Last Year's Battle Record Was 3,068第二十五話ー去年の戦果は三、〇六八回『ガマの聖談 人生に関する珍考漫考』"Toad's Sacred Talk." -CHINKOU〈Curious Thoughts〉( It sounds like penis. ) and MANKOU〈Pondering〉( It sounds like cunt. ) about Life.- by Kiiti Minami 南喜一(カッパブックス)KAPPA BOOKS

ガマの聖談 : 人生に関する珍考漫考 (光文社): 1968|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

南喜一 - Wikipedia

前回で七十五歳なのにデイゲームナイトゲームダブルヘッダーみたいなこと書いてたので、それへのツッコミがあったとみえ、解答というか証明から始まってます。曰く、今年は例年になく暑い夏で、アツがナツいと女に近づくのがいやな男もいるが、自分は反対で、暑いから女性の許へ通い、「真昼の炎天下に一発お見舞い申し上げてきた」とか。相変わらず好き放題書いてるなと思いました。暑気払い。

頁241

 おれの手帳では、ゆうべはインサート三回で女が六回達したという記録になっておる。

 その前の日は、YとIの二人のところに行ったことになっているな。Yのところへ五時ごろ行って、九時からIのところへ行った。

 この日はインサートが三回で、相手を六回ダウンさせている。もっとも、そこでおれも放出しておる。

 その前の日が、おなじく昼と夜がだぶっている。

 さいきんはこのように、やたらだぶっている日が多いな。理由はレギュラー六人のうち(以下略)

鉄拳が「こんな75歳はいやだ」という紙芝居を描くかどうか。今だとバイアグラがあるわけですが、その助けを借りてこのペースの営みをしたとして、こんなに絶えず血管を拡張させていたら、それはそれで大いにさしさわりがありそうです。年をとると血管ももろく、切れやすくなる。

そこから、ダブルヘッダーの二試合目の相手からの疑念払拭の言い訳の続きとなり、尾崎士郎も文学の極意は「かくもあろうか、かくもあるべし」と言っていて、事実をそのまま書いても作品にならないだろうとか、人を楽しませ喜ばせることが老境に達した自分の生きがいなので、ほかに私心はないよと言ったりするとか。

ガマサンは、ご本人によると、女性をひと晩に何回も達せさせることが出来るので、相手はたまらんというか、女性がそれに耐えうるフィジカルな資本を形成するには、やはり最低五年から七年はかかるそうです。若いうちはいってばっかだと体がもたないそうで、数年がかりでシャッター筋が鍛えられて初めて、心赴くままに達する性交と、平々凡々な日常生活を両立出来るのだとか。

そのあとはまた好き放題書いていて、レギュラー六人は十年選手だ二十年選手だ、準レギュラーはやはり準だ、二十代の予備軍はすでにいるが、予備軍としては若いのだけでなく、一寸五分の小陰唇や、カワラケ(パイパン)で饅頭型がほしい、イボつきのいそぎんちゃくもほしい、等々です。

大昔のガラケー時代、ロンブーの敦が何かのバラエティ番組で、誰かにパカッと自身のガラケーを開けられたが、もういきなり画面に鍵がかかってロックされていて、手にした人間は何も見れなかった場面を、たまたま歯医者で見てましたが、ガマサンも手帳をすべて暗号で書いているそうです。それは戦前地下運動をやっていたからで、しかし肝心の地下運動の暗号のほうは、警視庁に解読されていてすべて筒抜けだったとか。現在のガマサンの暗号は、例えばある女性の電話局番が四〇八だと「ヨレバナガブロ」にするといったようなスタイルだとか。同様に女性も、パルプのほうかヤクルトか知りませんが、「っごくイイ、パパ、イイ」でガマさんの会社の番号を覚えていたそうです。その番号は、今では虎ノ門のカフェに使われているようなのですが、その店はコロナカでの営業実態が不明で、食べログは掲載を見合わせていました。

なぜガマサンが手帳をつけているかについて、また別の由来が語られます。松永安左ェ門の米寿祝のパーティーに行って、翁と取り巻きが猥談に花を咲かせていくところに行った時に、翁から、おお弱輩よ、自分も七十四歳まではじゃんじゃんやったが、七十五を過ぎるとガクンと落ちるデ、と言われ、それで七十過ぎてからセックス・メモをつけるようにしたんだとか。

