It's A Woman's Trap To Feed You.第二十話ー据え膳食わすは女の罠『ガマの聖談 人生に関する珍考漫考』"Toad's Sacred Talk." -CHINKOU〈Curious Thoughts〉( It sounds like penis. ) and MANKOU〈Pondering〉( It sounds like cunt. ) about Life.- by Kiiti Minami 南喜一(カッパブックス)KAPPA BOOKS

ガマの聖談 : 人生に関する珍考漫考 (光文社): 1968|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

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第二十話にもなると(あと七回ですが)疲れてくるのか、出だしは静かです。ガマサンはほんものの蝦蟇を観察したことがあり、児雷也ではないけれど、石臼の下に入れておいても翌朝には逃げてしまう彼らの忍術や、何時間も大口を開けて獲物を待ち構えて、近づくや否やひゅっと目にもとまらぬ早業で蛞蝓なんかを捉えてしまう彼らの妙技に感嘆しています。

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ガマサンは共食いになるので蝦蟇(がま)を食べたことはないそうで、私はここを今読み返して、最近読んでまだ感想を書いてない『黒部の山賊』にもそんな個所があったなと思いました。戦後の混乱期に黒部の山奥を支配した猟師たちは、ガマが鶏肉のような味がすることは知っていたが、岩魚がなんぼでも捕れたので、わざわざ蟇蛙なんか食べなかったとか。

ガマを何時間でも観察するようなヘンテコリンな人物が自分だと前置きしたうえで、ときどき、昨夜放出した自分の精虫を翌日顕微鏡で観察すると書いています。会長室に三千倍の顕微鏡を置いていて、それで精液を見ると、太い針、つまようじくらいの大きさに精虫が見えるんだそうです。それを見て、かつては切った髪の毛のように折り重なっていた精虫たちが、五分の一くらいの量に減少していて、つくづく年をとったと感じるそうです。

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さすがに動画はあまりなくて(中文では出たので、あるとは思います。英語も試してませんが、あるんだろうな)植物の精子が多かったです。植物にも精子があるんですね。

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なんで前夜の一戦の果ての、死屍累々を見てるかというと、次なる一戦に備えて体調のコンディションを整えるためだそうで、長生きしなはれと思いましたが、七十五歳の人に言うことでもないですね。

そこから話が変わって、「据え膳食わぬは男の恥」というが、ガマサンはどうですかと水を向けられる話を書いています。私は、「据え膳食わぬは武士の恥」で覚えていたのですが、混同する人にありがちな、「武士は食わねど高楊枝」とごっちゃにしてるのかな?

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さらに私は、「据え膳食わぬは武士の恥」と聞くと、必殺仕事人の語り文句、「涙を拭いて、おいでなせえ。陰膳据えて、待っておりやす」を思い出します。この言葉はよく覚えているのですが、復讐の報酬として何両も巻き上げる相手に対し用意するゴハンなのか、相手の身内の犠牲者を弔うゴハンなのか、いまだに腑に落ちてません。国語力ゼロ。

影膳の画像検索結果。故人に捧げるめしみたいですが、なんで関連検索ワードに「木曽路」や「おせち」が入ってるのか分かりません。前者は和食店ですから、精進落としはもちろん出来るようですが、陰膳は分からない。ちなみに、中華料理店で精進落としをすると、デザートの揚げまんじゅうを紅白にしないで白黒にしたりします。

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ガマサンは親鸞聖人出生の地、金沢の出なので、南無阿弥陀仏で功徳になるので、据え膳はいただきますと質問には答えることにしてるそうです。しかし、ここは、この後の話で「弁当」の件が出て、美人局やハニトラにはじゅうぶん用心していることが伺えるので、ちょっと割り引いて考えなければなりません。ネタバレだと。

ガマサンはそもそも女性にふられた経験がないそうで、うらやましい限りですが、据え膳に関しては一回だけ失敗例があるそうです。復員兵帰還でごった返していた頃の青函連絡船で、民間の渡航者も何千人も待機していた頃なので、復員兵優先でなく、民間人との交互輸送を陳情する団体交渉の代表団委員長をガマサンが務めた時に、民間人を各班に分けたその中に女性と子どもばかりの班を作る必要があり、その班の班長を務めた女性が、北海道勇払旭川と、どんどんガマサンの名刺を持ってガマサンを訪ねてきて、単身赴任であったこともあり、彼女の据え膳を食ったのだそうですが、以後、彼女はガマサンの妻を名乗って、自分の姓を「南」にした差し出し人の手紙をときどき送って来るそうです。こういうのもストーカーなのか、ただの詐称なのか。

