『処刑宣告』読了

処刑宣告 (二見文庫―ザ・ミステリコレクション)

処刑宣告 (二見文庫―ザ・ミステリコレクション)

処刑宣告

処刑宣告

Even the Wicked: A Matthew Scudder Novel (Matthew Scudder Mysteries Book 13) (English Edition)

Even the Wicked: A Matthew Scudder Novel (Matthew Scudder Mysteries Book 13) (English Edition)

アル中探偵マット・須賀田さんシリーズ

頁423 訳者あとがき
当年とって五十六歳(になったはず)の本書のスカダーを比べると、本書の中でスカダー自身も言っているように、彼もまたずいぶん遠くへ来たものだという感が強い。今やアル中のネクラ探偵というキャッチフレーズはあたらない。アルコール依存という心の病は生涯背負っていかなければならないものだとしても、探偵免許を取得し、エレインと結婚もし、所得の申告もし、慈善団体に寄付までしている今のスカダーは、まさに善良な市民探偵である。

探偵免許については、確か前作で取得するような話をしていたと思うのですが、
本作でそれを明記してはいないように思います。
ただ、正規の事務所を構えているということなので、青色申告もそうですが、そりゃそうかなと。

頁423 訳者あとがき
これはやはりスカダーには、幸せは似合わないということなのだろうか。といって、知命を超えてやっと幸せになれた彼にもういっぺん不幸せになってもらうというのも、長年のファンとしては忍びない。ブロック夫妻に会って、その姿がスカダーとエレインに重なってしまった訳者など、それはなおさらだ。

エレインという女性は、ブレずに財をなして引退して画廊を開いて成功した元娼婦、
という、ちょっとありえない存在で、それだけに読者に変な負荷や負担を与えないキャラです。
飯島愛が死ななければ、私もこういうファンタジーを信じ続けられたと思います。

須賀田さんは酒浸りの頃、跳弾で殺した少女のことを繰り返し語っていましたが、
いつからかそれを乗りこえたわけで、それは書かれていないことから推察されます。

頁70
彼が抱えていた問題もわれわれ同様アルコール依存だが、それ以前に彼はヘロイン中毒をやっており、その当時、注射針を共有したこともあったのだろう、抗体検査の結果、HIV陽性であることがすでにわかっていた。そういうことが判明すると、人は自棄になって飲んだくれてもおかしくない。実際、そういうことをする人もいるだろう。が、むしろ多くの人はそれとは逆のことをする。
 バイロンはそのタイプだった。禁酒を続け、集会に参加し、医師からもらう薬を飲み、免疫力を高める食事療法もおこなっていた。

こうした態度を尊い、とする人がいます。私ならどうするだろう。日一日。One day at a time.

頁126
 私はコーヒーをひとくち飲んだ。そのときなんらかの表情が顔に出たのだと思う。エレインが眉を吊り上げた。
「一瞬」と私は言った。「コーヒーの中に酒がはいっているような気がしたんだ」
「でも、ほんとうはちがうんでしょ?」
「ああ。うまいコーヒーだ。でも、ただのコーヒーだ」
「感覚の記憶というやつね、きっと」
「たぶん」

断酒の人間がノンアルコールのビールを飲んではいけない理由がこれですかね。
須賀田さんはかつてバーボン入りコーヒーを絶えず嗜んでおり、
今はコーヒーだけ飲んで何の問題もないが、フラッシュバックはそれでも、ある。

頁168
十番街五十七丁目の交差点の北西の角、私はジミー・アームストロングの店のまんまえに立っていた。
 どうしてなのか。飲みたかったからではない、と思う。実際、飲みたいと思わなかったし、飲みたいと感じてもいなかった。もちろん、アルコールが保証してくれる痴呆の悦楽に対する渇きは、心の奥底にたえずひそんでおり、それはこれから死ぬまで変わらないだろう。AAの仲間には、そうした自分たちの心の渇きを“病気”と呼び、それを人格化したりする者がいる。“私の病気が私に飲ませようとするんです。私の病気が私を破壊しようとするんです”また、ある女性は以前こんなことを言っていた。その女性によれば、アルコール依存というのは、われわれの体内で眠る怪物みたいなものということだった。その怪物は時々体をうごめかせ、寝返りを打ったりするので、そのためにわれわれは集会に出るのだそうだ。そして、その集会があまりに退屈なものだから、怪物はまた寝てしまう。

