Mystic Teaching:"Drill Type" Male Stimulation Technique.第十八話ー秘伝・”ドリル式”男性発憤術『ガマの聖談 人生に関する珍考漫考』"Toad's Sacred Talk." -CHINKOU〈Curious Thoughts〉( It sounds like penis. ) and MANKOU〈Pondering〉( It sounds like cunt. ) about Life.- by Kiiti Minami 南喜一(カッパブックス)

ガマの聖談 : 人生に関する珍考漫考 (光文社): 1968|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

南喜一 - Wikipedia

ガマサンが53歳にして男性器を鍛え始めた話は、前にも書いてありましたが、その追記。53歳、AGAが始まったくらいで、勃起力が低下しだしたとか。で、日本にはむかしから挿入を補助する器具として「助舟(たすけぶね)」というものがあったそうで、それを買いに、これもむかしからの言い方で、日本ではアダルトグッズのショップのことを「四つ目屋」というそうで、そこに行ったのではなく、愛用の靴ベラを2/3ほどの大きさに小さくして、Mベラを作り、その用にあてたそうです。

「たすけぶね」の意味や使い方 わかりやすく解説 Weblio辞書

  1. 閨房淫具一種たる鎧形を云ふ。老翁使用すること多き故の別名ならん。隠語大辞典

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ところがそれでもなかなかうまくいかなくなり、思いついたのが、「ドリル式」で、電球を外す時左へ回し、はめる時右へ回すのを応用して、やわらかい男性器を左へ左へと二回転くらいまわして、それを定位置につけ、前へ進めると、右へ戻る力が推進力となって、以下略だそうです。それ以後、ガマさんは鍛錬に励み、やがてその秘伝も不要になったそうです。

question.realestate.yahoo.co.jp

ひらがなの(の)の書き方の反対がゆるむ。
(の)の書き方どおりが締まるですよ。
(の)の書きすぎですよね。

その後は、男性の快楽と女性の快楽の回数の比率はどれくらいがベストか、という話や、おとくいの、インテリ女性ほど、になります。その後は、女性は年齢を経るごとに変わってくるという話。十代は遊戯恋愛で、快楽もさほど底が深いものではなく、相手の外見に左右される面が大きいんだとか。二十代になると、相手の男性の生活力や、肉体、精神の深みが入ってきて、外見オンリーから少し変わるんだとか。クリスマス前後が適齢期なのは、理屈抜きに結婚したくなるからで、三十代前半にはそれが昂進し、男でさえあればよいと書いてますが、たぶんここは口がすべってるはず。別の個所では、誰でもよいではないと書いてるので。その推移をガマサンはオノマトペで表現していて、十代は「ずん」「ずん」で、二十代になるとあいだに一本棒が入って、「ずーん」になり、アラサーになると、オノマトペじゃなくなり、「むしゃぶりついて、なにがなんでも放さぬ」三十代中盤になると、絶頂を迎え、「もう手がつけられない」これがほんとの「女ざかり」になるんだとか。(その後はゆるやかに下降するので、それを防ぎたい人が「御前会」をやったりするのは、前の回で話しています)

若い女性に関する箇所を読んで、相武台前の生協でも元乃木坂でもビルマで国王になったのでもない白石さんはまた別として、小田急線で女性ばっかり斬りつけた三十代だかの男性が、十代から三十代まで、ずっと十代女性ばかりナンパで追いかけまわしていて、だんだん相手にされなくなり(大学時代すでに知人たちから、なぜ年下ばかり追いかけまわすのかと引かれていたそう)それで恨みをつのらせてきたという話を思い出しました。相手は成長すれど、自分は成長しない。その鬱屈を、これまた女性に向ける。男性らしさと女性らしさの垣根がこんなところでも崩れてきたのか、それとも、もともと男性にはそういった素養があったのか、興味深いです。

