『償いの報酬』 (二見文庫 ザ・ミステリ・コレクション)読了

償いの報酬 (二見文庫 ザ・ミステリ・コレクション)

償いの報酬 (二見文庫 ザ・ミステリ・コレクション)

A Drop of the Hard Stuff

A Drop of the Hard Stuff

現時点での須賀田さんシリーズ最終作であります。
邦訳刊行時点で作者74歳ということであり、続編が書かれるや否や、
これはもう運否天賦でしかないと思います。
あとがきによると2012年10月に初来日とのことで、
その来日歓迎イベントのユースト動画が検索で見つかったので見ましたが、
元気だがお年である、長編作品をイチからビルドアップする意志があるかどうか、
と思いました。

Go-Livewire 2012/10/20 19:10
http://www.ustream.tv/recorded/26301538

全然関係ないけどそのイベントでローレンスブロックカルトクイズ大会があり、
狂戦士バーサーカー ミック・バルーの農場管理人夫婦の名前を二択で答えさせるクイズに、
作者が正解を問われて、どっちも合ってると答えたのに笑いました。
確か、訳者が、作品によって名前が違うぞ、と作者に突っ込んで、
作者が、よく覚えてんなーえらい、みたいに誤魔化した因縁の名前であります、それは。

また、作者のこの初来日は孫娘の大学卒業祝いの四国旅行だそうで、
作者は概して日本への関心が薄い、というか、これまでの作品でも、
日本車しか出てこない、あと初期作品のカメラを持った日本人観光客だけ。
イベントでドューユーノウカワバタヤスナリ、と聞かれ、
竹を割ったように明快に「ノー」と答えていて笑いました。
この小説で、日本人観光客がいる限りティファニーは安泰、みたいな台詞がありますが、
2011年の執筆当時では、中国人観光客の間違いではないか、と思うくらいで、
中国人については、料理だけよく出てきて、将軍の名前のついた鶏料理とか全然分からず、
カシューナッツ炒めは宫保鸡丁、乞食鶏でもないし…と不思議に思っています。
私がイベントに行っていたらそれを質問したと思う。
欧米人はうま味調味料が苦手なはずなのに珍しいわけですが、
で、奥さんの名前はリン、とあとがきで見て、もしや嫁日記なのか、
と思いましたが、動画を見ると白人の奥さんで、Lynneと書くそうです。
でも、夫婦で135国を旅したと英語版Wikipediaに書いてあるわけで、
日本に来るの遅すぎで、しかも孫の要望くさいので、クールジャパン大ガッカリ。

続編が書かれるかどうか危ぶむもうひとつの理由は、アル中世界との関わり方においてです。
前作『すべては死にゆく』は、自助グループの匿名性を逆手に取った恐るべき殺人鬼の接近、
でしたが、今回は、自助グループのプログラムのひとつである、埋め合わせがポイントで、
埋め合わせ殺人事件ともいうべき事件です。自助グループは実在するわけで、
こういうのどこまでアリなんかなあ…と少し首をかしげざるをえないです。
今回は断酒一年目くらいの、過去の須賀田さんのお話で、
この手ならいくらでも話が作れる、とどこかのレビューで読みましたが、
前述のように現実の自助グループが作品ロジックの大半を占めてしまうとなると、
悩ましい。以前のように、飲まないアル中世界は舞台だけの話にして、
事件のストーリーにアル中はそんなにリンクしないのがいいじゃいか、と思うので…
恨みのリスト殺人事件とか、湯呑洗い椅子片付け殺人事件とか、読みたくないので。

で、今回、作中の自助グループの十二のステップの文句を、AAWS社の許可の元、
当該サイトの訳文をそのまま使っているとしており、これまでの作品で、
「段階」と訳されていた言葉が、「ステップ」と訳されています。
でも、ミーティングは相変わらず「集会」と訳されてるし、「断酒」でなく「禁酒」のまま。
下記のような訳もあります。

頁54
「でも、あんたの“より大きな力(AAの概念。われわれを凌駕する偉大な力のこと)”にはまた別な考えがあった」
「おれの“より大きな力”は」とマーティは言った。「なんとも鈍くてね。まるで役に立たないんだよ、この手のことに関しちゃ」

正直、今回の作品は、徹頭徹尾自助グループのことばかりで進行してゆくので、
引用するにしても、とても箇所が多く、引用の定義を守れるか不安でしたが、
まとめてみると、引用の範疇に収まったように思えるので、よかったです。
あと、写していて、AA用語辞典みたいなのないかなあ、と思いました。
あるのかもしれませんが、よく分からない。
引用は分類してからここに書こうかとも思いましたが、無理っぽいので、頁順に記します。

