『八百万の死にざま』読了

Eight Million Ways to Die (Matthew Scudder Mysteries Book 5) (English Edition)

Eight Million Ways to Die (Matthew Scudder Mysteries Book 5) (English Edition)

なぎら健壱の『東京酒場漂流記』の内藤陳のくだりに出てきた探偵の名前をメモして、
調べて読み始めたマット・スカダーシリーズ。
ここまでリアルかつ迫真のアル中小説になるとは、想像も出来ませんでした。

ちくま文庫版東京酒場漂流記 頁293
まあいいか、気分はもう、酔いどれ探偵のカート・キャーンだ。いやアル中探偵のマット・スカダーか?
 さあ、飲るぞ!!

カート・キャーンというのはカート・キャノンの誤記です。
最初はそうと分からなかったので、一発で検索出来たマット・スカダーから読み始めました。
この作品まで読み進んでよかった。

八百万の死にざま (ハヤカワ・ミステリ文庫)

八百万の死にざま (ハヤカワ・ミステリ文庫)

この作品では、完全にスカダーさんはアルコールをコントロールする能力を失くした。
退院後、生命が惜しいから飲まないでいたのですが、
本心からそれに納得しているわけではないので、
一度飲んでしまうと、節度を保った飲み方を心がけているつもりで、
徐々に都合のいい屁理屈をこねくりだして酒量を増やしていき、
数日後には記憶をなくして病院で正気に帰る。

頁76
一日二杯が自分の適量だと思った。それを越えないかぎりはなんの支障もないだろうと思った。それを朝一番に飲もうと、私の部屋で飲もうと、バーで飲もうと、ひとりで飲もうと、何人かと一緒に飲もうと、そんなことはどうでもいい。
 翌日、水曜日、

頁77
 土曜日、すっきりとした気分で眼が覚めた。飲みたいとは思わなかった。いかに自分がうまく酒をコントロールしているか、自画自賛しないわけにはいかなかった。

頁78
そこであることに気づいた。朝飲んだのはもう十二時間以上前のことである。前夜最後に飲んでから朝飲むまでの時間より長い時間がすでに過ぎている。だからもう私の体内には残っていないはずだ。すなわち朝のは今日の一杯として数えなくてもいいのではないか。
 ということは、今日は寝るまえにもう一杯飲んでもいいわけだ。

同頁
私は大切なのは飲む回数で、飲む量ではないと思っていたが、それは自分をごまかしていたのだとその時思った。今日の最初の一杯は――それをそう呼べればの話だが――少なめだった。ということは、私は今日はあと四オンス飲んでもいいわけだった。

同頁
 そこから一ブロック、ダウンタウンの方向に行ったところで、私はまたあることに気づいた。私はここ何日か酒をコントロールしてきた。そのまえは一週間以上完全に禁酒した。それは何を意味するか。一日に二杯というふうに自分を抑制できるということは、そんな抑制など自分は必要としない立派な証拠ではないか。確かに以前は酒に吞まれていた。それを否定するつもりはない。が、明らかにそういう段階はもう過ぎている。
 だから、酒が必要ではなくても、飲みたい時に飲めばいい。実際今がそうだ。どうして飲んで悪い?

上記が日曜の夜。意識を取り戻すのが水曜。

頁80
「二週間前、あなたはここで解毒処理を受けましたね。あなたのカルテに載ってます。解毒処理を受けて、それで何日もったんです?」
 私は何も答えなかった。
「自分がどんなふうにここへ運び込まれたか、あなた、わかってるんですか?全身を痙攣させ、かなり危険な発作状態だったんですよ。以前にそういうことになったことは?」
「ない」
「そう、でも、またやるでしょうね。これからも飲み続けるなら、必ずやりますよ。毎回じゃなくても遅かれ早かれ。遅かれ早かれ、あなたはそのために死にますよ。別なことでさきに死なないかぎり」
「やめてくれ」
 彼は私の肩をつかんだ。「いや、やめません」と彼は言った。「やめたりするもんですか。黙ってるわけにはいかないんです。あなたの気持ちを思いやるわけにはいかないんです。あなたのたわごとを信用するわけにはいかないんです。私を見なさい。私の言うことを聞きなさい。あなたはアル中です。飲めば死ぬんです」
 私は何も言わなかった。

これはアメリカなので、スカダーさんは健康保険に加入していなくて、
また、リハビリ施設入所に必要な数千ドル(この本の書かれた1982年当時で)
の貯えがありません。
このへん、日本はまた事情が違うのでしょう。

この本は、スカダーさんの、悪夢のように断続的に襲ってくる「飲みたいという気持ち」、
天丼天丼で繰り返し繰り返し挿入される断酒の自助グループ集会とそこで飲むコーヒー、
それらを挟みながら事件と捜査が進みます。酒を飲んでも飲まなくても、
スカダーさんの思考にはキレが失われ、行動力も無理がきかなくなり、
もどかしくストーリーはゆっくりすすみます。
スカダーさんの危機に瀕した時の暴力傾向は健在で、
拳銃を持った強盗が外してくれたおかげで命拾いしながら、
逆襲してカネをまきあげて強盗の両足を折ります。これだけしっかりしたアル中小説が1982年に書かれ、1983年にはなぎら健壱が紹介するくらい
推理小説好きなんかの間では知られた存在になっていたのに、なんで日本では、
中島らものくだらない小説*1なんかをほめそやしたんだろう。
断酒の葛藤のないらも小説。らももこれ読んでると思うけど、
なんでこういうふうにせなんだのか。
死なないアル中は自然の摂理に反していると聞いたことがありますが、
中島らもはだから死んだからいいのか。自業自得は死んでケジメか。
スカダーさんのように生きようと脂汗をかくのはダメなのか。

この小説と映画はだいぶ違うとWikipediaに書いてありましたが、
確かに断片的な動画をみても違う。
映画はオリエント・エクスプレスのオリヴァー石stoneが一枚噛んでるとか。
こんな砂浜でキープカミンバックなんて原作では言わない。イフイットワークスとも言わない。
でも、原作のラストシーンみたいな展開は、聞いたことないですけどね。
泣いてすっきりしたいから毎回感極まる人はいるかもしれないけど、
スカダーさんみたいな人が、ある日こういうかたちで無力を認めるかな。

八百万、神道のやおよろずと関係があるのかないのかは分かりません。
推理小説としてはどうか分かりませんが、アル中小説としては非常に面白かったです。
らもやサイバラの旦那の小説は感心しませんでしたが、これは感情移入しました。
吾妻ひでおの新刊は読んでない。

失踪日記2 アル中病棟

失踪日記2 アル中病棟

上記の日本の本はアルコールと取っ組み合う舞台をほとんど病院から外に出しませんが、
それは葛西賢太さんの本*2なんかにもみえる、
匿名性を意識しすぎるあまりの結果なんでしょうかね。
小田嶋隆みたいに吐露する人も出てきているわけですし、
社会で自分のアル中と取っ組み合う話が日本でも書かれてよいと思います。
書かれてて私が知らないだけかもしれませんけれど。であれば知りたいです。
関係ないが、小説推理の東直己の連載は今月休載。どっとはらい