『そうかもしれない』"Maybe. " by Kō Haruto 耕治人 講談社版_読了

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そうかもしれない (講談社): 1988|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

山田太一編『生きるかなしみ』がビッグコミックオリジナル『前科者』に登場したので読み、『生きるかなしみ』で山田太一が、本書も入れたかったが他作品との量的なバランスで入れなかったと言っていたので読みました。

左は中表紙。

読んだのは初版の同年八月の四刷。

題字・装画 中川一政

収録作は三編。

そうかもしれない』"Maybe. "「群像」1988年2月号掲載

入院中の作家を見舞いに訪れた老人施設の妻が、あの人があなたのパートナーデスヨ、と、施設の職員から教えられて、かもしれないと答える話。老老介護のなまなましさ。

男性が老老介護をする原動力が、妻の稼ぎで長年髪結いの亭主として暮らした文芸野郎ならではの、バランスシート感覚にあったこと、忘却の河、などなどが、順不同で語られます。

入院先のナースの親切さも、とつとつと書いています。うれしかったんでしょう。舌の癌か何かだったんでしょうか。

どんなご縁で』"Which kind of bond now do I let you mop my body and urine?"「新潮」1987年11月号掲載

『そうかもしれない』の、助走というか前日譚。オムツをさせる決断がつかぬままのある夜、おもらしをした妻の、あと始末をしていると、妻が、「どんなご縁で、あなたにこんなことを」と言ったという話。てきとうに"bond"(絆)という英単語を上に添えましたが、"fate"(運命)とか"karma"(業)でもいいのかも。

オクサンの襦袢が十枚くらいしかないのに、作家サンの「Tシャツ上下」が百組くらいあって、オクサンが折を見てはどんどん買い足ししていたことを、あとで知ったとあります。「Tシャツ上下」という日本語が分かりませんでした。Tシャツとステテコとか、Tシャツとサルマタ、みたく言うのではないかと考えました。したっけ、検索すると、「Tシャツ上下」でまあまあTシャツと短パンの写真が出ますので、世の中それで分かる人も多いんだなあと。

この家は洗濯機のない家で、じゃぶじゃぶ手洗いで、奥さんはある時突然もうそれが出来なくなって、作家さんはそれを肩代わりして、最初はたいしたことないやんと風呂場で残り湯でやってるのですが、ある時ずんと蓄積した疲労が腰に来ます。'80年代に三種の神器がないくらい取り残された夫婦なのは、DINKS(ダブルインカムノーキッズ)なので、育児で炊事洗濯の量と工数が爆発的に増大せず、子どものクラスメートやママ友などからの情報アップデートや刺激もないかったから。

赤い美しいお顔』"The Red Beautiful face."「文藝」1986年冬季號掲載

著者ウィキペディアによると、「土地トラブル」はほぼほぼ本人の妄想だそうで、その妄想の最終章というか、妄想に沿って往事を回想し、不肖カワバタの在りし日の姿を描いた作品です。戦前戦中は不肖カワバタもヒマだったのか、よく相手をしてくれたが、戦後は忙しくなったせいか冷たくよそよそしくなったとのことで、そりゃ十年一日、ずっとうだつが上がらなきゃあどこかで見切りをつけられるさ、とは、それで友人知人が激変の私が思う感想。

かなぶん、神奈川文学館で昨年やった不肖カワバタ展は見てないのですが、見ていたら本作に関しても何か気づきが書けたかもしれません。耕治人サンは睡眠薬中毒で入院して、後遺症や妄想に悩まされたそうですが、不肖カワバタサンも酒を飲まず睡眠薬中毒で、しらふでディスコに来て、えんえんおどる姉ちゃんの生足を鑑賞してたそうなので、似た者同士の同族嫌悪の面もあったのかもしれません。

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1970年ごろ、赤坂見附でディスコのはしりだった 「むげん」と「ビブロス」の常連が川端康成で、 踊る女性のミニスカートと脚観賞が趣味だった

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川端康成先生が睡眠薬を飲まれなかったら『眠れる美女』とか『片腕』とかという小説を書くことはできなかったろう。また、先生が睡眠薬を常用されなかったら、自殺されるというようなことにはならなかったろう。

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『片腕』収録

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川端康成有馬頼義が自殺を計ったのは、まわりから薬を断たれたからではないかと越路は考えている。 薬を欲する願望は強烈なもので、それをまわりから断たれれば、死に逃れるしかない。 

本作は不肖カワバタの手紙をところどころ入れています。下記、左から、頁112、頁117、頁122、頁131。もっとあります。カワバタ大先生の変体かな文字をわざわざ写植で再現していて、大変な苦労だなと思いました。文選工の人が。

頁117の手紙は、「候(そうろう)」が入った候文(そうろうぶん)です。池上永一テンペスト』で、ダサツマ外交に必須なので琉球官僚の科挙で問われるスキルとして登場した、あのサムライ候文

で、例えば、いちばん左、頁112の手紙の変体かな文字を抜き出すと、下記のような感じです。

「奥様無理なさらぬよう」「お頼みなさい」「出来る事皆な」「拝見した様なわけで」「してあげ」「お手紙を拝見した」
「飯田の方を回って」「御相談承ります」「軽井沢へ帰り」「広瀬様に」「ために」「絶対にお大事にして下さい」
志(し) 奈(な) 尓(に) 里(り) 越(を)

ほかの手紙から、上に出ていない字を抜き出すと、下記。

「発表はまだ確約出来ませんが」「雑誌には一寸長いから」「中では」「非常に結構と」「あなたの従前の御作と」
「幸福と申さねばなりません」「なるべく」「へ相談してみます」「が如何が」
と(登)は(八)ば(八”)へ(遍)が(可”)

なんなんでしょうかね。変体かなを見るのは、漱石の肉筆原稿をそのまま本にしたのを見た時以来です。「が」は読めても意味がとれませんでした。変体仮名をさらに誤植したのかもしれない。以上