ガマの聖談 : 人生に関する珍考漫考 (光文社): 1968|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
ガマ先生は何を基準に上つき下つきの判定をされているのかと問われ、「立位可能」「両脚を閉じても性交可能」等々、経験則からガマ先生は回答するのですが、質問者はその専門家で、人間の肛門の位置は不変なので、そこから計測して、2.4cmがスタンダード、それより長距離であれば上つき、短距離であれば下つきという、これ以上ないくらい明快な統計に、基づいた教説を逆にご教授賜るという、そういう経験があったそうです。
御所の火災の際、滅多に開くことのなかった門がこの時だけは開いたため、固く閉じていたものが火にあぶられて開いたことをハマグリになぞらえて「蛤御門」という俗称が付けられたとされる。
そこからガマサンは自分でも統計資料を収集すべく、写真撮影を開始するのですが、なかなか難しいらしく、撮っても結果は何がなにやらの、撮ろう、否徒労が多かったとか。そのくだりは、現代の撮影技術の向上と氾濫時代からすると、隔世ですので、特にないです。撮影承諾についても書いていて、相手の同意を得る方法を、悪用するのがヤクザのヒモだとしており、まあそうでもなければ言うこと聞かないよね、と思いますが、ガマサンの真意は、それに比べて世のサラリーマン諸君は覇気がなくてけしからん、男の一本刀を使いなさい、で、なんだかなあです。
頁204 伊予節の文句
娘十七、八色気の盛り
はたち過ぎればさせたがる
三十女はマメのゆがむほどよがります
四十女にマラ見せるな
……
こう書かれても、伊予節を知らないので検索しました。
ソーラン節も載っていて、ソーラン節は分かるので、検索しませんでした。
上にメロディあり。
頁205
朝にむっくり起きて だんべのフチなでて
あくびしながら 屁をたれる
私は、だんべというのは、ダンベルやだんじりや旦那や関東方言の「~だんべ」と同類項で、男性器だと思いながら読んだのですが、ガマサンによると、北海道方言で女性器を指すそうで、しかし検索すると上州方言と出ました。
ともかく、上のソーラン節は、朝の光の中で、傍らの男性の性器をなでるのではなく、自慰の歌ということになります。
もうひとつソーラン節が載っていて、生理中なので肛門性交はどやさと、女性が男性を揶揄う歌で、そこからガマサンは、薩摩の衆道について語りますが、ネタ切れ感がなきにしもあらず。ガマサンも美少年を狙ったことがあって、果たせなかったとあります。女性には無双でも、美少年にはからっきしだったということで、しかしたぶんここは、完全に余計なこと放談した。
上のソーラン節の収集者は、仏文学者の辰野隆(と書いて「たかし」でなく「ゆたか」と読むが、キラキラネーマーかどうかは不明)という方です。
話はそこから、彼の父親の建築家のひとが妾宅を持っていて、そこと本宅を行き来していた、火宅の人であったことが語られますが、特に目新しい視点はありません。二十一回も放談してると、やっぱりネタが切れて来るのだろうと。
章題:蛤御門への長さ / 女にいうことをきかせる法 / 古き良き明治書生気質 / 妾腹の子にお土産を
ボーツー先生と福田和也の下記書評対談に登場する本。カーリルで県内図書館に蔵書があると出て来るので(白帝社版かな)公序良俗には反してないと思うのですが、他館本リクエストで数回なしのつぶてだった本。最近思い立って、日本の古本屋で、愛媛の古書店さんから、てごろな値段のものを購入しました。七百円。送料三百円。計千円。
stantsiya-iriya.hatenablog.com
裏表紙のサンケイ新聞フジテレビ会長(当時)水野成夫サンの一文は、著者ウィキペディアの記述を裏付けるものです。
著者ウィキペディア
(略)1940年転向仲間の水野成夫と古紙再生会社「大日本再生製紙」を設立する。1945年には宮島清次郎が社長を務めていた国策パルプと合併し、同社の常務取締役となる。(略)
(略)経営が悪化した同球団をヤクルト本社が買収したこの一件について、当時は「水野の窮地を盟友の南が救った」と言われていた。(略)
カバー折。田中一光のデザインとは。目次の次のページによると、本文さし絵・藤城清治だそうです。そんなそうそうたるメンバーが、このエロトーク集に結集したと。
杉 靖三郎先生を偲ぶ - 日本生理学会
http://physiology.jp/wp-content/uploads/2014/01/064100237.pdf
いつも元気、いまも現役(文化勲章受章・写真家 田沼武能さん) | 健康長寿ネット
まえがき(昭和四十三年一月二十五日)によると、このトークは、光文社の雑誌「宝石」に昭和四十年十月号から昭和四十二年十一月号まで二年にわたって連載したものをまとめたとか。すでにオープンリール*1の録音装置は普及していましたが、まあ、ライターと編集者にご本人がざっくばらんに語って、ライターがそれをメモして、だいたいな感じで文章に仕立てあげたんだと思います。そのほうがラクだし、ライターも腕が揮える。
奥付 昭和43年2月15日初版で、読んだのは同年7月1日の37版(37刷)左上に神吉晴夫サンの名前が見えます。カッパブックスの生みの親はもちろん、「戦後最大の出版プロデューサー」©Wikipediaだとか。
神吉晴夫のベストセラー作法十か条
1. 読者の核を20歳前後に置く
2. 読者の心理や感情のどういう面を刺激するか
3. テーマが時宜を得ている
4. 作品とテーマがはっきりしている
5. 作品が新鮮であること。テーマはもちろん、
文体や造本に至るまで今までお目にかかった
ことがないという新鮮な驚きや感動を読者に与える
6. 文章が読者の言葉遣いであること
7. 芸術よりモラルが大事
8. 読者は正義が好き
9. 著者は読者より一段高い人間ではない
10. 編集者は常にプロデューサー・企画制作者の立場に
立たねばならない。先生の原稿を押し頂くだけではダメ
右上の伊藤整『文学入門』と、サラリーマン目白三平シリーズがカッパブックスの最初だったそうで、この巻末広告を見ても、ミッキー安川のアメリカ留学記、三笠宮殿下のご著書、中帰聯の三光作戦、関川夏央も読み込んだ『にあんちゃん』、わだつみの声、川喜田二郎のヒマラヤもの、ゾルゲ事件連座の尾崎秀実『愛情はふる星のごとく』と、実にバラエティに富んだラインナップになっていて、驚きます。私もこれらの本は読んだり積んだりのはず。
以上