Go To The Party (Travel) With A Lunch Box (Your Sex Friend)第二十二話ー宴会(旅)には弁当持ち(女づれ)で行け『ガマの聖談 人生に関する珍考漫考』"Toad's Sacred Talk." -CHINKOU〈Curious Thoughts〉( It sounds like penis. ) and MANKOU〈Pondering〉( It sounds like cunt. ) about Life.- by Kiiti Minami 南喜一(

ガマの聖談 : 人生に関する珍考漫考 (光文社): 1968|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

南喜一 - Wikipedia

終盤でいちばん面白かった回。中国が出て来るから面白かったので、それは私だけの理由かもしれません。

章題:お弁当携帯 あのときのスリル 天下の美味

前述の、同行女性は必ず「南幸子」という名前にしているというところから始まって、ガマ先生はなぜその土地土地の名物を賞味なさらぬのかという質問があり、ふたつの方面からそれに回答しています。

ガマ先生の国策パルプはかって旭川や苫小牧に工場があり、よく出張で行っていたが、そこで派手に遊ぶと、どこにも地元の連中、地周りのものたちがいて、彼らからしたら面白くないので、帰った後、当地駐在の連中が絡まれたりする。これはよくないという。今でも半グレの連中がわざわざススキノや沖縄に行って、地元で出来ない豪遊をして、水商売の女性たちからは金を落としてくれるのでモテるが、地元のヤンチャなれんちゅうからしたらすこぶる面白くない、といった話がネットニュースにもなることがあり、万古不変と思いました。

また、その発展形で、当地の水商売の女性の誰それが、ガマサンと寝たとか、いい仲になったなどと騒がれ、それが地元の誰それのレコ、おあねえさんだということにでもなると、またそれが大変であると。それでまあ、南は女好きだが必ず女連れで来るので問題ないということになったが、当地の歓楽街ではサッパリもてなくなったそうです。夜の街でモテるというのはやっぱりそういうこと。金を落とすから。それだけ。

で、旅行中生理だったらとか、連れて行く女性がいなければせめてゴルフをして睾丸を揺らして鍛えろとか、あれやこれやを書いています。連れて行くスターティングラインナップは秘密だそうですが、ゴルフがあれば健脚が必須で、名所史跡があればその知識がという具合で、地元の花に見劣りしないシャンを連れて行かねばならない場合、美人は前述のとおりおうおうにして「ツボ味が悪い」ので兼ね合いに苦労するなど、相変わらず好き放題書いてます。七十五歳だから。

ガマサンは戦中、大本営嘱託で、資源を集める国策会社を作っていて、広東にいたそうです。広東には当時日本の料亭も多くあり、九州から来ている芸者が多く働いていたとか。で、ガマサンは貧しい彼女たちの身の上話を聞いて、かわいそうになり、借金を肩代わりして日本に帰してやっていたそうです。その数が七、八人になったあたりで、軍からにらまれ、軍司令部から出頭命令が来て、行くといきなりどやしつけられたとか。

しかしガマサンは長年労働運動をやっていたので、そんな脅しにはびくともしない。すると今度は下手に出て、軍人は明日をもしれぬ身だ、民間人が妨害しないでくれ、せっかく補助金を出して内地から呼んだ女性たちなのにということで、ガマサンの同郷人であった、南支那派遣軍参謀副長佐藤賢了大佐からも、好意からないないに忠告を受けたそうです。「いい加減にしろ」と。

ja.wikipedia.org

同じころ、精進料理が有名な広州郊外の尼寺に行き、美人に囲まれてウハウハの一夜を過ごしたところ、佐藤賢了大佐にそのことが筒抜けで、実はあの女性たちは家族の苦難を救うため仏門に身を投じた有髪の尼僧たちで、家族の苦難というのは、実は… と、中村哲医師のスタートラインみたいな当時の広東の状況を語られたそうです。でもそこは、広州市長が日本の将官クラスを接待するための場所で、女性たちとはあくまで自由恋愛というていさいを中国側はとっていたとか。日本側の将校も相手の企図を見抜いて、〈吃素〉だけ接待を受けて夜はノーサンキューだったのか、ガマサンのように、そのへんのインテリジェンスを知らされぬものは… だったのか、はてさて。