年齢による快楽の味わい方の違いが感覚的な話でないことを、ガマさんは自身が毎晩記録したノートの統計によって数字的に証明していますが、私はこういうのめんどくさいのであまりちゃんと読まないので、飛ばしました。理系でなく文系なので。

古川柳:毛まんじゅう万民これを賞翫す

もちろん、上の「毛」は現中国初代主席のことではありません。

小見出し:ネジの効用 / 快楽の数学 / 女が底抜けになるとき / 女のほうがド助平

著者・南 喜一 著者・南喜一君のこと サンケイ新聞フジテレビ会長水野成夫みずのしげお  南君にガマ将軍の愛称を呈したのは、『人生劇場』の作者、尾崎士郎であった。そのガマ将軍とごくとの交友はじつに長く、ほぼ半世紀に近い。よくも飽きずにつきあったものである。  しかし、この交わりで得したのはむろんぼくのほうで、彼はぼくたちが、一高や東大でついに学びえなかった人生の機微の数々を、ことこまかに教えてくれたものである。  若いころから、浮世の辛酸に身をさらし、人生の幾山河を踏み越えてきたこの先輩は、処世百般、とくに食生活や性生活については堂々たる見識の所有者で、ぼくなど時のたつのも忘れて彼の話に聞きほれたものだ。 『ガマの聖談』には、そのころの話や、その後の体験記らしきものが、ユーモアに富んだ筆致でみごとに描かれている。  その表現は、ときに猥雑の感をあたえるかもしれないが、よく読むと、読者はそのなかから珠玉の真理をくみとることができるであろう。なぜなら、彼にあっては、食生活の知恵も、性生活の知恵も、そのすべてが、健康と長寿につながっているからである。 〈著者略歴〉明治二十六年石川県に生まる。早稲田大学卒。社会運動家をへて、財界にはいり、現在、国策パルプ会長。ヤクルト本社会長。日本ガン予防協会理事長。合気道八段。昭和四十年藍綬褒章を受章した。

ボーツー先生と福田和也の下記書評対談に登場する本。カーリルで県内図書館に蔵書があると出て来るので(白帝社版かな)公序良俗には反してないと思うのですが、他館本リクエストで数回なしのつぶてだった本。最近思い立って、日本の古本屋で、愛媛の古書店さんから、てごろな値段のものを購入しました。七百円。送料三百円。計千円。

stantsiya-iriya.hatenablog.com

 

裏表紙のサンケイ新聞フジテレビ会長(当時)水野成夫サンの一文は、著者ウィキペディアの記述を裏付けるものです。

著者ウィキペディア

(略)1940年転向仲間の水野成夫と古紙再生会社「大日本再生製紙」を設立する。1945年には宮島清次郎が社長を務めていた国策パルプと合併し、同社の常務取締役となる。(略)

(略)経営が悪化した同球団をヤクルト本社が買収したこの一件について、当時は「水野の窮地を盟友の南が救った」と言われていた。(略)

水野成夫 - Wikipedia

人生の機微と女性の核心にふれる 東京教育大学教授 杉靖三郎  
私は、厚生省栄養審議会や、体力づくり国民会議などの会合で、南さんの「聖談」には、いつも感心させられていた。  その豊富な体験に裏うちされた内容は、私の専門である生理学的立場からみても、スジがとおっていて、たいへん興味深い。  南さんこそは、ほんとうの意味での学識経験者だと、敬服している。  いつも、「聖談」だけで終わるのは、じつに惜しいと考えていただけに、「人生の機微」と「女性の核心」にふれたこの本が世に出ることに、心から拍手をおくりたい。
カバーデザイン・田中一光 著者撮影・田沼武能たけのり
近代実践派の色道武勇伝 性科学者 高橋鐡  
一ページ、いや一行の文が一生のプラスになることもある。この本にはそれがいっぱい。”初交三回説”や、”一寸五分型説” ”マス効用説”をはじめ、”Mベラ” ”人体穿孔機”の発明など、さすがに近代実践派の大モノが豪語した色道武勇伝である。  極左派から、国策事業までの振幅を示した異色頭脳の産物だけあって、性学上の科学的新発見にも驚く。当今流行の労務管理の秘伝も兼ねている。  そのうえ、政財界人、文士、力士が、「粗チンの持主」としてぞくぞく登場するから、痛快きわまりない。

