- 作者: 槇浩史
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1998/10
- メディア: 単行本
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酔って古本屋で買ったときは、もっと昔の本かと思いましたが、
前世紀末出版の由。略歴を見ると、著者の方は1919年中国に生まれた日本人で、
一貫して中国で教育を受け、共産党が天下取ったあたり(1949頃?)で帰国された。
マスコミ畑で働き、定年後学究畑に移り、
刊行時点ではソウル在住。執筆活動に多忙とのことでしたが、
アマゾン等で見る限り、本にまとまってるのは三冊のみ。
あとがきで、中風と失語症を食餌療法で快癒したとあるのですが、
検索してもその後の状況、近況は出てこない。
ご存命かどうか、お亡くなりになられたとしたらいつかも分からない。
(1919年生まれですから、もう九十台です)
この世代の方は、往々にしてデジタルアーカイブから抜け落ちてしまう、
その実例をまざまざと見せつけられます。
編集部注●本書の平仮名ふりがな、片仮名ふりがなは著者によっています。
戦前ネイティヴとして中国語を身につけた方が我流でルビを振っているわけなので、
ピンイン世代向けに編集部でこんな注を付けているのですが、
校正ミスが何点かそれに隠れてる気がします。
頁22、頁210
油条児 ユウディアオアル
頁36
炒 ジャオ
頁94
煮茶葉蛋 スチャイエダヌ
頁214
松鼠魚 スンゾウユイ
無気音を清音で記すのは普通ですが、有気音を濁音で記すわけがない。
「ディアオ」「ジャオ」「ゾウ」は校正ミスで、
濁音のちょんちょんを取り忘れたんじゃないかと思います。
「ディアオ」じゃちんぽこだよ。
ちょんちょんをつけて「ズ」と読むべき「煮」
(ほんとは“zhu”ですが、まあそこはおいといて)
を「ス」と書いてるし。
この本は、革命以後の変化をすべて無視して、著者が肌で知っている時代の中国と、
文献から探れる時代の中国だけを書いています。
だから、名店や屋台街については、
著者はそうだったんだそう聞いていたんだと割り引いて読むべき。
そのかわり、たとえばマーボードーフ。
あばたのおばさんが作ったから麻婆と呼ぶくらいはみんな知ってますが、その女性が、
頁106胸は大きいし、お臀も大きいし、ああいうのは片時でも男から離れると生きていられない蕩婦妖姫(うわきおんな)だよ
と兄嫁から陰口を叩かれた女性であって、
食事以外部屋から出ないで亭主と風立ちぬ状態で大家族同居の家屋から追い出され、
その後苦労して生活した亭主の死後(腎虚ではない)、
未亡人として麻婆豆腐を売っていたという展開など、非常に面白かった。そうだったのか。
舌が痺れて、汗が止まらないあの四川マーボは、そこから。
面白かった箇所はほかにも多々ありますが、もう一箇所、引用。
頁182 「蟹を求めて大移動」「食べる際の心がまえ」
最後に、この蟹だけは絶対に食べないという連中がいる。それは、ほかでもない中国の妓女(げいしゃ)たちである。彼女たちの迷信によると、蟹は何と彼女たちの生まれ変わりだという。それというのは、彼女たちが夜ごと夜ごとのキッスをするのでそれがために次の世で蟹となり、つばきを返すべく泡を吐くのだと――。
http://www.secretchina.com/news/09/06/27/298721.html?%E9%9B%B7%E4%BA%BA%E7%BB%BF%E9%9C%B8%E5%A8%98%20%E6%B2%B3%E8%9F%B9%E4%BD%A0%E5%85%A8%E5%AE%B6%EF%BC%88%E7%BB%84%E5%9B%BE%EF%BC%89
中国人が、イスラム教徒の食に関するタブーを、
トーテミズムと結び付けて考えてしまう無礼さはよく指摘されるところですが、
こんなんもあったんですね。
酒に関しても、やはりためになる記述がありました。
頁138「酒を以て国を亡ぼす者あらん」
しかし、焼酎は中国においてはきわめて近代的な酒で、元朝以前にはこの名称は見当たらない。
『本草綱目』には「焼酎は古法でなく、元代(一二七九〜一三六八年)に創造された……」と書いてある。この無色透明の酒は、元人の阿剌吉(アラキ)、別名を汗酒(ハヌチュウ)から伝えられたもので、李忠表の詩に、「年深始得汗酒法、以一当十味且濃(としふかくはじめてうるかんしゅのほう、いちをもってじゅうにあたるあじしばらくこし)」とあるように、汗酒は気酒のことで、現在の白乾児のことである。
アラキは人名でなく、トルコなんかの蒸留酒アラクじゃないかと思います。
外国の人名と物品名の混同がむかしの文献にあっても、別におかしくない。
そそっかしいし、中華から見て外国とかどうでもいいから。アヘン戦争までは。
『随園食卓』には、白酒についてこう書いているとか。
頁139「酒を以て国を亡ぼす者あらん」「嫁入り道具に酒」
また、「……焼酎、すなわち白乾児は、民間の無頼漢(ごろつき)や、役所の酷吏にたとえることができる。決闘するには、自分が無頼漢にならないと勝ち目がないし、盗賊(どろぼう)を除くには酷吏でなければできない。風寒(かぜひき)をなおし、胸のつかえを消すには焼酎でなければならない」と。
周恩来が田中角栄と白酒で乾杯したのは、
胸のつかえがあって、決闘だったわけですね、改めて。
頁142「酒を以て国を亡ぼす者あらん」「風流人は悠々と、自分のために酒を飲む」
中国料理を問わず宴会といえば飲酒がつきものであることは当然であるが、今とちがって、中国のむかしの宴会では酒は食後に飲んでおり、今日のように酒をしたたかに飲んでから食事をするという宴会スタイルとは、まるきり反対であった。
最近の中国の飲み方、どうでしょうか。変わってきましたでしょうか。
山西汾酒、今売ってるのは白酒中心ですが、
晩唐に杜牧が詠んだ頃は黄酒というか、果実酒だったんでしょうね。
白酒その頃なかったから。
http://www.baike.com/wiki/%E6%B1%BE%E9%85%92
頁138「酒を以て国を亡ぼす者あらん」
もしも李白が焼酎だけを飲んであの調子だったとすれば、おそらく胃潰瘍になっていたか、あるいは、アルコール依存症になって空瓶さげて長安の酒肆を荒らしまわっていたかもしれない。