Fundamental Principle of “Standing at 75”第二十六回ー「七十五歳にして立つ」根本原理『ガマの聖談 人生に関する珍考漫考』"Toad's Sacred Talk." -CHINKOU〈Curious Thoughts〉( It sounds like penis. ) and MANKOU〈Pondering〉( It sounds like cunt. ) about Life.- by Kiiti Minami 南喜一(カッパブックス)KAPPA BOOKS

ガマの聖談 : 人生に関する珍考漫考 (光文社): 1968|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

南喜一 - Wikipedia

ガマサンのウィキペディアを見ると、本書は、さんざんエロ話を語っておいて、〆は健康のためヤクルトを飲めという、身も蓋もない本であるとなっています。

最初私は本書を読んだ時、女をモノにする究極の楽しみは奈辺にありやと人に尋ねられ、そう正面切って聞かれると困るが、やはり処女地開拓と、よその男が開墾した地を沃野に変えてやる楽しみではないかと読んでしまい、前者は、家康のように、鳴かぬなら鳴くまで待とう不如帰で、外堀から内堀まで埋め立てて、相手が嫌がることなく無血開城させる悦びだそうで、あくまで血ィ見るようなことになったらアキマヘン、で、後者は、男をすでに知った女性を徹底的に仕込んで、脳天から魂が天外飛仙の思いをさせ、インテリをドスケベ女に仕上げる愉悦といったら、ほかにありまへんというふうに読み、けっきょく征服欲かいなと思ったりもしたのですが、今読み返すとそれは第二十四回に書いてあることで、最終回は、やっぱり「ヤクルトは欠かせない」でした。

人間の三大欲望、食事と睡眠とセックス、この三つが満たされることで人は幸せになれるというのがガマサンの自説で、しかもその順番は、セックス、睡眠、食事なんだとか。不眠症の人は性的にノーマルでなかったりで、横で母ちゃんが鼻いびきでガーガー寝てたら、それは父ちゃんがちゃんとやることやって満足させてる証拠で、なんの心配もいらない、というのがガマサンの持論。

こういった人間の本能をもコントロールしたのが米軍で、米軍支給のタバコは、性欲を抑制する成分が入っているというのもガマサンの信奉する説です。メンソール吸ってると勃たなくなるとは聞きますが、米軍がメンソール開発したってことでしょうか。ここでまた同郷の佐藤賢了大佐が登場し、ガマサンは大佐に、皇軍もそれに類するものを開発したことはあるのか聞き、ノーと回答を得て、彼我の国力の差がそこまで及んでいたことに慄然としたそうです。

そことも関連がありますが、ガマサンがなぜ講演で猥談を始めたのかのオリジンが語られ、その黎明は、北海道で工場長をやっていた折、なぜ現場で事故が起こるのかの理由を徹底的に追求した際、戦後の物資のない時期なので設備の不備はもちろんですが、事故を起こす工員は、ほぼ例外なく性生活の破綻した工員、性生活のうまくいっていない工員ばかりだったことが解明された時です。未然に防ぐには、彼らへの性生活指南こそ最高の防御策。ガマサンは魔法の棒の効用を口をすっぱくしてかき口説き、「女房がウンと言わねえもんどうしようもねえじゃねえですかい」などの逆切れを、刀は使わなければ錆びる、宝の持ち腐れはイカンゴレン、具体的にはこのように使うのだよと微に入り細に入り説明し、時には頑固な女房も会社に呼んでセッキョーしたんだとか。結果、目に見えて事故は減少し、爾後、ガマサンの会社では、事故へは表面的対策だけでなく、抜本的処置、すなわち現場ひとりひとりのセックスケアまで対応せよとなったそうです。

ここから、さすが聖なる談義、また話は暴走して、乳がん子宮がん発生率と十分な性交渉回数との関係にまで触れていますが、まあなんというか、七十五歳のご老体のおっしゃってることですから。前立腺がん、睾丸がんには触れてません。