カバー折。田中一光のデザインとは。目次の次のページによると、本文さし絵・藤城清治だそうです。そんなそうそうたるメンバーが、このエロトーク集に結集したと。

杉靖三郎 - Wikipedia 

杉 靖三郎先生を偲ぶ - 日本生理学会

http://physiology.jp/wp-content/uploads/2014/01/064100237.pdf

ja.wikipedia.org

田沼武能 - Wikipedia

いつも元気、いまも現役(文化勲章受章・写真家 田沼武能さん) | 健康長寿ネット

www.jiji.com

田中一光 - Wikipedia

まえがき(昭和四十三年一月二十五日)によると、このトークは、光文社の雑誌「宝石」に昭和四十年十月号から昭和四十二年十一月号まで二年にわたって連載したものをまとめたとか。すでにオープンリール*1の録音装置は普及していましたが、まあ、ライターと編集者にご本人がざっくばらんに語って、ライターがそれをメモして、だいたいな感じで文章に仕立てあげたんだと思います。そのほうがラクだし、ライターも腕が揮える。

KAPPA BOOKS KOBUNSHA 光文社の「カッパ・ブックス」誕生のことば  カッパは、日本の庶民が生んだフィクションであり、みずからの象徴である。  カッパは、いかなる権威にもヘコたれない。非道の圧迫にも屈しない。なんのへのカッパと、自由自在に行動する。その何ものにもとらわれぬ明朗さ。その屈託のない闊達さ。  裸一貫のカッパは、いっさいの虚飾をとりさって、真実を求めてやまない。たえず人びとの心に出没して、共に楽しみ、共に悲しみ、共に怒る。しかも、つねに生活の夢をえがいて、飽くことを知らない。カッパこそは、私たちの心の友である。  この愛すべきカッパ精神を編集モットーとする、私たちの「カッパの本」Kappa Books は、いつもスマートで、新鮮で、しかも廉価。あらゆる人のポケットにあって、読むものの心を洗い、生きる喜びを感じさせる――そういう本でありたい、と私たちは願ってやまないのである。 昭和二十九年十月十日

奥付 昭和43年2月15日初版で、読んだのは同年7月1日の37版(37刷)左上に神吉晴夫サンの名前が見えます。カッパブックスの生みの親はもちろん、「戦後最大の出版プロデューサー」©Wikipediaだとか。

神吉晴夫 - Wikipedia

創業者 神吉晴夫 - かんき出版

神吉晴夫のベストセラー作法十か条

1. 読者の核を20歳前後に置く
2. 読者の心理や感情のどういう面を刺激するか
3. テーマが時宜を得ている
4. 作品とテーマがはっきりしている
5. 作品が新鮮であること。テーマはもちろん、
文体や造本に至るまで今までお目にかかった
ことがないという新鮮な驚きや感動を読者に与える
6. 文章が読者の言葉遣いであること
7. 芸術よりモラルが大事
8. 読者は正義が好き
9. 著者は読者より一段高い人間ではない
10. 編集者は常にプロデューサー・企画制作者の立場に
立たねばならない。先生の原稿を押し頂くだけではダメ

右上の伊藤整『文学入門』と、サラリーマン目白三平シリーズがカッパブックスの最初だったそうで、この巻末広告を見ても、ミッキー安川アメリカ留学記、三笠宮殿下のご著書、中帰聯の三光作戦関川夏央も読み込んだ『にあんちゃん』、わだつみの声、川喜田二郎のヒマラヤもの、ゾルゲ事件連座の尾崎秀実『愛情はふる星のごとく』と、実にバラエティに富んだラインナップになっていて、驚きます。私もこれらの本は読んだり積んだりのはず。

以上