頁19
 そして、多すぎる意識喪失と、多すぎる二日酔いを繰り返し、解毒治療棟へも何度か入退院を繰り返し、少なくとも発作を一度起こしたあと、酒場のカウンターの上に飲み物を残して、気づくと、AA(アルコール自主治療会)の集会に参加するようになっていたのだった。集会にはそれまで行ったことがあり、素面でいようと努めたこともあったのだが、そのときにはまだ準備ができておらず、ようやくそのときが訪れたということなのだろう。「マットと言います」と私は部屋を占める人々に告げた。「私はアル中です」と。
 それまで私はそのひとことを口にしたことがなかった。きちんとひとつの文にして言ったことがなかった。そのひとことを言ったからといって、禁酒が保証されるわけではない。素面というのは何物によっても保証されない。常に細い糸に吊るされている。それでも、そのときの集会を経て、私は何かが変わったと思った。その日飲むことはなかったし、その次の日も飲まなかった。さらにその次の日も。私は集会に行きつづけ、一日一日をつなぎ合わせた。

上の説明的な文章で、本編が八百万の死にざまの続編であることが分かります。

頁20
 その日、私が出たのは、三人の話し手が話をする東十九丁目の集会で、二番目の話し手の話が終わると、事務連絡のための休憩となり、連絡事項が伝えられ、寄付金集めのバスケットがまわされた。そのあと、記念日を迎えた者たちはそのことを告げて拍手を受け、新参者は自分の禁酒日数を報告した。そして、三人目の話し手がまた話をし、十時にはすべてが終わり、全員家に帰れる時間となった。

上は、ほかの作品でも繰り返し出てくる、当時のニューヨークの集会風景のスケッチ。
そういえば、作者来日イベントでは、作品に関する質問限定で、
ローレンスさんも飲まないアル中なんですか?みたいな質問はなかったです。NG事項か。

頁23
 九十日というのはいわば保護観察期間みたいなものだ。で、九十日ちゃんと素面で過ごせたら、集会で話をすることが許され、自分でさまざまなグループをつくって、自分のほうから奉仕する立場にまわることも許される。また、集会で手を上げて、今日は禁酒何日目ですなどと世界に報告しなくてもよくなる。

スピーカーになれる、という意味の「話をすることが許され」だと思います。
オープンミーティングでひとりひとり話すのはいつでも時間があれば許されると思います。

頁24
 私は自分がしなければならない“埋め合わせ”のことはあまり考えたくなかった。だったらただ棚に上げておけばいい、とジム・フェイバーは一度ならず言ったものだ――あんたには今日ふたつやることがある。ひとつは集会に行くこと、もうひとつは飲まないことだ。このふたつをきちんとやっていれば、あとは全部、しかるべきときが来ればよくなるものさ、と。

ジム・フェイバーは、過去の作品では、須賀田さん断酒歴一年くらいの時点では、
まだスポンサーでなかった気がするのですが、
この作品では結構早期から須賀田さんのスポンサーということになっていて、
自分の記憶が模造かなあ、と思ったりしました。

頁27
「考えただけでもそれが嫌でたまらなかった。嫌で嫌でならなかった。だから、何かそれをやらずにすます方法はないものかと思って訊いたんだ、“ただ有罪とだけ言ってすませるわけにはいかないのか?”って。そうしたら弁護士に言われたよ、そういうわけにはいかない、向こうが望むことをしなきゃならない、あんたは自分のしたことを話さなきゃいけないってな。まあ、それをやるか、司法取引きを蹴るか。おれだって完璧にいかれてるわけじゃないからね。やらなきゃならないことはやるさ。でも、ひとつだけ聞いてくれるか?言ったとたん、すごく気持ちが楽になったんだ」
「嫌なことが終わったから」
 彼は首を振った。「外に吐き出したからだ。口に出して言ったことで、ようやく認められたんだよ。要するに禁酒の第五ステップだ、マット。神とみんなのまえで白状しちまえば、心の重荷が降ろせるってやつだ。もちろん、それが最後の重荷ってわけじゃなかった。おれの重荷のちっちゃな一部にすぎなかった。だけど、そういうことがあったんで、禁酒プログラムと出会って、やらなきゃならないことを言われたときには、おれにはすぐ納得できた。これはうまくいくって即、わかったんだ」

