個人的にこの巻の表紙がいちばん好きですね。姪っ子が表紙ですが、ポイントはそこではなく、仁摩サンドミュージアムの世界最大の一年砂時計が表紙になっているので。行ったことないんですが、行ってみようかな。なんとなくですが、今計画だけ立てて喜んでいる、実現の可能性が不明な、登別の知里幸恵銀のしずくミュージアムよりは、移動の敷居が低そう。
Cover Design/大塚幸司 少女漫画でこういうカッチリした巨大構造物の絵が出るのって、珍しいですよね。少女漫画家の人はだいたいこういうのは「メカアシ」に頼ってるそうなので、この巨大砂時計の表紙も合作なのか、がんばって背景の構造物も自分で描いたのか、さてどっちでしょう。
頁8、新首相がお膝元の地元に帰省する際よく利用する(してた)という寝台特急。「鉄オタとか奥さんが美人とかどうでもいいから」としか言われない新首相ですが、それはそれとして、この絵と表紙のギャップだけで三杯メシが食えるという人は変態です。断言。
表紙(部分)影をつけたり、鉄とプラスチック(?)の質感の違いを出したり、楽しそう。ちなみに、砂時計全十巻の表紙題字の色は赤、ピンクの暖色系が一番多く六冊、サンフレッチェカラーの紫が一冊、ブルーが三冊です。赤は、鹿島のワインレッドもないし浦和の深紅もない。青は、四巻がフロンターレ、五巻がベルマーレというかガイナーレ、この巻がサックスブルーのジュビロです。
まったく関係ないのですが、当時のフラワーコミックスが墨守していた良い伝統として、このマンガも巻中すべての漢字にふりがな、ルビを振っているというのがあります。これがあるんで、昔はマンガ読んでると、異様に漢字の読みだけは出来るようになるんですよね。
ところがよく分からないんですが、カバ裏の作品紹介は人名以外ルビ振ってないんですよね。巻末の広告も、ルビがあるのとないのがあるし。なんでなんだろう。
頁19と頁151の、連載時の広告スペースを単行本化する時に著者のよもやま話で埋める少女漫画の良き伝統の箇所(部分)一年砂時計はやはりアシスタントの手になるものなのか…
岡山が出ますが、ヒロトのクリーニング屋も倉敷の地球防衛軍も津山三十人殺しも出ません。こらえてつかあさい。
26歳の時の祖母ならまだ体が動くが、50歳になったらもう祖母は…的なことは前の巻に書きました。
作者的には「がんばれあたし」「あなたが幸せでありますようにと祈る」で終わらせたかったとのことですが、結果的にその後を描いてよかったと思います。田中さんみたいな「坂下主任」も出ますし。
最終話では、途中までの「幸せにしてよ」から「幸せはしてもらうのでなく自分でなるもの」というパラダイムシフトをもう一段進めて、「そばで笑ってるだけであなたが幸せになるなら、笑っててあげる、幸せにしてあげる、まかせて」になります。「幸せにしてあげる」は頂き女子やホストに貢ぐとかそういうことではなく、そばにいて幸せそうに笑ってるだけでいいという。
今週のお題「ちょっとした夢」
大した話ではないのですが、私も、「こういうやつが幸せにならなければウソだ」と言ってもらったことがあり、ほかにそういうことを言ってくれる人はいなかったので、おおいに励まされたものです。しかし私はその人とほとんど交流がなく、顔もろくに覚えていないというていたらくで、しかもその人自身はこれから老後、これから悠々自適の人生だ、というくらいで早逝されており、なんでほとんど縁もゆかりもない私にそういう感想を持ったのか、いまだにさっぱり分からないです。
しかしまあ、せっかくそう言ってもらったので、幸せにはなれてないかもですが、不幸になる道を自ら選ぶようなことはないように日々を送ろうと思っています。人を傷つけたこともあるので、おおいばりでそんなことを言えた義理はありませんが、それでも、つましく、不幸にならないように生きてゆきたく。
そういうことを思うようなオチでした。表現者ってのは、とにかく思ったことを形に出来るからえらい。そういう人たちをリスペクトというか、あまり追い詰めなくてもよかったのになあと思います。以上