「Village(ヴィレッジ)」劇場鑑賞

映画『ヴィレッジ』公式サイト|大ヒット上映中

www.youtube.com

ほかの人のブログで見て、109シネマズの券が一枚あまってたので、見ました。期限がいつか心配だったのですが、八月末までだったので、まだ大丈夫だった。能が好きな人が見るってわけでもなさそうで、若い人が多かったです。レビューはそんなに高評価でもなく、上映も一日二回なのですが、日曜とはいえ、十五分前くらいに席を入力しようとしたら、もう一番前の列しか空いてませんでした。つまり混んでました。

ほかの人のブログを見た時は、関西が舞台だと勝手に思ってましたが、見てみると全編標準語でした。車のナンバーは架空の陸運局で、ヤーさんの車が四桁88-88だったかな? 小技を利かしていた反面、産廃トラックなど、ときどき小道具さんの貼り付け忘れがあり、VFもしくは紙貼って陸運局だけ書き換えてました。

スマホの処分についてレビューではツッコミ殺到でした。SUVの処分に触れてる人もいました。あれ、ヤクザに委託した、わけではないですよね。でも「お前は人殺しだ」(親でなく本人が)ってはっきり言われてるしなあ。

もうちょっとふしぎなのが、不法投棄を埋める作業がぜんぶ手作業な点。なんでユンボ使わないんだろう。音がしたって人里離れた場所だし、処分場は二十四時間操業だからその音に紛れるだろうし。作業員が全員日本人なのは、研修生とかの問題にまで突っ込んだ映画にして多言語キャストにすると、映画の製作費が青天井になるので、あきらめたからだと思われます。西村賢太苦役列車」の80年代、まだそれほど外国人労働者が日本の隅々まで浸透してなかった時代と同じ条件にして、マグロ漁船とか原発ジプシーみたいな感じの人たちを出した。手作業分別は、SDGs的言い訳のためのアリバイなので、賃金も知れてるはずと思いました。ここで借金を返すほどの金が出るとは、とてもとても。

そもそも海外がいろんな廃棄物の受け入れをしなくなったから国内であれやこれや処理せざるを得なくなった(ので中国人の業者が千葉に未認可の処理場を作ったりといったニュースが紙面を賑わしたり*1)あたりのアウトラインの説明も必要だったと思います。こないだ鶴見で、流れ者の新参日本人労働者と古参ブラジル人労働者の会話を聞くともなしに聞いていたら、「ベトナムも全員帰りますからね、残業代いりません、定時に帰してくださいって」「そう」「なんでだって聞くと、ゲームしたいからって言うんですよ」

主人公の母親についてももう少しクセモノに出来たのではというレビューがありました。私は、どうやって依存から立ち直ったのかまるでえがいていないので、おかしいなあとしか。息子がシャキッとしたら、自分もシャキッとするもんですかね。取り残された感から、さらに気を引こうといろいろしたりはしないのかな。

一ノ瀬ワタルという役者さんがよかったので、「宮本から君へ」に出てた役者さんはガタイだけですごみがなかったから、この役者さんを使えばよかったのにと思ったのですが、レビューを見ると同じ役者さんでした。修業を積んだのか、年数を経て凄みが出たのか。

過疎化と高齢化、限界集落の不安が映画の村に反映されていない点についてもレビューがありましたが、高齢化が深刻だったら、まずお祭りじたいが存続出来ないはず。能の伝承が途絶えてるのに、祭りのたいまつ行列にあれだけ動員出来るのはヘン。消防団がいないのもヘン。お面の行列については、金子修介「山田村ワルツ」にも同工異曲の場面があり、山田村の方はバブル全開の田舎観が炸裂してますので、横浜流星黒木華にころされてしまうかもしれません。

山田村ワルツ

「おもて」という能の面は怒りを鎮める効果があるそうなので、ひとつ欲しいと思いましたが、映画を見る限り、その効能はゼロに近いので、おもてグッズを作っても売れなさそうと思いました。しかし検索しても「こおもて」しか出ません。

能面「小面(こおもて)」高津紘一 | 玉川大学教育博物館 館蔵資料(デジタルアーカイブ)

ヤクザが見透かしたように、いじめられっこを日の当たる場所に置いて権力交代させて、みんなが働きやすい場所になってめでたしめでたしかというと、トラブル対応で対処能力のなさが露呈。シン・ゴジラが好きな人は考えたくもない映画かもしれませんです。その権力交代のトリガーは、パワポ仕事が得意な黒木華で、彼女は一種のファム・ファタールかと思いました。黒木華サンのくちまわり、カミソリ負けしてるように見えて仕方なかった。顔のうぶ毛を彼女が丹念に剃ってるかどうかはしりません。話を戻すと、横浜流星サンの役、ムラ社会の「市民活動家」の息子なら弁が立って当然ですが、そういうふうにしてしまうと、色眼鏡でわけへだてることなく映画を見てくれなくなるかもしれないので、あいまいにした感じです。

古田新太は最後、こういうふうにするストーリー以外に、「あんなクズでもわしの息子なんや、息子はやっぱりかわいいと思うのが親なんや、だからわしはあんたを許すわけにはいかんな」になってもよく、それで逆に横浜流星が「ぼくは、ぼくはお父さんにそう思ってもらったことがなかった」と激昂しても、それはそれでありだったと思います。監督自身、セレクトしたチョイスに、どこまで納得してるか不明。なので、こういうラストシーンなのかもと。投げる。

能なのですが、中村獅童で、でも腰の使い方とか、うまいと思いました。でも私はシロウト。能ファンから見てどうだったのでしょうか。野村萬斎も出して戦わせればよかった。海老蔵も出して、かんげんくんも出して、「かんげんの夢」で〆る。おあとがよろしいようで。以上

若い恋人さんたちが親交を深めてゆく描写は非常によいかったので、ただただ器不足で「なんとかしろ」をクリア出来なかったことが悔やまれるとしかいいようがないと思いました。何とか出来たらよかったのにね。蛇足。