作者の本を何冊か読み、芥川賞受賞作も読んだ方がいいと思って読みました。
読んだのは文庫本。「解説 自由への航海」中川礼二、否、安藤礼二(文芸評論家)所収。著者の本の特徴として、単行本と文庫本は同じ表紙。カバー装画 のりたけ カバーデザイン 名久井直子 装画、装幀も同じ。講談社文庫デザインは菊地信義 本文データ制作は講談社プリプレス管理部ですが、電子版はないです。紙だけ。
『ポトスライムの舟』と『十二月の窓辺』二作が収められていて、どちらも初出は「群像」2008年11月号と2007年1月号。単行本は2009月2月。
『ポストスライムの舟』"post slime's boat"と、ずっと誤読してました。『ポトスライムの舟』をグーグル翻訳しても"pot slime boat"になる。作者は無類のドラクエ好きとエッセーで読んだので、スライムをタイトルに使ってもなんもおかしいことないと思ってました。
マキセ、否、マキタスポーツ、否、ナガセという主人公の名前が一行目だけ漢字フルネームになっていて、解説もそこに触れてるのですが、意味は分かりません。主人公の級友(旧友)とそのむすめだけオウンネームで書かれており、職場のにんげんはみよじ。ナガセの母は「ナガセの母親」としか書かれず、パラサイトとその友人たちに雨風を避ける住居を提供してるのに、個人としての属性は隠蔽されたままです。
近鉄奈良ー阪神三宮間の電車賃が往復¥880とあり、経路検索すると現在は片道¥1,100で、世の中そんなに値上がりしてたっけ? 社会インフラなのに、と思いました。
興福寺の一言観音は御利益がすごいそうで、私は縁切り榎に痛い目に遭っているのですが、こっちなら癒してくれるのだろうかと思いました。後半、主人公はやたら咳き込むようになり、体調を崩すのですが、間質性肺炎だったら故人同様死ぬわけなので、死ななくてよかったと思いました。結核でもなさそう。
この話はそれが芥川賞審査員の琴線に触れたオモネリだったわけでもないのでしょうが、例の世界一周クルーズのポスターが出ます。私はこの、石坂啓のマンガのカバーに推薦文を書いた人のクルーズは、面白いが、議論好きの中年男性が乗って来て議論を吹っかけて来るので、そこが好悪の分かれるところだ、と聞いています。また、ベトナムのサイゴンでは、希望者のみの現地ホームステイ斡旋オプションがあって、その受け入れ家庭アテンドは杉良太郎サンの日本語学校がやってたのかな、是非とも我が家に日本人宿泊を、と希望するベトナム人が多くて、選ばれるにはキックバックガー、という話を聞きました。ホームステイ希望者は、ホームステイ先家庭が、ワイロ払ってその座をゲットしたなぞ、夢にも思わなかったろうなと思います。
『十二月の窓辺』は、おそらく作者自身のパワハラ体験がもとになった小説。あまりに思い入れが強すぎるのか、パワハラの強烈さが迫って来ない小説です。「やられるほうにも一因がある」「誇張、演技も入っているのではないか」などと言われる可能性への身構えが筆致に見られ、読んでいて悩ましかったです。自身の記憶がなまなましくとも、それが逆に共感、否、同情憐憫を呼ぶような文章作成からの遠ざけに寄与してしまう。あわれまれたくない。でも悲惨だったことは伝えたい。二律背反しなくてもよいのにアンビバレントになる喜劇。
……いかにもカンサイないびり、イケズに見えるのですが、どうでしょうか。細かいことからネチネチと。そしてキレ芸。合理性はないので、まともに相手をしようなどと思うこと自体が徒労。
作者の小説は、『この世に楽な商売はない』『これから祈祷に行きます』などの題名、『浮遊霊ブラジル』『うどん陣営の受難』などの題名、そして本書や『水車小屋のネネ』など、題名が三パターンに分かれていて、それで、倉橋由美子と干刈あがたが腕を組んで「ウホッホパルタイ、ウホッホパルタイ、悪い子は万引き家族、ゆりあ先生はいねがー」と喚きもってこん棒で通行人をぶったたきもってこっちに歩いてくるような小説は、芥川賞狙いで一度はやってもいいけれど、賞とったらもうやらなくてもいいと思いました。カジュアルスタイルの私小説は、何度もやる手ではない。そんなよそいきの恰好より、『まともな家のこどもはいない』などの直截的題名の小説のほうが、作者にあってる、そんな気がします。以上