頁180
 新聞は毎日読み、昼の集会にも毎日出かけ、たまには夜の集会にも足を運んだ。AAへの出席率は、そのときどきの気分によってよくも悪くもなる。やはり忙しいときには足が遠のき、ストレスがたまってくると自動的にかよう回数が増える。そのストレスが自覚されていようとされていまいと。
 だから、より頻繁に集会に出席したのには何か原因があったのだろう。その何かに逆らおうとは思わなかった。もう充分長いこと素面でいるのだから、そんなに何度も集会に出なくてもいいのではないだろうか、という考えがふと頭をよぎりもしたが、そんな考えはすぐに捨てた。私の“病気”はもう少しで私を殺しそうになったほどのやつだ。そんなやつにまたチャンスを与えたいとは思わない。

生きたいと思うから集会に出るというこの理屈は本人にしか分からないのかもしれませんが、
それでも家族や親しい人には分かってもらう必要があります。
集会に出る時間を捻出するために。協力してもらうために。

頁182
 禁酒するようになってからは、教会の内陣ではなく、地下室で多く時間を過ごすようになった。そこでの寄付は、バスケットがまわってきたときにするのだが、AAの方針で最高一ドルと決められている。

これはあまりに安いので、ホントかな、と思いました。
アメリカの物価は知りませんが、コーラやコーヒーも飲めるのか飲めないのか。
日本ですが、個人の場合、確か年間二十万円が上限、と聞いた気がします。
毎回五ドルか十ドルでもじゅうぶん上限に達しない、と思います。

頁164
「よかったら、そいつを飲んでくれ」私は、遠慮しておくと答えた。すると、そう言うんじゃないかと思った、と彼は言った。
「おれも行ったことがあるんだよ」
「なんのことだね?」
「行って卒業したんだ。集会場も、教会の地下室も。四ヵ月毎日かよって一滴も飲まなかった。飲まないで四ヵ月過ごすというのは、長いのなんのって、そりゃもうつらかった。それだけは言っとくよ」
「わかるよ」
「あれこれごたごたしてたひどい時期でさ。それは酒のせいなんじゃないかと思ったわけだ。で、きっぱりとやめたんだが、その結果、どうなったかわかるかい?さらにひどくなった」
「ときにはそんなふうになることもあるだろう」
「だからおれはごたごたをさきに処理して、また飲みはじめたんだ。そうしたら、すべてがよくなった」
「それはよかったね」
 彼はすがめるように眼を細めて言った。「このくそ偽善者野郎。言っとくが、誰もあんたに助言者スポンサーになってくれなんて頼んでないんだぜ」
「そのとおりだ、マーティ。すまん」
「“すまん”なんぞはくそくらえ、だ。謝罪のことばに乗っかりゃいいってもんじゃないんだよ。いや、それともあんたが乗ってるのはアパルーサ(北米西部産の強健な乗馬馬)か。いいから、坐れよ。どこへ行こうっていうんだ?」
「ちょっと新鮮な空気を吸ってくる」
「空気はどこへも逃げやしないよ。慌てて吸いに行かなくても。いいか、おれはあんたを侮辱なんかしてない。そんなことは金輪際言わせないぜ」
「今日はちょっと忙しくてね。ただそれだけだ」
「“忙しい”もくそくらえ、だ。おれがちょっと酔っぱらいはじめたもんだから、居心地が悪くなったんだろ?素直に認めろよ」
「わかった、認めるよ」
「そうか」と言って彼は眉をひそめた。私が素直に認めたのが、彼にとっては意外だったのだろう。「そういうことなら、こっちも謝るよ」
「わかった」
「それはおれの謝罪を受け入れたってことだな?」
「あんたが私に謝る必要はそもそもないけど、いずれにしろ、謝罪のことばは受け入れるよ」
「これでおれたちのあいだにはなんのわだかまりもなくなったわけだ」
「ああ」
「おれの望みがわかるかい?おれはあんたにそのビールを飲んでほしい」
「今日はやめておくよ、マーティ」
「“今日はやめておく”それが秘訣なんだよな。今日はやめておくっていうのが。一日一日こつこつと、だろ?」
「まあね」
 彼は顔をしかめて言った。「あんたを誘惑するつもりはない。要するに、酒吞みのたわごとだ。そんなことはもちろんあんたもわかってるよな?」
「ああ」
「おれがあんたに酒を飲ませたがってるんじゃない。酒があんたに飲ませたがってるのさ。わかるかい、おれの言ってること?」
「もちろん」
「おれにはわかったんだよ、酒はおれを痛めつける以上に助けてくれるってね。おれの足をひっぱる以上に、おれのためになることをしてくれるってね。今のと同じことをおれのほかにも言ったやつがいる。誰かわかるか?ウィンストン・チャーチルだ。あの男は偉大だよ、そうは思わないか?」
「いや、思うよ」
「あいつは骨の髄まで腐ったイングランド野郎だ。われわれアイルランド人の敵だよ、あのくそ野郎は。だけど、足をひっぱる以上にためになることをしてくれるというのは、いいことばだ。