何度も書きますが、この作品は、埋め合わせが起こした事件の小説です。

頁27
 AAの『十二のステップ』がわれわれを素面でいさせてくれるわけではない。ジム・フェイバーにそう言われたことがある。飲まないことが素面でいさせてくれるのだ、と。ステップは禁酒を苦痛のないものにするためのものだ。そこからはずれて飲まずにいられなくなるような気持ちにならないようにするためのものだ。順調にいけば――と彼は言った――あんたもそこまでたどり着けるだろう、と。今のところ、私は自分がアルコールに対して無力であること、アルコールは自分の人生を手に余るものにしてしまうことを認めていた。それが第1ステップで、そのステップには、必要なかぎりいつまでいてもかまわなかった。
 私はそのステップをことさら急いで通過しようとは思っていなかったが、いずれにしろ、私が足を運ぶ集会の大半は『十二のステップ』を読み上げることから始まる。あるいは、読み上げなくても、それを書いたリストが壁に貼られており、どうしても眼にはいる。第四ステップというのは、詳細な自分自身の棚卸しをして、腰を据えてそれを書き上げることだ。第五ステップは告白――クソみたいなことをほかの人間、多くは助言者スポンサーに打ち明けて共有することだ。
 ジムはこうも言った――ステップを実行しなくても、何十年も禁酒を続けている人もいる、と。

これまでの作品で「段階」と書いてあったのが「ステップ」になると、
なんか恥ずかしい気もします。「段階」でいいのに。

頁29
 しかし、もちろん、彼にとってそこは終着駅でもなんでもなかった。線路はそこからもジグザグにさらに二年ほど続いており、その間、警察沙汰とは縁が切れても、酒場と縁を切ることはできなかった。集会には出て、時間稼ぎが少しはできても、すぐにまた“かまうものか”といったときを迎え、次に気がついたときには、酒場にいるか、ボトルから長々とラッパ飲みをしているかといったことが繰り返された。解毒治療も何度か受け、意識をなくす時間が徐々に長くなり、さすがに彼にも自分の将来が見えてきた。が、その将来を避ける方法がわからなかった。

頁30
 ほかにどうすることもできないように思われ、彼は飲みつづけ、AAの集会に舞い戻るということを繰り返した。ほかにどこに行き場があっただろう?そんなある日の集会のあと、思いがけない相手に脇に引っぱられ、なんとも癪に障る事実を告げられたのだった。
(略)
 いずれにしろ、そいつはおれを坐らせると、おれは禁酒プログラムを回転ドアみたいに使ってるって言った。そのドアを出ちゃ戻ってきて、戻ってくるたび少しずつ自分を失っちまってるって。そのパターンを打ち破るには、毎日、朝は『ビッグ・ブック(AAの基本テキストの通称)』夜は『十二のステップと十二の伝統』を読んで、ステップについてとことん真剣に取り組むしかないって。おれはそいつをまじまじと見たよ。その吹けば飛ぶようなちっちゃな女王さまを。火星人ほどにもおれとはなんの共通点もないやつを。で、それまで誰にも頼んだことのないことを頼んだんだ。助言者スポンサーになってくれないかって。そいつはなんて言ったと思う?」
「いいよと言ってくれた」
「“喜んでなるよ”って。“ただ、あんたがそれに耐えられるかどうかはわからないけど”って。まったく、言ってくれるもんだよ。だけど、このことに関しておれにはほかにどんな選択肢があった?」

頁31
 こうしてジャックは毎日集会にかようようになった。ときには一日にふたつ、あるいは三つの集会に参加することも珍しくなかった。助言者には毎朝毎晩欠かさず連絡をした。朝、ベッドから出て最初にするのは、ひざまずいてもう一日酒を断つことができますようにと神に祈ることであり、夜、最後にするのは、またひざまずいて今日も禁酒を続けることができましたと神に感謝することだった。そして、『ビッグ・ブック』と『十二のステップと十二の伝統』を読み、助言者スポンサーとともになんとかステップを続け、九十日間の禁酒を達成した。九十日というのは初めてではなかったが、六ヵ月まで達成できたことは以前になく、それが九ヵ月、さらに一年も続いたのだった。信じられないことに。
 第四ステップとして、彼の助言者スポンサーはジャックにこれまでの人生で手を染めた悪行をすべて書き出させた。そして、何か書きたくないことがあるなら、それこそまさに書くべきことだと諭した。「言ってみりゃ、最終陳述アロキューティングみたいなものさ」とジャックは言った。「それもこれまでやってきたクソみたいなことすべてについての」
 助言者スポンサーとともに腰を据えると、ジャックは書いたことを読み上げた。彼の助言者スポンサーは時々口をはさんでコメントしたり、もっと詳しく書くよう指示したりもした。「ようやく終わったところで、今どんな気持ちか訊かれてさ。あんまりお上品な言い方とは言えないが、おれは言ったよ。世界史上一番でかいクソをひり出したみたいな気分だって」
 で、今は禁酒十六ヵ月に達し、“埋め合わせ”に取りかかる段階まで来たのだった。自分が傷つけた人々のリストは第八ステップで作成済みで、すべてを正す心の準備はすでにできていた。が、第九ステップでは実際に“埋め合わせ”をしなくてはならない。それはそう簡単なことではなかった。