その後は、最初が乱暴だった場合などを書いていて、その後は食生活に気をつける、ヤクルト、などになり、最後は、若い頃の十年にも匹敵する二年という時間を費やしてこの本を自分は書いた。十年後もピンピンしてるだろうから、十年後また続刊を書きたい。データは蓄積しておく。諸君、十年後、また会おう。と書いて〆、二年後逝去します。

色即是空、空即是色。以上

 以下しばらく、藤城清治サンの挿絵をお楽しみください。

 

著者・南 喜一 著者・南喜一君のこと サンケイ新聞フジテレビ会長水野成夫みずのしげお  南君にガマ将軍の愛称を呈したのは、『人生劇場』の作者、尾崎士郎であった。そのガマ将軍とごくとの交友はじつに長く、ほぼ半世紀に近い。よくも飽きずにつきあったものである。  しかし、この交わりで得したのはむろんぼくのほうで、彼はぼくたちが、一高や東大でついに学びえなかった人生の機微の数々を、ことこまかに教えてくれたものである。  若いころから、浮世の辛酸に身をさらし、人生の幾山河を踏み越えてきたこの先輩は、処世百般、とくに食生活や性生活については堂々たる見識の所有者で、ぼくなど時のたつのも忘れて彼の話に聞きほれたものだ。 『ガマの聖談』には、そのころの話や、その後の体験記らしきものが、ユーモアに富んだ筆致でみごとに描かれている。  その表現は、ときに猥雑の感をあたえるかもしれないが、よく読むと、読者はそのなかから珠玉の真理をくみとることができるであろう。なぜなら、彼にあっては、食生活の知恵も、性生活の知恵も、そのすべてが、健康と長寿につながっているからである。 〈著者略歴〉明治二十六年石川県に生まる。早稲田大学卒。社会運動家をへて、財界にはいり、現在、国策パルプ会長。ヤクルト本社会長。日本ガン予防協会理事長。合気道八段。昭和四十年藍綬褒章を受章した。

ボーツー先生と福田和也の下記書評対談に登場する本。カーリルで県内図書館に蔵書があると出て来るので(白帝社版かな)公序良俗には反してないと思うのですが、他館本リクエストで数回なしのつぶてだった本。最近思い立って、日本の古本屋で、愛媛の古書店さんから、てごろな値段のものを購入しました。七百円。送料三百円。計千円。

stantsiya-iriya.hatenablog.com

裏表紙のサンケイ新聞フジテレビ会長(当時)水野成夫サンの一文は、著者ウィキペディアの記述を裏付けるものです。

著者ウィキペディア

(略)1940年転向仲間の水野成夫と古紙再生会社「大日本再生製紙」を設立する。1945年には宮島清次郎が社長を務めていた国策パルプと合併し、同社の常務取締役となる。(略)

(略)経営が悪化した同球団をヤクルト本社が買収したこの一件について、当時は「水野の窮地を盟友の南が救った」と言われていた。(略)

水野成夫 - Wikipedia

人生の機微と女性の核心にふれる 東京教育大学教授 杉靖三郎  
私は、厚生省栄養審議会や、体力づくり国民会議などの会合で、南さんの「聖談」には、いつも感心させられていた。  その豊富な体験に裏うちされた内容は、私の専門である生理学的立場からみても、スジがとおっていて、たいへん興味深い。  南さんこそは、ほんとうの意味での学識経験者だと、敬服している。  いつも、「聖談」だけで終わるのは、じつに惜しいと考えていただけに、「人生の機微」と「女性の核心」にふれたこの本が世に出ることに、心から拍手をおくりたい。
カバーデザイン・田中一光 著者撮影・田沼武能たけのり
近代実践派の色道武勇伝 性科学者 高橋鐡  
一ページ、いや一行の文が一生のプラスになることもある。この本にはそれがいっぱい。”初交三回説”や、”一寸五分型説” ”マス効用説”をはじめ、”Mベラ” ”人体穿孔機”の発明など、さすがに近代実践派の大モノが豪語した色道武勇伝である。  極左派から、国策事業までの振幅を示した異色頭脳の産物だけあって、性学上の科学的新発見にも驚く。当今流行の労務管理の秘伝も兼ねている。  そのうえ、政財界人、文士、力士が、「粗チンの持主」としてぞくぞく登場するから、痛快きわまりない。

