『逃げてゆく愛』"LIEBESFLUCHTEN" by BERNHARD SCHLINK 松永美穂訳(新潮クレストブックス)SHINCHOSHA CREST BOOKS 読了

文庫と同じ表紙です。

Sculpture & Photograph by Ryuji Mitani   Design by Shinchosha Book Design Division 新潮社装幀室という他社に類例を見ない内設専従装幀部門について調べようとしましたが、窓際OLの解説も見つかりませんでした。絶対書いてるはずなんですが。若いのに銀髪の女性の動画*1や、個人のブログや、その秘密を公開トークショーでぶちまけます、この企画は終了しました、の告知ばかりが見つかります。

奥付の著者サイン

『逃げてゆく愛』は、愛を擬人化した、やや意訳な邦題だそうで、水平リーベー僕の舟、NANA曲がるシップス藏悪かまではいいとして、"FLUCHTEN"及びその単数形の"Flucht"には、「逃げる」以外に、「一列の」「一直線の」という意味があるそうなので、どう訳したもんだか訳者サンは悩んだとか。愛の惑星直列。

fluchten(ドイツ語)の日本語訳、読み方は - コトバンク 独和辞典

flüchten(ドイツ語)の日本語訳、読み方は - コトバンク 独和辞典

Flucht(ドイツ語)の日本語訳、読み方は - コトバンク 独和辞典

ウムラウトになるかならないかで意味が変わるようにも読めます。

そんなに悩んだのに、この短編集には『逃げてゆく愛』"Liebes Fluchten" という話はありません。厚木市厚木基地がないごとく、否、ないかのごとく、否、なきがごとく。誰か東村山市を東京横田市に改名してみてちょんまげ。

『朗読者』を読んだ時はまだ一冊目なので気づきませんでしたが、意欲的にいろんなシチュエーションの人物を主題において描いたこの短編集だと、モテる人物の頻出がよく理解出来ます。まるで連城三紀彦の小説を読んでるかのようでした。さらにいうと、訳者の松永美穂さんは女性のやりてなので、そういうものを見抜くイーグルアイ、鷹の眼を持っており、さまざまな主人公を散りばめているようにみえるが、どれも中流以上の家庭の出身だと看破しております。比較的知的な環境で育ったともいえるとも。さすが『朗読者』で沖縄に愛人が推薦するだけのことはある。。この本はカバー裏で、川本三郎が推薦してます。

愛し合えば愛し合うほど、近づけば近づくほど、日常生活の底に沈んだ、原罪のような過去の記憶が彼らを引き裂こうとする。その痛苦にこそ心打たれる。

ほかの宣伝文は、南ドイツ新聞"Verena Auffermann"とフランクフルター・アルゲマイネ(知りませんが、フランクフルトの紙媒体と思われます)"Frankfurter Allgemeine Zeitung"、カバー裏だけでなく、カバー折にも宣伝文があり、ベルリン新聞にクリストファー・エッカー"Christopher Ecker"という人、シュピーゲルにフォルカー・ハーゲ"Volker Hage"という人が寄せた文の邦訳が載ってます。

『もう一人の男』"Der Andre" あるそれなりに手取りのある公務員が仕事をリタイアした後、奥さんが乳がんから末期になって、介護して亡くなって、そして、スケコマシみたいな男が、手あたり次第の一環として、過去にエッチした奥さんに出した手紙が届いて、という話。主人公は正体を隠してスケコマシに接近し、人を幸せにする寸借詐欺(と詐欺師本人が信じている)の数々を被害者として体験し、そんなことで妻ロスから立ち直れるものだろうかと思う読者をよそに、立ち直れるだろーみたく無責任に独白して終わります。

『脱線』"Der Seitensprung" 崩壊前に東ベルリンで知り合った夫妻と主人公の、統合後の物語。共に若者です。いわゆる密告者、スパイが統合後明らかになって、という統合後あるあるのはなし。東独のひとって、けっこう海外旅行とかしてるんですね。バカンスもしてるし。スラブ圏や、ギリシャなんかに。そういうクラスだったのかもしれないですが。

『少女とトカゲ』"Das Mädchen mit der Eidechse" 父の秘蔵の一枚の絵と、第二次大戦期の父親の仕事。主人公がその調査をする途中で、図書館司書に気に入られてセフレになるあたりが、いかにも私たちの想像する戦後ドイツ世代。かなりあっけらかんというか、シンプル。

『甘豌豆』"Zuckererbsen" 学生運動の夢から覚めた後、社会で猛然と大活躍して、仕事も恋も大成功、そうなるつもりはなかったのに、気が付けば三人の女性とそれぞれの家庭のあいだを、忙しく往復する生活にいそしむ男性が、無理は続かないもので、知命の五十路を前に、そのどれからも蒸発し、なんちゃって隠者、インチキ修道士の放浪生活に入って、そして事故で重傷を負ったことで女性たちにかぎつけられ、という話。

頁184、「ジャングラー」という言葉が出ますが、ジャグラーではないかという気がしました。

www.kamen-rider-official.com

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頁197、建築家と画家を兼業する主人公の絵がある時期、カヌーを漕ぐ女性ばかり描かれたとあって、そういう絵が表紙の小説を最近読んだのですが、探しても出てきませんでした。模造記憶なのか。