ひざまずいて感謝したり祈ったりというのは、アメリカの習慣のような気がします。

頁33
 ホテルの部屋に戻ると、私はジム・フェイバーに電話をかけた。ジャックの話からすると、彼の助言者スポンサーはどうやら“ステップ狂信者ナチ”であるらしいということで、私たちの意見は一致した。また、それこそまさにジャックが必要としているものなのだろうということでも。

スポンサーをナチに例えるアメリカ人がもしいるとして、
それが彼のオリジナルでないことが分かりました。よかった。

頁56
「もうじき一年になるんじゃない?」朝食のときに彼女が言った。「ちがう?あとひと月ぐらい?」
「五週間や六週間。それくらいだ」
 そのことについては、彼女には言いたいことがあるように見えた。が、あったとしても、言わないように決めたようだった。

 その夜は九番街の中華レストランでジム・フェイバーに会った。ふたりとも初めての店で、評価は可もなく不可もなくというのがふたりの結論だった。私は彼にジャンと過ごしたゆうべのことを話した。彼は黙って話を聞きおえると、少し考えてから、私が禁酒してもうすぐ一年になることを私に思い出させた。
「彼女も同じことを言ったけど」と私は言った。「それにどんな関係がある?」
 彼は肩をすくめ、私が自分の質問に自分で答えるのを待った。
「“最初の一年では大きな変化を起こしてはいけない”。それが禁酒に関する昔ながらの知恵だ。だろ?」
「そう言われてるね」
「それはつまり、どうするにしろ、ジャンとの関係をどうするか、あと五、六週間で決めなきゃならないということだ」
「そうじゃない」
「そうじゃない?」
「五、六週間のあいだは」と彼は言った。「まだ決めちゃいけないということだ」
「ああ」
「そのちがいがわかってるかな?」
「まあね」
「一年経っても変化を起こす必要はない。結論を出す必要もない。何かをしなければならない義務もない。大事なのはそのときが来るまではどんな行動も起こすなということだ」
「わかった」
「同時に」と彼は言った。「今われわれが話してるのはあんたの予定だ。彼女には彼女の予定があるかもしれない。あんたは一年素面を通した。で、彼女とのこともどっちにするかはっきりさせるときが来たというわけだ。そんなところかな?」
「たぶん」
「わかってると思うけど」と彼は言った。「一年待つというのはあくまで原則だからね。慎重にも最初の五年は大きな変化を避けるという賢明な人たちもいる」
「それってジョークだよね。だろ?」
「中には十年という人もいる」と彼は言った。

ここは私にはよく分かりません。
日本の、公的機関の、所謂中間施設と呼ばれる場所のほうが長く時間をかけている、
という意見を聞いたような気もしましたので。よく覚えてませんが。

頁58
 私たちはセント・クレア病院の集会に出た。参加者の大半は解毒治療棟の患者で、参加を義務づけられていた。そんな彼らを眠らせずにおくのはむずかしく、何か言わせるなど不可能に近かった。それでも、ジムと私はそれまでにも何度か来たことがあった。洞察に満ちた考えを聞けることはめったになくとも、実地教育が受けられるからだ。

デンゼル・ワシントンのフライトという映画には、刑務所内集会が出てきますが、
アメリカにも当然病院集会があるわけですよね。
もし日本の病院の回復率の低さを嘆くアメリカ人がいるとして、
アメリカの回復率との比較を尋ねてみると、
米国のほうが低いと謙虚に言ってくれるかもしれません。

頁90
あんたがどのステップにいるか訊いてもいいかな?」
「今は最初のステップに専念しているところだ」と私は言った。「第二ステップと第三ステップも少し視野に入れているが」
「正式な第四ステップはまだ終えていないということだね」
「助言者スポンサーから先を急ぐなと言われててね。一年に一ステップというのが自然な進度なんだそうだ。で、私はまだ一年目だから、第一ステップに専念しろということらしい」
「それはそれでひとつの考えだ」と彼は言った。「確かに、一年一ステップ主義には一理ある。ひとつのステップがほんとうに身に沁みてわかるようになるには一年かかるというのにはね。

頁91
でも、一九三〇年代か四〇年代当時、こうしたことすべてを始めた人たちは、まだ病院にいる患者をベッドから引きずり出してひざまずかせ、宣言させたんだからね。自分は酒に対して無力ですとか、“より大きな力”を信頼しますとかって。気の毒な患者たちはまだ震えも止まっていないというのに、待ってすらもらえなかった。当時の彼らこそ元祖ステップ・ナチだよ。これはそんなことばを誰かが思いつくより何十年もまえの話だけど」

