコミック『前科者』に出てくる小説。

マンガに出てくるのは講談社文芸文庫版ですが、図書館には1983年の福武書店版しかありませんでしたので、それを読みました。ので、分厚い解説や、作者略年表、主要作品リストみたいなものは読んでません。初刷がユギオの六月二十五日で、読んだのは七月二十五日のニ刷。

槿 (福武書店): 1983|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

「むくげ」と書いて「あさがお」と読む。ムグンファ(H音)〈무궁화〉と書いてもナッパルコッス〈나팔꽃〉とは読みません。為念。

函装本だったみたいですが、当然ながら図書館本ですので、函はありません。装丁 菊地信義 函画 天球院「籬(まがき)に朝顔図」

global.canon

講談社文芸文庫版のような解説はないかわりに、付録に「古井由吉『槿(あさがお)』文芸時評」の小冊子がついていて、ネタバレも交えて、当時の書評がブッこんであります。

河野多恵子朝日新聞篠田一士毎日新聞、菅野昭正/東京新聞高橋英夫/読売新聞、西尾幹二共同通信、川村二郎/文藝、川西政明/すばる

河野多恵子サンが、主人公に思春期性暴力を振るわれたと思い込んでいる女性は、既婚者のはずなのに旧姓でネ、とチラ書きしてみたり、篠田一士サンは、ふたりのセフレがいる主人公(四十代男性)の妻は、ひっそりとしたキャラで、ほとんど出てこないが「この小説の重要な支点のひとつになりうる」と書いてたり(そのとおりです)西尾幹二サンが、本筋とまるで関係ない、放火魔の挙動についてタクシー運転手が語るくだりをとりあげていたりします。

「作品」1980年11月号~1981年5月号、そのあと「海燕」1982年1月号~1983年4月号連載完結。

これは、不肖アラマタの小説と異なり、なんしか読めました。やったらめったら、21世紀的価値観からすると、ストーカーやら痴漢やら、はては幼少期の姓虐待まで出るのですが、それらすべては、そうした女性と関係を持つ昭和の既婚男性の視点をとおして、フィルタリングされており、もろもろの事象の、現実と妄想の境界があいまいなのは、そのせいもあるように見えます。「女ってやつぁ…」マチズモフィルタ。

不肖アラマタの結婚は1988年で、武者小路実篤を描いた小説を平成元年に出してるわけなので、ほぼ同時進行。西村賢太のように、自分のDVを書くとか、車谷長吉のように書くわけでなく、武者小路実篤にする思考回路がおそろしく「でろり」です。本書の古井由吉さんは、そこまででないので、人間ってふつうやっぱそうだよなあ、と思いました。

古井由吉 - Wikipedia

昔、どこぞのライターの人が、どこぞの雑誌の片隅に書いてたのですが、当時つきあってたメンヘラかなんかのセフレを呼び出してセックルするとき、相手は自分の腹の下で「私、なんでこんなことしてるんだろう」と言って泣くそうで、それで男は、なえそうになるが性欲をとおしてしまうという話で、この小説を読んで、それを思い出しました。不肖アラマタではそれは連想されない。

中表紙 以上