頁217

 こうして、広東では、ときどきとんでもないところへ案内されたが、これはあるとき、中国人の家でごちそうになったときの話だ。食事の途中で、ライチという日本の梅干しに似た果実が出された。このライチは、精力剤として、まえにもたべたことがあったのでよく知っている。

 ところが、出されたライチから湯気が立ちのぼっているのに気がついた。すると、どこからともなく、女のアソコの匂いがしてくるのだ。

 あるじに聞いてみると、隣室にそれを専門にあたためる若い娘が三、四人きているというのだ。ライチを女のアソコに入れておいて、お客がそれをたべるときに出す仕掛けになっているのだ。たべてみると、やっぱりうまかった。まさに天下の美味というやつだ。いかにも中国的な味覚だったが、あの味だけは、万国共通のものがあるのかもしれないな。

今のライチはほぼ冷凍ものなので、よく解凍を確認してからでないと、しもやけしますね。以上

著者・南 喜一 著者・南喜一君のこと サンケイ新聞フジテレビ会長水野成夫みずのしげお  南君にガマ将軍の愛称を呈したのは、『人生劇場』の作者、尾崎士郎であった。そのガマ将軍とごくとの交友はじつに長く、ほぼ半世紀に近い。よくも飽きずにつきあったものである。  しかし、この交わりで得したのはむろんぼくのほうで、彼はぼくたちが、一高や東大でついに学びえなかった人生の機微の数々を、ことこまかに教えてくれたものである。  若いころから、浮世の辛酸に身をさらし、人生の幾山河を踏み越えてきたこの先輩は、処世百般、とくに食生活や性生活については堂々たる見識の所有者で、ぼくなど時のたつのも忘れて彼の話に聞きほれたものだ。 『ガマの聖談』には、そのころの話や、その後の体験記らしきものが、ユーモアに富んだ筆致でみごとに描かれている。  その表現は、ときに猥雑の感をあたえるかもしれないが、よく読むと、読者はそのなかから珠玉の真理をくみとることができるであろう。なぜなら、彼にあっては、食生活の知恵も、性生活の知恵も、そのすべてが、健康と長寿につながっているからである。 〈著者略歴〉明治二十六年石川県に生まる。早稲田大学卒。社会運動家をへて、財界にはいり、現在、国策パルプ会長。ヤクルト本社会長。日本ガン予防協会理事長。合気道八段。昭和四十年藍綬褒章を受章した。

ボーツー先生と福田和也の下記書評対談に登場する本。カーリルで県内図書館に蔵書があると出て来るので(白帝社版かな)公序良俗には反してないと思うのですが、他館本リクエストで数回なしのつぶてだった本。最近思い立って、日本の古本屋で、愛媛の古書店さんから、てごろな値段のものを購入しました。七百円。送料三百円。計千円。

stantsiya-iriya.hatenablog.com

 

裏表紙のサンケイ新聞フジテレビ会長(当時)水野成夫サンの一文は、著者ウィキペディアの記述を裏付けるものです。

著者ウィキペディア

(略)1940年転向仲間の水野成夫と古紙再生会社「大日本再生製紙」を設立する。1945年には宮島清次郎が社長を務めていた国策パルプと合併し、同社の常務取締役となる。(略)

(略)経営が悪化した同球団をヤクルト本社が買収したこの一件について、当時は「水野の窮地を盟友の南が救った」と言われていた。(略)

水野成夫 - Wikipedia

人生の機微と女性の核心にふれる 東京教育大学教授 杉靖三郎  
私は、厚生省栄養審議会や、体力づくり国民会議などの会合で、南さんの「聖談」には、いつも感心させられていた。  その豊富な体験に裏うちされた内容は、私の専門である生理学的立場からみても、スジがとおっていて、たいへん興味深い。  南さんこそは、ほんとうの意味での学識経験者だと、敬服している。  いつも、「聖談」だけで終わるのは、じつに惜しいと考えていただけに、「人生の機微」と「女性の核心」にふれたこの本が世に出ることに、心から拍手をおくりたい。
カバーデザイン・田中一光 著者撮影・田沼武能たけのり
近代実践派の色道武勇伝 性科学者 高橋鐡  
一ページ、いや一行の文が一生のプラスになることもある。この本にはそれがいっぱい。”初交三回説”や、”一寸五分型説” ”マス効用説”をはじめ、”Mベラ” ”人体穿孔機”の発明など、さすがに近代実践派の大モノが豪語した色道武勇伝である。  極左派から、国策事業までの振幅を示した異色頭脳の産物だけあって、性学上の科学的新発見にも驚く。当今流行の労務管理の秘伝も兼ねている。  そのうえ、政財界人、文士、力士が、「粗チンの持主」としてぞくぞく登場するから、痛快きわまりない。