その次に「お褥すべり」の話が出ます。勇退老兵は死なず、ただ消え去るのみ。みたいな。

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お手つき中﨟も30歳を過ぎると、「お褥御免(おしとねごめん)」あるいは「お褥すべり」といって、側室としての役割を辞退する慣わしがあった。

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ガマサンに言わせると、女は三十過ぎてから、「へべれけ女性」も「サネコロバシ」も三十からなので、昔の殿様、将軍さまは、そっけないセックスしか味わえなくて、お気の毒だそうです。大奥のお褥滑りの目的は、寵愛がひとりに集中することを防ぐためだったそうですから、結果は達成すれど、人間賛歌の真逆だったのかな。

ガマサンにこれを言ってきた女性がなぜそれを言ったかはガマサンも承知していて、ガマサンは女が四十越えると、姥桜になったと思って、それが顔に出るそうです。ほんとにふられたことないのかな。ガマサンとしてはそう言われてもかるがるとOKするわけにもいかず、何故かというと、ガマサンは自分とクロスした人生の女性は老後も原則的に面倒見ることにしてるからだそうで、しかもこれを言っていた彼女は、若い時には一晩に十六回のレコードホルダー(イッた記録)で、最後は腰を抜かして終わったそうなので、そんな功績のある女性を粗略に扱うとバチがあたると思ったそうで。ご馳走様デス。

男女雇用機会均等法等で、女性に生活力がついて、こういうふうに「面倒見る」的発想はだんだん少なくなっていると思います。それでシンママが増えて、養育費バックレも増えて、というふうに紋切り型の展開になってるかは知りません。「お褥すべり」で検索してたら、受験シーズンなのでスキーもスケートもお褥もなべて「すべり」禁止で、死ぬまで夫婦和合みたいな文章を読みました。いい話。犬も食わない据え膳をガッツくあんさんほんにアホ。誰のことでもありません。

章題:ガマと顕微鏡 / 据え膳食ったむくい / お褥すべり

以上

著者・南 喜一 著者・南喜一君のこと サンケイ新聞フジテレビ会長水野成夫みずのしげお  南君にガマ将軍の愛称を呈したのは、『人生劇場』の作者、尾崎士郎であった。そのガマ将軍とごくとの交友はじつに長く、ほぼ半世紀に近い。よくも飽きずにつきあったものである。  しかし、この交わりで得したのはむろんぼくのほうで、彼はぼくたちが、一高や東大でついに学びえなかった人生の機微の数々を、ことこまかに教えてくれたものである。  若いころから、浮世の辛酸に身をさらし、人生の幾山河を踏み越えてきたこの先輩は、処世百般、とくに食生活や性生活については堂々たる見識の所有者で、ぼくなど時のたつのも忘れて彼の話に聞きほれたものだ。 『ガマの聖談』には、そのころの話や、その後の体験記らしきものが、ユーモアに富んだ筆致でみごとに描かれている。  その表現は、ときに猥雑の感をあたえるかもしれないが、よく読むと、読者はそのなかから珠玉の真理をくみとることができるであろう。なぜなら、彼にあっては、食生活の知恵も、性生活の知恵も、そのすべてが、健康と長寿につながっているからである。 〈著者略歴〉明治二十六年石川県に生まる。早稲田大学卒。社会運動家をへて、財界にはいり、現在、国策パルプ会長。ヤクルト本社会長。日本ガン予防協会理事長。合気道八段。昭和四十年藍綬褒章を受章した。

ボーツー先生と福田和也の下記書評対談に登場する本。カーリルで県内図書館に蔵書があると出て来るので(白帝社版かな)公序良俗には反してないと思うのですが、他館本リクエストで数回なしのつぶてだった本。最近思い立って、日本の古本屋で、愛媛の古書店さんから、てごろな値段のものを購入しました。七百円。送料三百円。計千円。

stantsiya-iriya.hatenablog.com

 

裏表紙のサンケイ新聞フジテレビ会長(当時)水野成夫サンの一文は、著者ウィキペディアの記述を裏付けるものです。

著者ウィキペディア

(略)1940年転向仲間の水野成夫と古紙再生会社「大日本再生製紙」を設立する。1945年には宮島清次郎が社長を務めていた国策パルプと合併し、同社の常務取締役となる。(略)

(略)経営が悪化した同球団をヤクルト本社が買収したこの一件について、当時は「水野の窮地を盟友の南が救った」と言われていた。(略)