ja.wikipedia.org

www.ikikankou.com

電力の鬼”松永安左エ門記念館、ふるさと資料館”|ミュージアム情報|長崎県 歴史・文化ポータルサイト■ながさき歴史・文化ネット

www.mugishochu-iki.com

www.city.odawara.kanagawa.jp

小田原市 | 登録有形文化財・松永記念館 老欅荘

手帳のデータをまとめることで、いろいろ知見を得ることが出来、例えば昭和三九年は八九回放出、昭和四十年は七九回、四一年が六四回で、年々放出を控えるようになったのが分かるそうです。昭和四十一年のデータによると、女性を訪問したのが三八七回、挿入が一、一七四回、放出六四回、女性が達した回数は三、〇六八回だとか。三、〇六八回の内訳で、この年に性交した女性は十人から十一人だったそうですが、一七三回の挿入で五七一回アクメに達した女性が最多で、逆に、ひとりだけ、一五回挿入して一四回しかイカなかった女性がいるそうです。必ず女性をいかせることが出来ると豪語してるガマサンなので、ウソをついて隠してもよいのに、まじめに書いている。傑物はそこがちがうのか。詭弁を弄したり虚勢を張ったりしてもしょうがない。ありのままの生身で勝負。

https://www.kanazawa-museum.jp/ijin/exhibit/img/16hosono_img/16hosono_face.jpgこの後、金冷法の奨励の話に移り、そんなことまでガマサンはメモにとっているので、ある女性のところでは、性交中、累計二百二十七回、中座して水屋に行って水で冷やしたと記録に残っているそうです。相手がよすぎるとあとあと性器がちぢまないこともあるので、その予防も兼ねているとか。ガマサンの師の細野燕台サン(左の人)は、めんどうでも一日一回は冷すべしと遺訓を残したそうです。上述の松永安左ェ門や伊東深水らもまた門下生だったとか。

この師は、たいへんな逸物だったそうで、ガマサンは冗談で、首から吊って歩いては如何かと問うたくらいだそうです。

常設展 | 金沢ふるさと偉人館

細野燕台 - Wikipedia

で、この後、ある男が、自分は終わった後、女性に按摩をさせるという自慢話をするのに対し、ガマサンは、女性がほんとうにエクスタシーの連続だったら、足腰立たないほど疲れて、按摩など出来ようはずもないので、この男はまだまだ本当には女性を知らない、という、前にも聞いたような話を書いてます。前にも言ったことを繰り返し言うようになると、連載としてはもうおしまいかなと思い、そのとおり次回で最終回。

著者・南 喜一 著者・南喜一君のこと サンケイ新聞フジテレビ会長水野成夫みずのしげお  南君にガマ将軍の愛称を呈したのは、『人生劇場』の作者、尾崎士郎であった。そのガマ将軍とごくとの交友はじつに長く、ほぼ半世紀に近い。よくも飽きずにつきあったものである。  しかし、この交わりで得したのはむろんぼくのほうで、彼はぼくたちが、一高や東大でついに学びえなかった人生の機微の数々を、ことこまかに教えてくれたものである。  若いころから、浮世の辛酸に身をさらし、人生の幾山河を踏み越えてきたこの先輩は、処世百般、とくに食生活や性生活については堂々たる見識の所有者で、ぼくなど時のたつのも忘れて彼の話に聞きほれたものだ。 『ガマの聖談』には、そのころの話や、その後の体験記らしきものが、ユーモアに富んだ筆致でみごとに描かれている。  その表現は、ときに猥雑の感をあたえるかもしれないが、よく読むと、読者はそのなかから珠玉の真理をくみとることができるであろう。なぜなら、彼にあっては、食生活の知恵も、性生活の知恵も、そのすべてが、健康と長寿につながっているからである。 〈著者略歴〉明治二十六年石川県に生まる。早稲田大学卒。社会運動家をへて、財界にはいり、現在、国策パルプ会長。ヤクルト本社会長。日本ガン予防協会理事長。合気道八段。昭和四十年藍綬褒章を受章した。

ボーツー先生と福田和也の下記書評対談に登場する本。カーリルで県内図書館に蔵書があると出て来るので(白帝社版かな)公序良俗には反してないと思うのですが、他館本リクエストで数回なしのつぶてだった本。最近思い立って、日本の古本屋で、愛媛の古書店さんから、てごろな値段のものを購入しました。七百円。送料三百円。計千円。

stantsiya-iriya.hatenablog.com

裏表紙のサンケイ新聞フジテレビ会長(当時)水野成夫サンの一文は、著者ウィキペディアの記述を裏付けるものです。

著者ウィキペディア

(略)1940年転向仲間の水野成夫と古紙再生会社「大日本再生製紙」を設立する。1945年には宮島清次郎が社長を務めていた国策パルプと合併し、同社の常務取締役となる。(略)

(略)経営が悪化した同球団をヤクルト本社が買収したこの一件について、当時は「水野の窮地を盟友の南が救った」と言われていた。(略)