カバー折。田中一光のデザインとは。目次の次のページによると、本文さし絵・藤城清治だそうです。そんなそうそうたるメンバーが、このエロトーク集に結集したと。

杉靖三郎 - Wikipedia 

杉 靖三郎先生を偲ぶ - 日本生理学会

http://physiology.jp/wp-content/uploads/2014/01/064100237.pdf

ja.wikipedia.org

田沼武能 - Wikipedia

いつも元気、いまも現役(文化勲章受章・写真家 田沼武能さん) | 健康長寿ネット

www.jiji.com

田中一光 - Wikipedia

まえがき(昭和四十三年一月二十五日)によると、このトークは、光文社の雑誌「宝石」に昭和四十年十月号から昭和四十二年十一月号まで二年にわたって連載したものをまとめたとか。すでにオープンリール*1の録音装置は普及していましたが、まあ、ライターと編集者にご本人がざっくばらんに語って、ライターがそれをメモして、だいたいな感じで文章に仕立てあげたんだと思います。そのほうがラクだし、ライターも腕が揮える。

KAPPA BOOKS KOBUNSHA 光文社の「カッパ・ブックス」誕生のことば  カッパは、日本の庶民が生んだフィクションであり、みずからの象徴である。  カッパは、いかなる権威にもヘコたれない。非道の圧迫にも屈しない。なんのへのカッパと、自由自在に行動する。その何ものにもとらわれぬ明朗さ。その屈託のない闊達さ。  裸一貫のカッパは、いっさいの虚飾をとりさって、真実を求めてやまない。たえず人びとの心に出没して、共に楽しみ、共に悲しみ、共に怒る。しかも、つねに生活の夢をえがいて、飽くことを知らない。カッパこそは、私たちの心の友である。  この愛すべきカッパ精神を編集モットーとする、私たちの「カッパの本」Kappa Books は、いつもスマートで、新鮮で、しかも廉価。あらゆる人のポケットにあって、読むものの心を洗い、生きる喜びを感じさせる――そういう本でありたい、と私たちは願ってやまないのである。 昭和二十九年十月十日

奥付 昭和43年2月15日初版で、読んだのは同年7月1日の37版(37刷)左上に神吉晴夫サンの名前が見えます。カッパブックスの生みの親はもちろん、「戦後最大の出版プロデューサー」©Wikipediaだとか。

神吉晴夫 - Wikipedia

創業者 神吉晴夫 - かんき出版

神吉晴夫のベストセラー作法十か条

1. 読者の核を20歳前後に置く
2. 読者の心理や感情のどういう面を刺激するか
3. テーマが時宜を得ている
4. 作品とテーマがはっきりしている
5. 作品が新鮮であること。テーマはもちろん、
文体や造本に至るまで今までお目にかかった
ことがないという新鮮な驚きや感動を読者に与える
6. 文章が読者の言葉遣いであること
7. 芸術よりモラルが大事
8. 読者は正義が好き
9. 著者は読者より一段高い人間ではない
10. 編集者は常にプロデューサー・企画制作者の立場に
立たねばならない。先生の原稿を押し頂くだけではダメ

右上の伊藤整『文学入門』と、サラリーマン目白三平シリーズがカッパブックスの最初だったそうで、この巻末広告を見ても、ミッキー安川アメリカ留学記、三笠宮殿下のご著書、中帰聯の三光作戦関川夏央も読み込んだ『にあんちゃん』、わだつみの声、川喜田二郎のヒマラヤもの、ゾルゲ事件連座の尾崎秀実『愛情はふる星のごとく』と、実にバラエティに富んだラインナップになっていて、驚きます。私もこれらの本は読んだり積んだりのはず。

以上