須賀田さんも辛抱強いですね。なんでこんな絡まれるんだか。

頁189
「覚えてるかぎり、そのチョコレートにはそれほどの効果はなかったわけ。それほどたくさんブランデーがはいってたわけじゃないから。チェリーが中にはいっていて、ブランデーそのものは大した量じゃなかったのよ」彼女は肩をすくめて続けた。「でも、家に帰ってあなたにキスをしたら、あなたはそれまで見たこともないようなびっくりした顔をした」
「そう、実際、驚いたんだよ」
「まるで“アルコールに触れし唇をもてわが唇に触るるにあらず”って歌を歌いだしそうな顔だった」
「そんな歌、知らないよ」
「歌ってあげましょうか?でも、本題からはずれるからやめておくわね。とにかくあなたはアルコールの臭いに関しては、とびきりの嗅覚を持っていて、

そんな歌検索でヒットしませんでした。

頁290
 これまでに世間の注目を集めたことは、私にもないわけではなかったが、それはずっと昔の話で、また、これほど華やかな脚光を浴びたことは一度もなかった。しかし、こうしたことはどうしても好きになれない。それは今回も変わらなかった。ただ、それに悩まされるというほどのことではなく、その点はついていた。“新聞であんたの記事を読んだよ”とか“こないだの夜、あんたをテレビで見たよ”と言って、私のいっときの名声をそれとなく冷やかすAA仲間もいたが、私がただ笑ったり、肩をすくめたりすると、誰ひとりそれ以上そのことを話題にしようとはしなかった。また、AA仲間の大半は、スカダーという名の探偵と私とを結びつけてもいなかった。私の話を何度も聞いて、どういう人間かはよく知っていても、AA仲間で私の苗字を知っている者はほんの数人にすぎない。AAというのはそもそもそんなところなのだ。