水野成夫 - Wikipedia

人生の機微と女性の核心にふれる 東京教育大学教授 杉靖三郎  
私は、厚生省栄養審議会や、体力づくり国民会議などの会合で、南さんの「聖談」には、いつも感心させられていた。  その豊富な体験に裏うちされた内容は、私の専門である生理学的立場からみても、スジがとおっていて、たいへん興味深い。  南さんこそは、ほんとうの意味での学識経験者だと、敬服している。  いつも、「聖談」だけで終わるのは、じつに惜しいと考えていただけに、「人生の機微」と「女性の核心」にふれたこの本が世に出ることに、心から拍手をおくりたい。
カバーデザイン・田中一光 著者撮影・田沼武能たけのり
近代実践派の色道武勇伝 性科学者 高橋鐡  
一ページ、いや一行の文が一生のプラスになることもある。この本にはそれがいっぱい。”初交三回説”や、”一寸五分型説” ”マス効用説”をはじめ、”Mベラ” ”人体穿孔機”の発明など、さすがに近代実践派の大モノが豪語した色道武勇伝である。  極左派から、国策事業までの振幅を示した異色頭脳の産物だけあって、性学上の科学的新発見にも驚く。当今流行の労務管理の秘伝も兼ねている。  そのうえ、政財界人、文士、力士が、「粗チンの持主」としてぞくぞく登場するから、痛快きわまりない。

カバー折。田中一光のデザインとは。目次の次のページによると、本文さし絵・藤城清治だそうです。そんなそうそうたるメンバーが、このエロトーク集に結集したと。

杉靖三郎 - Wikipedia 

杉 靖三郎先生を偲ぶ - 日本生理学会

http://physiology.jp/wp-content/uploads/2014/01/064100237.pdf

ja.wikipedia.org

田沼武能 - Wikipedia

いつも元気、いまも現役(文化勲章受章・写真家 田沼武能さん) | 健康長寿ネット

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田中一光 - Wikipedia

まえがき(昭和四十三年一月二十五日)によると、このトークは、光文社の雑誌「宝石」に昭和四十年十月号から昭和四十二年十一月号まで二年にわたって連載したものをまとめたとか。すでにオープンリール*1の録音装置は普及していましたが、まあ、ライターと編集者にご本人がざっくばらんに語って、ライターがそれをメモして、だいたいな感じで文章に仕立てあげたんだと思います。そのほうがラクだし、ライターも腕が揮える。

KAPPA BOOKS KOBUNSHA 光文社の「カッパ・ブックス」誕生のことば  カッパは、日本の庶民が生んだフィクションであり、みずからの象徴である。  カッパは、いかなる権威にもヘコたれない。非道の圧迫にも屈しない。なんのへのカッパと、自由自在に行動する。その何ものにもとらわれぬ明朗さ。その屈託のない闊達さ。  裸一貫のカッパは、いっさいの虚飾をとりさって、真実を求めてやまない。たえず人びとの心に出没して、共に楽しみ、共に悲しみ、共に怒る。しかも、つねに生活の夢をえがいて、飽くことを知らない。カッパこそは、私たちの心の友である。  この愛すべきカッパ精神を編集モットーとする、私たちの「カッパの本」Kappa Books は、いつもスマートで、新鮮で、しかも廉価。あらゆる人のポケットにあって、読むものの心を洗い、生きる喜びを感じさせる――そういう本でありたい、と私たちは願ってやまないのである。 昭和二十九年十月十日

奥付 昭和43年2月15日初版で、読んだのは同年7月1日の37版(37刷)左上に神吉晴夫サンの名前が見えます。カッパブックスの生みの親はもちろん、「戦後最大の出版プロデューサー」©Wikipediaだとか。

神吉晴夫 - Wikipedia

創業者 神吉晴夫 - かんき出版

神吉晴夫のベストセラー作法十か条

1. 読者の核を20歳前後に置く
2. 読者の心理や感情のどういう面を刺激するか
3. テーマが時宜を得ている
4. 作品とテーマがはっきりしている
5. 作品が新鮮であること。テーマはもちろん、
文体や造本に至るまで今までお目にかかった
ことがないという新鮮な驚きや感動を読者に与える
6. 文章が読者の言葉遣いであること
7. 芸術よりモラルが大事
8. 読者は正義が好き
9. 著者は読者より一段高い人間ではない
10. 編集者は常にプロデューサー・企画制作者の立場に
立たねばならない。先生の原稿を押し頂くだけではダメ

右上の伊藤整『文学入門』と、サラリーマン目白三平シリーズがカッパブックスの最初だったそうで、この巻末広告を見ても、ミッキー安川アメリカ留学記、三笠宮殿下のご著書、中帰聯の三光作戦関川夏央も読み込んだ『にあんちゃん』、わだつみの声、川喜田二郎のヒマラヤもの、ゾルゲ事件連座の尾崎秀実『愛情はふる星のごとく』と、実にバラエティに富んだラインナップになっていて、驚きます。私もこれらの本は読んだり積んだりのはず。

以上