これ、目からウロコでした。そんなことあったんですね。

頁92
「彼がぼくに話したことも書き出したこともすべて極秘事項だ。でも、ぼくは神父じゃないからね。懺悔室の封印がぼくを守ってくれるということはないよ。それでも、神父のようになったつもりだった。法律とは齟齬を来していても。もう……」
「もう彼は死んでしまったんだから」
「もう彼は死んでしまったんだから。それに、彼が書き残したものが警察の捜査を正しい方向に導く可能性もある。となると、ぼくの責任はどういうことになる?彼が死んだことで、守秘義務からは解放されることになるんだろうか?確かに一般的には、故人が生前AAの会員であったことは、明かしてもかまわないことになってる。感傷的な本や映画に出てくる台詞じゃないけど、死とは決して匿名性を持たないものだ(『ある愛の詩』の有名な台詞、“愛とは決して後悔しないこと”のもじり)。でも、この場合はちょっとちがう。でしょ?」

(略)
 グレッグが抱えているジレンマは明らかだった。びっくりするほどいいスーツを着ているデニス・レドモンドにジャックの第八ステップのリストを渡せば、事件に無関係な人々に迷惑をかけることになる。渡さなければ渡さないで、今度は犯人を野放しにする手助けをすることになる。

頁102
「あんたが助言者スポンサーを探してるのと同じように仕事を探してる。EPRAとかいう無料プログラムを誰かに勧められもしたが、なんの略語だったか――」
「〈更生中のアルコール依存症患者のための雇用プログラム〉。

頁124
 それはまさに第三ステップの精神に則った考え方だ。第三ステップにはこう書かれている――“私たちは自らの意志と生き方を、自分なりに理解した神の配慮に委ねる決心をした”。
 それは私自身何度も耳にしてきたことばだ。特別なステップ・ディスカッションのときや、多くの集会の最初に『ビッグ・ブック』の一節“どうすればうまくいくか”が読み上げられるときに。その考えは嫌いではなかった。が、その実践法となると、私には皆目わからなかった。“意欲という鍵を使えば、遅かれ早かれ錠は開かれる”ということばを『ビッグ・ブック』で読んだこともあるが、実に詩的なことばながら、いったい何が言いたいのか、これまた私にはさっぱりわからなかった。
“第三ステップは、神が洗濯や犬の散歩をしてくれるという意味ではない”――これもよく耳にすることばだ。しかし、つまるところ、どういうことなのか。神に委ねつつすべて自分でやれということなのか。私にはどうにも納得がいかない。
 酒を飲むな、とジムは言った。飲むな、集会へ行け、と。今のところはそれだけを心得ていればいいのだろう。

カソリックプロテスタントほか、さまざまなキリスト教徒、それからユダヤ教徒なんかもいるので、
神について、「自分なりに理解した」の冠をつけた、と聞いています。

頁125
 その日は珍しくベッドにはいるまえに思い出したので、私は膝をついた。「今日も素面でいられたことに感謝します」そう言いながら、私は正しさと愚かしさを同時に感じていた。そのふたつの感情を同時に覚えることのなんと多いことか。

ひざまずく習慣は欧米的な気がします。

頁135
そして、できるかぎりさりげなくつけ加えた。「ちょっと前から禁酒してるんだよ、ビル。AAに参加して、完全に酒を断ったんだ」
「そうなんだ。いつからだね?」
「もうすぐ一年になる」
「顔をよく見せてくれ」と彼は言い、実際、私の顔をまじまじと見た。「大丈夫そうだ。手遅れになるまえにやめたんだな。

(略)
おれは肝硬変でね。おまけに肝臓癌にもかかってる。だから、酒を飲んでもどうってことはないけど、飲まないほうが気分はいい。以上」

結構この場面は胸にきました。

頁139
 ロナガンは言った。「“埋め合わせ”をする。そう言ったね?AAではみんなが“埋め合わせ”をするのか?」
「そうすることが望ましいとされている」
 彼は首を振って言った。「たぶんおれはそういう禁酒法を試さなくて幸運だったよ。そんなリストをつくったら、まったく、いったいどこから始めたらいいのかわからなくなるだろうから」

頁193
それぐらいじゃアル中にはならないよね?」
「何を飲むかが問題なんじゃない」と私は人に言われたことをそのまま伝えた。「問題は飲んでるものが飲んでる人間にどんな影響を及ぼしてるかということだ」
「それがあんたらの“党”の方針なんだね?まあ、私の場合もどこへ行き着くかなんてそれは誰にもわからないだろうよ。だけど、だからと言って、私も席も取っておいてくれとあんたに頼むつもりはないよ」
 主よ、我を素面にさせたまえ。しかし、今すぐにではなく。

