知里幸恵「アイヌ神謡集」への道 (『知里幸恵『アイヌ神謡集』への道』刊行委員会): 2003|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
プロデュース 野澤汎雄(環境コミュニケーション機構〈CME〉/東京コデックス)
装幀 坂川栄治
カット 成田敦子
版画 川村シンリツ・エ・オリパック・アイヌ
草風館から出ている知里サンの遺稿集を図書館で借りたら、川村サンの署名入りだったのですが、その時はそれが誰か分かりませんでした。意外に早く判明して驚き。
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今世紀初頭、知里幸恵生誕100年を記念して、何か寄せ書き本を出したい、という思いが同時発生的にあちこちに沸き起こって、それで出た本のようです。小野有五サンという、岩波書店の本に詳しく出て来る、オノ・ヨーコのいとこの方などが刊行委員会になり、『アイヌ神謡集』の英仏露語訳はすでに出ているわけですが、あえて学生とアイヌ語辞書を引きながらの翻訳ワークショップを開いてその成果を載せたり(中文やハングルの翻訳ワークショップはやらなかったようです)山口昌男や津島祐子と言った大物も対談したり文を書いたりして、母親を前月になくされた池澤夏樹サンからも原稿が届き、刊行に至ったとか。この時点では「銀のしずく」記念館はまだ出来ておらず、巻末は建設募金のお願いになっています。個人は一口10k日元。法人は一口100k日元。募金委員会代表は池澤夏樹。
カバー折に「フクロウの神 舞う」という永田萌/©(株)妖精村という絵があるのですが、まあフクロウだから置いてみた、という以上のことは分からないです。フクロウつながりがおkなら、京都のミネルバ書房のマークも置けばいいのに、みたいな。
ミネルヴァ書房 ―人文・法経・教育・心理・福祉などを刊行する出版社
寄せ書きなので、知里幸恵とほとんど関係ない、ただの北海道漫遊エッセーみたいのも入っていて、玉石混交で、例えば下記のような主張の人もいます。
頁33「幸恵さんからのメッセージ」計良 智子
ふり返ってみると、私が”アイヌとして”生きようとしてきた半生の中の、節々に幸恵さんがいたように思います。彼女を世に出した金田一京助の著作からは、「アイヌは、今後は日本民族に一日も早く同化し、民族としては”発展的解消”するべきだ」という主張が読み取れます。また八重子の養父となったジョン・バチェラーの著書からは、「哀れな滅び行く民族を救済し、滅亡の前にその文化を残したい」という思想が伝わってきます。文化が滅びる前に研究を成し遂げたいと、病床の老人にもユカラを語らせた金田一と、消滅する前にと、収集した民具を海外に送り続けたバチェラー。私には、どちらも犯罪的行為としか思えませんが、その中にあって幸恵さんも八重子さんも美しく、力強いメッセージを残してくれました。(以下略)
戦メリの原作者がカラハリ砂漠を描いた『影を慕いて』でしたか、あれこれ読み比べたわけでなく、私は上記が犯罪的行為とまで呼べないと思いますが、こういうのも入ってるということで。これを書いた人は、アイヌ青年組織としてさっぽろ雪まつりに幸恵・八重子の雪像を出したりして、そういうことも書いてます。
バチェラー八重子という人は、アイヌ語で短歌を詠んだりした人だそうで、私も北京語で俳句というか川柳、狂歌を詠んでみたことがあり、天才の反対の凡才でしたので、まったく世に広まりませんでした。なので、五・七・五のリズムにいろんな言語を載せてみたいという野望は分かります。コラソン・アキノフィリピン大統領(当時)が来日時に自作の英語俳句を詠んだこともありますが、あれは短行詩というエッセンスだけの"Haiku"で、五・七・五に載せたわけじゃないからな~。
津島祐子サンは太宰治の娘さんですが、それは関係ない話。山口昌男さんは対談で、文章書いたわけではないのですが、対談相手の小野有五サンがタブーに挑んだからか、やはり執筆陣の中では頭ひとつ抜けてると思いました。刊行委員会もそう思ったのか、フォントを小さくして三段組にして、ほかから、ヤマグチばっかりページが多い! と言われないよう?くふうして、たくさん載せています。
頁111「コスモポリタンとしての幸恵、そしてアイヌ文化」山口昌男×小野有五
山口 (略)さっき僕が言い忘れたのは、(略)要するに、昔はアイヌのおばさんがガンピの皮いらんかえ、って売りに来るわけですね。
小野 昔は燃えやすいシラカバ(ガンピ)の皮を焚きつけに使ったんですね。
山口 で、当時のアイヌのおばあさんたちは口に刺青をしていて、子どもにはなんとなくおっかないから、子供が言うことをきかないときに、「言うことをきかないとおばさんに連れていってもらうよ」って子どもを脅かすんですね。そういうふうに恐怖感を与えて異人性を強調する。これは文化接触には当然あることだけれど、ヨーロッパではロマ(ジプシー)に対して同じようなことが言われたわけで、要するに文化のなかには必ず「異人」を作り出すようなそういう装置が組み込まれているわけだね。