カバー折。田中一光のデザインとは。目次の次のページによると、本文さし絵・藤城清治だそうです。そんなそうそうたるメンバーが、このエロトーク集に結集したと。

杉靖三郎 - Wikipedia 

杉 靖三郎先生を偲ぶ - 日本生理学会

http://physiology.jp/wp-content/uploads/2014/01/064100237.pdf

ja.wikipedia.org

田沼武能 - Wikipedia

いつも元気、いまも現役(文化勲章受章・写真家 田沼武能さん) | 健康長寿ネット

www.jiji.com

田中一光 - Wikipedia

まえがき(昭和四十三年一月二十五日)によると、このトークは、光文社の雑誌「宝石」に昭和四十年十月号から昭和四十二年十一月号まで二年にわたって連載したものをまとめたとか。すでにオープンリール*1の録音装置は普及していましたが、まあ、ライターと編集者にご本人がざっくばらんに語って、ライターがそれをメモして、だいたいな感じで文章に仕立てあげたんだと思います。そのほうがラクだし、ライターも腕が揮える。

KAPPA BOOKS KOBUNSHA 光文社の「カッパ・ブックス」誕生のことば  カッパは、日本の庶民が生んだフィクションであり、みずからの象徴である。  カッパは、いかなる権威にもヘコたれない。非道の圧迫にも屈しない。なんのへのカッパと、自由自在に行動する。その何ものにもとらわれぬ明朗さ。その屈託のない闊達さ。  裸一貫のカッパは、いっさいの虚飾をとりさって、真実を求めてやまない。たえず人びとの心に出没して、共に楽しみ、共に悲しみ、共に怒る。しかも、つねに生活の夢をえがいて、飽くことを知らない。カッパこそは、私たちの心の友である。  この愛すべきカッパ精神を編集モットーとする、私たちの「カッパの本」Kappa Books は、いつもスマートで、新鮮で、しかも廉価。あらゆる人のポケットにあって、読むものの心を洗い、生きる喜びを感じさせる――そういう本でありたい、と私たちは願ってやまないのである。 昭和二十九年十月十日

奥付 昭和43年2月15日初版で、読んだのは同年7月1日の37版(37刷)左上に神吉晴夫サンの名前が見えます。カッパブックスの生みの親はもちろん、「戦後最大の出版プロデューサー」©Wikipediaだとか。

神吉晴夫 - Wikipedia

創業者 神吉晴夫 - かんき出版

神吉晴夫のベストセラー作法十か条

1. 読者の核を20歳前後に置く
2. 読者の心理や感情のどういう面を刺激するか
3. テーマが時宜を得ている
4. 作品とテーマがはっきりしている
5. 作品が新鮮であること。テーマはもちろん、
文体や造本に至るまで今までお目にかかった
ことがないという新鮮な驚きや感動を読者に与える
6. 文章が読者の言葉遣いであること
7. 芸術よりモラルが大事
8. 読者は正義が好き
9. 著者は読者より一段高い人間ではない
10. 編集者は常にプロデューサー・企画制作者の立場に
立たねばならない。先生の原稿を押し頂くだけではダメ

右上の伊藤整『文学入門』と、サラリーマン目白三平シリーズがカッパブックスの最初だったそうで、この巻末広告を見ても、ミッキー安川アメリカ留学記、三笠宮殿下のご著書、中帰聯の三光作戦関川夏央も読み込んだ『にあんちゃん』、わだつみの声、川喜田二郎のヒマラヤもの、ゾルゲ事件連座の尾崎秀実『愛情はふる星のごとく』と、実にバラエティに富んだラインナップになっていて、驚きます。私もこれらの本は読んだり積んだりのはず。

以上