自助グループは「党」ではないわけですが、米国における反飲酒運動の積み重ねから、
こういう反応が出るのだと思います。

頁210
S☆LOON。記録上はまだその法律が残っている。店舗を“サルーン”と呼ぶことを禁じた馬鹿げた法だ。禁酒法時代よりまえにさかのぼる。そもそも反酒場同盟をなだめるためにできた法律で、それで酒場サルーンの経営を阻止することはできなくても、少なくとも経営者に別の名を強いることはできたわけだ。リンカーン・センターの向かいにあるパトリック・オニールの店が〈オニールズ・バルーン〉という名前であるのもそのためだ。しかし、誰かに法律のことを教えられたとき、オニールはすでに看板を注文していた。それで、一字だけ替えることですませることにしたのだ。綴りをまちがえて“バルーン”と書くのは違法でもなんでもないだろ?――彼はよくそう言っていたと言われる。
 ジミー・アームストロングは同じ通りを五ブロックほどくだったところに自分の店を開くまえ、〈バルーン〉の店長をしていたのだが、彼の場合はAが来るべきところに☆を置くことで法に触れるのを避けたわけだ。

頁213
 アームストロングの店。禁酒を始めた最初の頃、私にはもうその店に行けない理由がわからなかった。飲んでいようといまいと、アームストロングの店は居心地のいい店だ。料理も美味くて、仕事の依頼人と会う場所としても適していた。転ぶのを避けるひとつの方法は転びやすい場所には近づかないこと。集会で何度か聞かされたことばだ。一方、バーテンダーで、禁酒を始めたあとも同じ仕事を続けている者もよくいる。結局のところ、酒が人を酔わせるのであり、場所が人を酔っぱらいにするわけではない。

頁214
 アームストロングの店には近づかないようにと、セント・ポール教会のAA仲間に言われた記憶はない。自分で決めたのだ。鮭から遠ざかる日が続けば続くほど、禁酒と呼ばれる状態に私はより多くの価値を見いだすようになった。ひとたびグラスを取り上げてしまえば、そうした日々が雲散霧消してしまう。そして、その危険は常にある。新しい一日を迎えるたびに常に。
 気づいたときには、アームストロングの店のテーブルについていること自体、どんどん居心地が悪くなっていた。ただハンバーガーを食べ、コカ・コーラを飲み、新聞を読んでいるだけなのに。そんなある日のことだ。コーヒーカップを取り上げると、バーボンのにおいがしたのだ。私はカップをカウンターに置くと、バーテンダーのルシアンに、最近は飲んではいないと伝えた。
 彼はウイスキーなど入れていないときっぱりと言った。カップをシンクまで持っていって、中身を捨てたときにも。そのあと、「もしかしたら無意識のうちに入れちゃったのかな」と言い直した。「もしそうなら、覚えてなくて当然だよね。でしょ?注ぎ直すね」私は彼が新しいカップを選び、ポットからコーヒーを注ぎ、テーブルまで持ってくるのを見守った。そのコーヒーもバーボンのにおいがした。

頁215
 コーヒーに何も問題のないことはわかっていた。彼が注ぐところから見ていたのだから。それでも、そのコーヒーを飲むわけにはいかないこともわかった。その数時間後のことだ。アームストロングの店には近づかないほうがいいことに気づいたのは。その一週間後か二週間後、私はそのことをジム・フェイバーに話した。すると、彼は遅かれ早かれ私がそうした結論を出すことはわかっていたと言った。「私としては、グラスに手を出すまえにあんたがその結論に達することを祈るしかなかった」
 私は最後に店に足を運び、つけが溜まっていないことを確かめ、

頁215
集会でひとりの女が自分のオフィスの近くにある酒場との関わりについて話すのを聞いたことがある。彼女はその店のまえを日に二度通らなければならず、通りの反対側を歩くよう努めた。それでも、店の磁石のような力を感じないではいられなかった。「それで地下鉄を降りると、オフィスへの道順とはちがう通りを一ブロック、さらにもう一ブロック歩くことにしたんです。夜、帰るときにも同じことをしてます。つまり一日四ブロック。だいたい五分の一マイルほどかしら?すべては〈K‐ディーズ〉に吸い込まれないためです。そうしなかったら、絶対吸い込まれると思うわ。馬鹿馬鹿しいかもしれないけど、全然かまわない。それで何カロリーか消費できるんだし、それって悪くないでしょ?」