ここが本書でいちばんシビれました。バシッとハマッた。
①私の祖先も、横浜の居留地から、辮髪の清国人が、「支那傘安い」と言いながら唐笠の行商に来ていたのを見ていますし、生活圏に入る「異人」というのはとてもしっくりきた。②もう二十年くらい前になりますが、友人が北海道のダートで車が轍にはまってしまい、困ってしまっていた時、通りかかったどさんこの人がすぐロープ牽引かなんかで助けてくれて、北海道の人はほんと親切なんだ、うわさどおりだ、と思ったのもつかのま、助けてくれた人たちが、「アイヌに気をつけろよ、アイヌはものを盗むからな」と言って去って行き、初対面の相手に言うことか、しかもそれが去り際のいちばんの忠告ってどういうことよ、と、彼を深刻に混乱させてしまったです。もちろん、その後彼が北海道旅行で盗難等に遭わなかったのは言うまでもなく。③職場で、五十代以上の北海道出身者たちが話していて、「あるアイヌの級友は、いじめられなかった」「めずらしいね。アイヌの子は、けっこういじめられるのに」「というのも、彼は外見は白人に見えるくらいカッコよくて、ゴツかったんですよ。誰も手が出せない」(スタルヒン?)という会話の、前提条件の部分にびっくらこいたことがあります。ただこの話をインテリの人にすると、さもありなん、といった態で、さして驚かれない。
アイヌを何と比肩させるかで、ロマという例が出た瞬間、電流が流れるような気持になりました。そうか、そうなのか。
頁103「コスモポリタンとしての幸恵、そしてアイヌ文化」山口昌男×小野有五
小野 幸恵さんの『アイヌ神謡集』は岩波文庫に入っているわけなんですけれども、これがごらんのようにピンクの装丁、つまり外国文学に入れられてしまっているという事情があるわけです。日本文学なら緑なんですが。それがまずおかしいのではないか、という問題も、いま言ったことと関連するように思います。
山口 岩波の意識にはそういうところがあるんだよね。
小野 岩波の言い分は、これは日本語への翻訳だから外国文学なんだと。
(略)
小野 日本とか、日本文化というものを構成しているのがヤマトだけではなくて、そこにアイヌ民族もちゃんといる、というのであれば、アイヌ語で書かれた文学もまた、「外国」ではなく「日本」の文学ではないかと思うわけです。もちろん、こう言うと、ほんらいは独立して存在していたアイヌを勝手に「日本」に入れてしまうのは同化政策と同じでけしからん、という人もあると思いますが、もちろんそういう意味ではなくて。
アイヌ神謡集は今年8月10日に「ゴールデンカムイ」アイヌ語監修者中川裕サンが補訂・解説した改訂版が刊行予定なのですが、やはり東洋文学の赤版で、日本現代文学の緑版、日本古典文学の黄色版ではないです。そこはやっぱり残念閔子騫としか。
対談の頁107では、縄文、蝦夷とアイヌの関連付けについて、学術的なゼロワン以外の、センシティブな要素があるので、どうのこうのどうのこうのというくだりがあり、私は逆に、恐山に行った時、当時は恐山と宇曽利湖のアイヌ語源説が堂々と立て看板に書いてあった時代で、関西からの観光客に地元の人が、俺たちは蝦夷の子孫で、アイヌともつながりがある血筋なんだ、あんたら関西人は渡来人で、大陸系だろ? みたいなことを平気で言ってたのを知ってますので、その後、現代、下記みたいなネットの言説が登場することに、歴史の業を感じます。
対談では、頁113にも付箋をしてたのですが、何に感銘を受けたのか、分からなくなっています。
あと、本書で付箋をつけていたのは、頁139「知里幸恵文学碑建立の思い出」荒井和子サンで、1987年10月から二年七ヶ月かけて、一口千円を五千口目標に募金して、旭川に建設出来たんだとか。「そんな人知らない」「アイヌだけで建てたら」「もう忘れ去られてるのに、いったい何のために」等々いろいろ言われたり、匿名で百万円出した人をはじめ、全国から書留がバンバン届いたり。文学碑を彫った人は自身の立候補で、空知英秋、否、空充秋という人だそうです。「空、風、火、水、地/春、夏、秋、冬/東、西、南、北」の金銀の雫を、白御影石とさび御影石で再現したものだとか。
知里幸恵記念文学碑 – 一般社団法人 旭川観光コンベンション協会
いやあ、砂沢ビッキサンの木工もそうですが、ご高説は分かるんですが、実際に見て、う~んというか、火の鳥復活編で、主人公が人間を人間と認識出来なくなった時の光景というか。中学校の校庭に置いてあるそうなので、入る際にちゃんと手続きとって、記帳とかして入るんだろうなと。でないと不審者。
頁171に、横山孝雄サン構成・イラストの、知里幸恵手帳日誌大正十一年六月以降というのがあるのですが、「おべんとうを握って」が「アマムタクタク」で、「ごはんを握って」が「メシタクタク」なので、偶然とはいえ、荒井商店の本で黒人ルーツ料理として紹介されている、ペルーのタクタク、豆とヒヤゴハンを混ぜて巨大焼きおにぎりにした料理と同じじゃん、と思いました。ペルーのインディオには縄文文化がありましたし、実はつながっているのかも(かもしれませんが、それとタクタクは関係ない)
以上