吾妻ひでおのアル中病棟でも、そんな場面ありましたね。
そういう告白は聞いたことある気がします。
まあ、違うこともあるでしょうけれど。

頁414
それはオープン・ミーティングというやつで、エレインのようにアルコール依存症患者でなくても出席できる集会だった。

須賀田さんが、これからどういう捜査をやろうとしているか、
婉曲的かつ抽象的に集会で「吐く」場面もありましたが、付箋がどっかいってしまったw

頁292
 夫としても、父としても、私がその資質に欠けていたために、失敗に終わった最初の結婚とは、今ではかなり折り合いがつけられるようにはなったが。AAではそれを“過去の惨状を整理する”と呼び、誰もが避けて通ることのできない通過点とされている。
 私はその通過点を通った。償いをし、他人を赦し、自分を赦して、過去の亡霊を過去に追いやってきた。それを慌ててやる人たちもいる。が、私は急ぎはしなかった。時間をかけてゆっくりとやってきた。何回にも及ぶ助言者スポンサーとの対話、執拗な自己分析、充分な思索、そしてある程度の行動。それらがうまく私には作用したと言えるだろう。長いこと私を苦しめてきたものが、今では私を苦しめなくなっているところを見るかぎりは。
 しかし、ときにはそれが息を吹き返すことがあるのだ。そして、それは十一月から十二月にかけて起こりやすい傾向にあった。日がどんどん短くなり、太陽が徐々に光を節約しはじめると、買え与えられなかったプレゼントのひとつひとつが、過去の言い争いのひとつひとつが、吐いた卑劣なことばのひとつひとつが、シオセットの自宅には帰らず、なんらかの理由を見つけてマンハッタンに泊まった夜のひとつひとつが、どうしても思い出されてくるのだ。
 そんなわけで、買い物に失敗したあと、どうしても私の足はパーク・ヴェンドームではなく、向かい側のホテルに向かった。自分には、テレビのレポーターとロビーで顔を合わせたくないからだと言い聞かせたが、実際には、そういう気づかいはもうなくなっていた。レポーターたちは、電車を降りようとするかのように、彼らの脇をすり抜けていくだけの男には、とっくに興味をなくしていた。
 私はフロント係のジェイコブに声をかけ、起きている時間の大半をノースウェスタン・ホテルのロビーで過ごしている男と会釈を交わした。その男は、私が転がり込む何年もまえからホテルにいる男で、遅かれ早かれそこで死を迎えることになるのだろう。美しい女と結婚して、向かいへ移り住めるようなチャンスは、彼にはもうあまり残されていないだろう。
 私は階上の自室にあがり、テレビをつけ、あちこちの局にすばやくチャンネルを合わせて、またすぐスウィッチを切った。そして椅子を窓辺までひっぱっていき、眺めるともなく窓の外を眺めた。
 それから受話器を取り上げ、電話をした。ジム・フェイバー自身が電話に出た。「フェイバー印刷です」ここ何年ものうちに、私は彼のそのしゃがれ声を聞くとほっとするようになっていた。それはそのときも変わらなかったので、私はそのとおり彼に話した。
「実際には、あんたの電話番号を押しはじめた時点で、すでにかなり気分がよくなってた」
「まだ飲んでた頃、その日初めての一杯をやりに酒場にはいったときの感覚を思い出すね」と彼は言った。「ほんとうにその一杯が必要で、体が皮膚を破って中から飛び出してきそうな、そんな気がしたもんだよ」
「わかるよ」
「そして一杯注がれると、それでもう安心できるんだよな。まだ飲んでなくても、まだ酒が血管を通ってなくて、体の細胞ひとつひとつに愛と平和をもたらしてくれなくても、酒がそこにあることがわかってるというだけで、同じ効果があるんだよ。でも、なんだね、助言者スポンサーに慌てて電話しなきゃならないほど悪いことというのは、いったいどんなことなんだね?」
「そう、季節の喜びだ」
「ああ。誰もが一年で一番好きな季節だ。でも、あんたは最近集会にあまりでてないんじゃないか?」
「いや、二時間ほどまえにも行ってきたよ」
「そうかい。だったら、罪悪感を感じて自己憐憫をやってるほかには、どういうことで忙しいんだね?

ちなみに、本作の主要登場人物紹介ページに、ジム・フェイバーは出てきません。
ブッチャーは本作に出てこないので、紹介されなくても納得しますが、
ジムは出てくるので、書いてもいいかな、と思います。
須賀田さんの打ち解けなさからだと思いますが、
最初はスポンサーじゃなかったが、のちにスポンサーになる、
という経歴、役割は大事です。

作者は本当に賢者の贈り物が好きみたいで、他の話でもクリスマスになるとウキウキそわそわ、
心あたたまるプレゼントのポトラッチ合戦みたいなのを読みましたが、
この作品でもそういう展開で終わりになり、
本国アメリカより先に日本で翻訳が出版されたという小ネタを後書きで読みます。
こうして皆に愛されるこのシリーズも、十三冊目を読了し、あと何冊。
ずっと読んでいたいのに、終りが見えて来たときの気持ちを味わっています。