オチが、きれいに収まりすぎた感があるのが難でしょうか。もっと、夾雑物があってもよかった気瓦斯。

『割礼』"Die Beschneidung" アメリカに留学するドイツ人男性がアメリカのユダヤ人女性と恋仲になり、ことあるごとにドイツ人のユダヤ人に対する属性を再確認させられ、また帰国時には親族が戦争中ユダヤ人への戦争犯罪にどう関与したか、思ってもいなかった冷たさというか奥歯にものが挟まった感じに直面し、そういう積み重ねの上、思い余って外科医のタマゴの友人に頼んで自分の包皮を切除してもらう話。

主人公はドイツのドイツ人ですが、ふつうに英語でドイツ語をかわらぬ表現力を身に付けており、外国語なので母語と同じように思考したり感情の表現が出来ないというイライラと完全に無縁です。これも戦後ドイツ人の、特に西独の一面だなあと。ほんとにみんな英語ぺらぺら。

頁236、ゴイムと婚姻してユダヤ共同体を離脱したものは、けして戻ってこないと、恋人の姉から主人公のドイツ人が説明される場面。「カトリックプロテスタントや不可知論者やユダヤ人」という言い方があって、へえと思いました。その四択なのか。

頁240、ドイツで暮らしたことのあるアメリユダヤ人が、過去にああいうことがありながら、ドイツ語にはうんざりした時の表現に「毒ガスで死にそう」大慌てした時に「ユダヤ人のせっかち」混乱は「ポーランドの経済」と言い慣わす慣用句があると、うちうちのパーティで開陳し、主人公は釈明に追われます。そして恋人は、自分でそれを死守するほど大切な文化の核心とも思ってないのに、なぜいっしょうけんめいかばおうとするのかとピロートークで疑問を口にします。相手が傷つくかどうかは相手の問題で、アンコントローラブルなのが分からないのだろうかという。

頁257、ドイツを旅行した恋人は、なぜドイツ人はそこまで清潔や秩序を重んじるのか、まさにナチスがそれを重要視したのは、民族的背景があるかのよう、と不機嫌になります。まあ、ドイツ人のそういうところは、利点のほうが多いと思いますが、どうなんでしょう。

頁261

(略)「それってドイツ的よね、そうじゃない?」

アメリカのユートピア的プロジェクトの研究が?」

ユートピアと聞いてわくわくするところがよ。カオスをコスモスに変え、完全なる秩序を構築し、純粋な社会を作るのだという陶酔。それが空しい努力でもやってみせるという陶酔も、そこには含まれるかもしれないわ。最後に全員が英雄的に、ニヒルに死を迎えるというドイツの伝説を話してくれたことがあったじゃない? ニーベルンゲンだっけ?」

(略)読んだことはないけど、アメリカ文学のことは知っているわ。ユートピア的な実験や、そういうことをした人々、その家族、仕事、友人たち、悩みの数々、そんなことが感激や同情とともに書かれているのよね。でも、ドイツ文学は事務的で根本的よ。カテゴリーとシステムを作り上げ、そのなかに感じられるのは、学問的な解剖をしようという情熱なの」

頁272、十九世紀にはユダヤ人の中でも割礼廃止の議論があったこと、成人の割礼は局部麻酔をしてからやること、すでに割礼済の人がユダヤ教徒として再度割礼する場合(包茎手術してたり、回教徒からの改宗などの場合)は、一度切ったものを二度切ることは出来ないので、象徴的な割礼儀礼になる、等々がユダヤ人から主人公に語られます。こういう話は恋人から聞ける話でないので、別の友人から、べっと。

この話のオチを私はとらえかねていて、というのも、恋人の女性が、実は割礼したチンポとやったことがないというオチかと誤解していて、よく読んだら、割礼してもしてなくてもそれぞれ味があるし、割礼の有無と味には関連性はないという、知識と経験の積み重ねの上に立った総合的判断の記述で、それを受けて、主人公がとった行為が、逃走なのか一時退避なのか分からなかったです。これからどうするんだろう。別れるのか別れないのか。

『息子』"Der Sohn" これがいちばん架空の話で、架空の国の国連停戦監視団に加わったドイツ人が主人公です。ヨーロッパのどこかの、独裁で内戦国なのかな。架空の設定なので、あまり読者としてのめりこまずに終わります。カナダ人として参加している人物が、ベトナム戦争への兵役忌避でカナダに移住したアメリカ人だと分ったり、その人がお騒がせな行動をとる場面は、ちょっとおもしろかったですが、それ以外は、それほど。

『ガソリンスタンドの女』"Die Frau an der Tankstelle" ずっと、夢の中で、車を砂漠のハイウェイかなんかを走らせていて、立ち寄ったスタンドで出て来る女性がいて、繰り返し繰り返しその夢を見ます。そんな初老のドイツ人男性が、奥さんとキャンピングカーでアメリカを長期旅行して、ある日、夢に見たのとまったく同じ場所に立ち寄り、同じ女性が給油に来ます。だもんで声をかけるのですが、

頁332

 彼女は驚いたように、用心深く彼を見つめた。彼女はもう若くはなかった。これまであまりにもしばしば他人と関わり合ってしまい、あまりにもしばしば失望させられた女性特有の用心深さだった。

寂しい場所でひとりでガソリンスタンドやってりゃ、そりゃハエのようにむらがる男に事欠かないでしょうという。この辺がさくっと書けるのが、作者の腕だと思いました。

その後主人公男性がとった行動を、訳者の人は、奥さんはどう思ったかしらと解説で書くのですが、これまた、訳者と作者が拮抗した面白さと言えるかと。わりと呆れますよ、この行動。以上