水野成夫 - Wikipedia

人生の機微と女性の核心にふれる 東京教育大学教授 杉靖三郎  
私は、厚生省栄養審議会や、体力づくり国民会議などの会合で、南さんの「聖談」には、いつも感心させられていた。  その豊富な体験に裏うちされた内容は、私の専門である生理学的立場からみても、スジがとおっていて、たいへん興味深い。  南さんこそは、ほんとうの意味での学識経験者だと、敬服している。  いつも、「聖談」だけで終わるのは、じつに惜しいと考えていただけに、「人生の機微」と「女性の核心」にふれたこの本が世に出ることに、心から拍手をおくりたい。
カバーデザイン・田中一光 著者撮影・田沼武能たけのり
近代実践派の色道武勇伝 性科学者 高橋鐡  
一ページ、いや一行の文が一生のプラスになることもある。この本にはそれがいっぱい。”初交三回説”や、”一寸五分型説” ”マス効用説”をはじめ、”Mベラ” ”人体穿孔機”の発明など、さすがに近代実践派の大モノが豪語した色道武勇伝である。  極左派から、国策事業までの振幅を示した異色頭脳の産物だけあって、性学上の科学的新発見にも驚く。当今流行の労務管理の秘伝も兼ねている。  そのうえ、政財界人、文士、力士が、「粗チンの持主」としてぞくぞく登場するから、痛快きわまりない。

カバー折。田中一光のデザインとは。目次の次のページによると、本文さし絵・藤城清治だそうです。そんなそうそうたるメンバーが、このエロトーク集に結集したと。

杉靖三郎 - Wikipedia 

杉 靖三郎先生を偲ぶ - 日本生理学会

http://physiology.jp/wp-content/uploads/2014/01/064100237.pdf

ja.wikipedia.org

田沼武能 - Wikipedia

いつも元気、いまも現役(文化勲章受章・写真家 田沼武能さん) | 健康長寿ネット

www.jiji.com

田中一光 - Wikipedia

まえがき(昭和四十三年一月二十五日)によると、このトークは、光文社の雑誌「宝石」に昭和四十年十月号から昭和四十二年十一月号まで二年にわたって連載したものをまとめたとか。すでにオープンリール*1の録音装置は普及していましたが、まあ、ライターと編集者にご本人がざっくばらんに語って、ライターがそれをメモして、だいたいな感じで文章に仕立てあげたんだと思います。そのほうがラクだし、ライターも腕が揮える。

KAPPA BOOKS KOBUNSHA 光文社の「カッパ・ブックス」誕生のことば  カッパは、日本の庶民が生んだフィクションであり、みずからの象徴である。  カッパは、いかなる権威にもヘコたれない。非道の圧迫にも屈しない。なんのへのカッパと、自由自在に行動する。その何ものにもとらわれぬ明朗さ。その屈託のない闊達さ。  裸一貫のカッパは、いっさいの虚飾をとりさって、真実を求めてやまない。たえず人びとの心に出没して、共に楽しみ、共に悲しみ、共に怒る。しかも、つねに生活の夢をえがいて、飽くことを知らない。カッパこそは、私たちの心の友である。  この愛すべきカッパ精神を編集モットーとする、私たちの「カッパの本」Kappa Books は、いつもスマートで、新鮮で、しかも廉価。あらゆる人のポケットにあって、読むものの心を洗い、生きる喜びを感じさせる――そういう本でありたい、と私たちは願ってやまないのである。 昭和二十九年十月十日

奥付 昭和43年2月15日初版で、読んだのは同年7月1日の37版(37刷)左上に神吉晴夫サンの名前が見えます。カッパブックスの生みの親はもちろん、「戦後最大の出版プロデューサー」©Wikipediaだとか。

神吉晴夫 - Wikipedia

創業者 神吉晴夫 - かんき出版

神吉晴夫のベストセラー作法十か条

1. 読者の核を20歳前後に置く
2. 読者の心理や感情のどういう面を刺激するか
3. テーマが時宜を得ている
4. 作品とテーマがはっきりしている
5. 作品が新鮮であること。テーマはもちろん、
文体や造本に至るまで今までお目にかかった
ことがないという新鮮な驚きや感動を読者に与える
6. 文章が読者の言葉遣いであること
7. 芸術よりモラルが大事
8. 読者は正義が好き
9. 著者は読者より一段高い人間ではない
10. 編集者は常にプロデューサー・企画制作者の立場に
立たねばならない。先生の原稿を押し頂くだけではダメ

右上の伊藤整『文学入門』と、サラリーマン目白三平シリーズがカッパブックスの最初だったそうで、この巻末広告を見ても、ミッキー安川アメリカ留学記、三笠宮殿下のご著書、中帰聯の三光作戦関川夏央も読み込んだ『にあんちゃん』、わだつみの声、川喜田二郎のヒマラヤもの、ゾルゲ事件連座の尾崎秀実『愛情はふる星のごとく』と、実にバラエティに富んだラインナップになっていて、驚きます。私もこれらの本は読んだり積んだりのはず。

以上