『どかんたれ人生』(集英社文庫)読了

画像はありませんが、表紙は進藤信一という人。
昭和五十年くらいのエッセー集だそう。後半は、『どぼらや人生』*1が収録されてます。
これでこの人は、あと処女作の『北満病棟記』を読んできりをつけようと思ってます。
昭和五十年の七、八年前の話。

頁59
 私は怒りで頭に血が昇った。こんな奴に負けてたまるものか、とそのまま直進したのである。衝突寸前まで来たら、ダンプの運転手も驚いて、ハンドルを切るだろう、と私は思ったのだ。だが、ダンプのスピードはかなり早かった。あっという間に眼前に、巨大なダンプが拡り、私は愕然として、ハンドルを左に切ったが、そのまま意識を失ってしまった。
 はっと気がつくと、私のジャガーは一米下の田圃に落ちている。
 右半分が目茶苦茶に潰れ、私は吃驚して身体を撫で回したが、五体は無事のようだった。外車で左ハンドルだったので助かったのだが、右ハンドルだったら死んでいるか、重傷を負っただろう。
 ダンプの運転手が驚いて道から田圃に降りて来たので、お前が悪いぞ、と私は怒鳴ったが、今、あの時のことを思い出すと背筋が寒くなる。
(中略)車を運転する第一の条件は、運転不向きな性格との闘いにあるようだ。

上記と関係ありませんが、頁144も好きな箇所です。下記は子どもの頃の喧嘩の思い出。

頁154
 私は野良猫の集る空家に入り、待ち受けて射ち殺すと、その猫を自転車の荷台に乗せて、昼間の喧嘩相手の家に行く。そして、ナイフで喉をえぐって血を出し、玄関の戸を叩く。そして、相手の家の者が戸を開けると、それが、親父だろうと、妹だろうと、血まみれの猫の死骸を投げ込むのだった。
 これが第二日目に対する私の宣戦布告なのである。

何かあった人の幼少時を遡行取材して、
こんな猟奇があんな奇行が言うことがあったりしますが、
作者は大人になって全身麻痺の大病を二回患っているわけで、この本を通して読むと、
その経験が一番の要因として、矯正された人格を形成したんかしらん、と考えます。

頁180
 クリスチャンの家庭に生れ、そういう面で、厳しく育てられた私は、盗みに対して、知らず知らずに拒絶反応を起すようになっていたのだろう。

頁171に、昭和五十年くらいに深夜阪神高速狂走族に絡まれる話がありますが、
かなり理性で抑制して、時速200キロ勝負をせず、
会話で並走するゾッキーをさいならさせています。

頁177
 昭和十九年の夏、私達の小隊から一人の兵隊が脱走した。
 それは私にタックルして饅頭を奪った彼であった。私達は銃剣を持って満人集落を虱潰しに探して歩いた。ニーピンペン、カンカンデーメイユーと、私達は怒鳴って歩いた。
 日本兵を見なかったか、という意味である。鉄拳制裁に耐えかねたり、故郷が恋しくなって脱走する者がたまにいるが、九十九%発見される。満洲(中国東北地方)の山野を食物なしで逃げ切れない。彼が発見されたのは翌日、五里ほど離れた山中で、何と豚を三頭も盗んでいた。

日本兵はニーピンペンとは言わないです。尋ねられた満人集落の人も、
チンプンカンプンでさぞ迷惑したでしょう。

日本の発音 Forvo
http://ja.forvo.com/word/%E6%97%A5%E6%9C%AC/#ja
兵の発音 Forvo
http://ja.forvo.com/word/%E5%85%B5/#ja

日本兵のリーベンビン(このリーは捲舌音なので難しい)と、
你、兵伴儿(ニー、ビンバル)看看的没有がごっちゃになったか、
などなど推測しました。カンカンデーメイヨウは看看的没有で、有名な兵隊支那語なので、
説明は不要かと思いますが、あえて訳すと、「見るのことあるないか」以上