集会で見聞きしたことは集会に置いてこなければならないのですが、
須賀田さんは小説の人物で架空だから、よくしゃべりますね。

頁222
 私は私の助言者スポンサーに電話して言った。「今、バーにいる。情報提供者に会ってるんだ。正確には、情報提供者と思われるやつにってことだけど。酒場には来たくなかったんだが、しかたなくてね」
「でも、大丈夫なんだね?」
「コーラを飲んでる。今、相手は席をはずしてて、そいつが飲んでるスコッチが眼のまえにある。で、二十五セントを使って、あんたを起こそうと思ったんだ」
「まだ起きてたよ。スコッチは魅力的に見えるかい?」
「私の頭を弄びはじめてる」と私は答えた。「アームストロングの店にいるんだよ」
「なるほど」
「それで、昔の話が会話の中にはいりこんできた。その男に会ったことはないんだが、どうやら昔はともに同じ世界の住人だったようだ」
 窓越しにステフェンズが食料品店から出てきたのが見えた。彼は歩道で立ち止まり、ラッキーストライクのパッケージを開けた。「情報提供者が戻ってきた」と私はジムに言った。「もう切るよ。大丈夫だけど、でも、あんたに電話したほうあよさそうな気がしたんだ」
「二十五セント玉はいっぱい持ってるよね」
「ああ、いつも持ってる」と私は言った。

頁235
「あれあれ、脱線しちまってたね。そう、買いにきたわけじゃなかった。勧めてはみたんだけどね。味見してみないかって。彼はおれが言いおえないうちから言ったよ。自分はアル中だって。でも、今は禁酒してて、それはつまりどんな薬物も試せないってことだって。マリファナにしろ、何かの錠剤にしろ、どんなものも。そういうものが自分の頭に何かいい作用をするとしても、そういうことを少しでも体験しちゃいけないんだって。最初はなんでそうなのかよくわからなかった。そうしたら、彼のほうはおれが理解できるような言い方をした」
「“人間、同時にハイと素面になることはできない”」と私は言った。
「それ、それ!まったく同じことばだったな。そういうふうに言えば、おれにもわかるんじゃないかって言い方だった。だから、オレンジソーダ以外は何も勧めなかった。

過去の作品で、アル中の睡眠薬濫用死にみせかけた殺人を
須賀田さんが同じ理屈で看破する話があります。
こういう薬物は分かりますが、抗酒剤とかはどういう扱いなのか。
須賀田さんシリーズは、アル中ビルドゥングスロマンですが、
何故か抗酒剤がまっっっっっっっっったく出てこないので、
アメリカってそういうものなのかな、と妄想を逞しくしています。

頁264
 私はそのステップの予行演習のようなものをやってみたことを彼に話した。結局、その中途半端なリストは破り捨てることになったことも。
「王さまの馬みんなと」と彼は言った。「王さまの家来みんなでも塀から落ちたハンプティ・ダンプティをもとに戻せなかった(マザーグースのなぞなぞの童話。ハンプティは卵とされる)。第四ステップも終わってないのにいきなり第八ステップはむずかしいよ」
「私の助言者スポンサーも同じようなことを言ってた」
「それでも、それはわれわれの大半がやってることだ。

順番にやらないといけないそうです。

頁321
あとは五十セント玉くらいの大きさの真鍮のコインがあったな。それよりもうちょっと大きいか。たぶんAAのシンボルじゃないかな、そんなものが中に彫られてるやつだ。ふたつのAが三角だか丸だかに、どっちかわすれたが、囲まれてた」
「両方だ」
「ええ?」
「ふたつのAが三角に囲まれ、さらにそのまわりを丸が囲ってる」
「疑問を解決してくれてありがとう。しかし、それがなんであれ、それで酒を買うのは無理そうな代物だった」
 グループによってはメンバーの記念日にそういうものを贈っているところがある。ローマ数字が一面に彫られ、それで何年の祝いかがわかるようになっている。

デンゼル・ワシントンのフライトでも出てくるマーク。

フライト [DVD]

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頁341
「明日のことは明日にならなければわからない。だから、今日のことだけ考えていればいい。それがAAの考えだ」
「理に適ってる。しかし、なんでそれを彼に言わなきゃならないんだ?それとも、あれはみんな自分に言い聞かせてるのか?」
「まあ、その両方の面がいくらかあると思う。たぶん電話をしてきたのは彼の被助言者スポンシーたちだよ」
「なんだ、それは?助言者スポンサーの反対語か?」
「昔は“鳩ピジョン”などとも呼ばれていた」と私は言った。「AAの古参メンバーの中には今でもそんなふうに呼ぶ人たちがいる。しかし、今は“鳩”というのは蔑称になるというのが大方の考えのようだ」
「なぜなら、鳩というのはうるさく鳴いてあちこち飛びまわり、われわれの頭に糞をする薄汚い鳥だから」
「たぶん」

これも知りませんでした。どこまで事実で、どこからが作者のジョークなのか。

頁366
 日曜日の午後は、ブロードウェイから七十六丁目通りに数軒はいったところにあるシナゴーグでの集会に出た。

日本でもお寺で開かれる集会があると聞きましたが、詳細忘れました。

頁399
 集会に出なければならないことはわかっていた。調べごとに忙しく、午の集会には出ていなかった。が、この時間、マンハッタンで集会を見つけるのは容易なことだ。この時間――五時から七時のあいだ――なら、通勤者が家に帰るまえに立ち寄れるよう、ミッドタウン内でもその周辺でもいくつも開かれている。〈ハッピー・アワー〉という集会にはこれまで何度か出ていた。〈通勤者スペシャル〉という集会もペンシルヴェニア駅の近くで開かれている。さらにグランド・セントラル駅の近くにもひとつあった。

通勤者スペシャル、が面白かったので…

頁430
「で、明日起きたら」と彼は言った。「禁酒一周年なわけだ」
「そのことがときには何かすごいことに思え、ときにはそうでもないことに思える」
「明日何があんたを待ってるかわかるかい?明日あんたを待ってるのは相変わらず乗り切らなきゃならない一日だ。でも、ときにはそれがすごいことになる」
「ああ、わかってる」
「一日はどんな日も一度に一日ずつ過ぎる。長いスパンで考える必要などどこにもない。ただ、ずっと続けていれば、それが長いスパンの禁酒になる。このわかりにくい目的を確実に達成するにはどうすればいいかわかるかい?」
「どうすりゃいいんだね?」
「飲まないことさ」と彼は言った。「そして、死なないことだ」

頁463
「ステフェンズは何を飲んでるんだ?メーカーズマークじゃない」
「スコッチだ。ジョニー・ウォーカー、だったと思う。でも、どうして?」
「そのスコッチをすぐ買ってきて」と彼は言った。「今後一年か二年、日に一本ずつ送るのさ。必要なだけ」
「何に必要なだけ?」
「ステフェンズがアル中になるのに必要なだけ。で、ステフェンズもあんたのクラブの会員になって、あの有名な階段ステップをのぼりはじめる。でもって、告白の書を書いたところで、こっちはステフェンズをとことん痛い目にあわせる」
「ステフェンズの告白の書はどうやって手に入れる?」
「あんたがやつの師ラビになるのさ。あんたらはそういう呼び名をしてなかったと思うけど」
「助言者スポンサーだ」
「ちょっとまえまで覚えてたんだがな。助言者スポンサー。あんたがやつの助言者スポンサーになって、告白させたら見捨てるんだ。でも、助言者スポンサーはそういうことはしない?」
「見捨てるというのは助言者スポンサーの仕事とは言えないな」
「そうじゃないかと思ったよ。だとしたら、もうお手上げだな。

頁464
AAで聞く話の中によく出てくることばがある。地理的解決ということばだ。ある男がカリフォルニアに引っ越す。ニューヨークに問題があるということで。そのあとそいつはアラスカに引っ越す。カリフォルニアに問題があるということで。でも、実のところ、そいつ自身が問題だったらどこへ行こうと、問題は自分と一緒についてくる」

これも、目からウロコでした。そうなんですよね。
AA用語辞典、ないのかな。

頁479
「あのくそバーボンがあまりいい考えじゃないことは初めからわかってた。だけど、あのボトルの美しさに魅了されちまったんだよ。あんたがホテルに戻ると、グラスとあのボトルが置いてある。こりゃもう大変な衝撃だろうと思ったんだ」
「まあ、その点はまちがってなかったよ」
「どんな効果があった?誘惑されたか?」
「あんたは高所恐怖症じゃないかい?」
「高所恐怖症?いったいそれが今の話とどんな関係があるんだ?」
「ただちょっと思ったもんでね」
「飛行機は怖くない。まわりを囲まれてたら、何も怖くない。しかし、それが岩棚とか崖とかとなると……」
「ちがってくる?」
「まるでね」
「私も同じだ。しかし、何が怖いかわかるかい?もしかしたら飛び降りたくなるんじゃないかという自分の気持ちが怖いのさ。飛び降りたくなんかないのに、急にそんな衝動に襲われやしないかなんてね。それが怖いのさ」
「 彼は私の言ったことを咀嚼するようにうなずいた。続けて私は言った。
「飲みたくはなかった。しかし、酒はそこにあった。それを飲みたくなることが怖かった。何か自分には抗えない衝動に駆られて」
「しかし、あんたは飲まなかった」
「ああ」

作者がもしアル中なら、また来日の機会もあるように思いますが、
さてどうでしょうと思いました。