『あひる飛びなさい』(集英社文庫)読了

http://ecx.images-amazon.com/images/I/51L5V9XJS8L._AA324_PIkin4,BottomRight,-51,22_AA346_SH20_OU09_.jpg福富太郎の『昭和キャバレー秘史』
*1に出てきた本。
本書ではYK20としている、
YS11開発物語であるとか、
NHKドラマ『あひるの学校』
*2の原作のひとつだとか、
そういうのとは関係なく、
黒人兵専門のキャバレーを
やっとったオッサンの話、
という文脈だったように
思います。
表紙は誰が見ても山藤章二ですが、
誰の似顔絵か分かりません。
ほかの表紙でも同じ顔が
http://ecx.images-amazon.com/images/I/515d0tHQ-FL._AA324_PIkin4,BottomRight,-51,22_AA346_SH20_OU09_.jpg出てくるので、
モデルのキャバレー経営者や
YS11設計者の似顔絵では
ないと思います。
といって、阿川弘之*3
ドラマの主役の芦田伸介
検索した限りでは、
似た顔ではないので、
誰なら、と。
解説は岡田睦*4
私も、ユーモア小説書けるって、
ほんと才能だな、と、
思いました。

頁56
 進駐軍専用のキャバレーは、当時、各米軍キャンプのスペシャル・サービス――娯楽施設課の監督下にあり、従業員たちに対して、月一回の検診があった。
 指定の日に、トラックでキャンプに運ばれて、アメリカ軍医の診察を受けなくてはならないのである。
 もっとも、日本の赤線女の検診とは少しちがって、内診はやらないのだが、米軍はどういうものか、皮膚病と、トレンチ・マウスと称する口内の病気に対して、ひどく神経質であった。
 初めは、女たちの口の中と、上半身を検査するだけであったが、ある時から、下半身の皮膚病も診ると、向うが言い出した。
 不服を唱えてみても、
「ノー・アーギュメント(議論の余地無し)」の一点張りで、全然受けつけてくれない。
 結局、「ミシシッピー」の女たちも、月に一回、ペンキ塗りのカマボコ兵舎の中で、パンティを下ろさされるはめになった。
 オフ・デューティ(勤務外)の時には、たといオカチメンコのような女にでも、女とあらば至極鄭重で、下にも置かぬ扱いをするくせに、一旦勤務上のこととなると、彼らの取扱いは相当乱暴で、それにぐずぐずされることをひどくきらった。
「ヘイ、ネクスト。ハリアップ」
 もじもじしていたら、
「ピシッ」
 と、尻を叩きつけられる。

頁71など、キャバレーの飲み残しのビールが鮨屋に闇で流れ、
吸い殻が入っていたので鮨屋の親爺が殴り込みに来た時、
ビール二ダースタダで届けてチャラにして、鮨屋に恩を売り、
そのビール代は闇で流した従業員に弁済させ、
懐痛まずして味方をひとり作ってしまいながら、
「江戸ッ子ちゅうたら、えらい人間が簡単なもんやなあ」
とうそぶいてしまうシーンなど、うまいなあ、と思って読みました。
ことばもいいですね。頁51パングリッシュ
頁209「アメしょん旅行して来たぐらいで、すっかりあちらづいちゃって、このごろの社長と来たら、少しキビが悪いや」
などもいいのですが、スチュワーデスの略語「デス」が面白くて、
「デス」が出るたびメモってしまいました。

頁241
「そうでなくても、うちのデスたち、廻転が早くて、一人前になったころには、お嫁に行ってしまうでしょう。三期は、もうそろそろ中堅なのよ。

頁287
「ねえ、川江さん。さっきのカルカッタのお礼に、一つ、謎々言いましょうか?」
 亜紀子は、大空やけのしている川江コー・パイロットの浅黒い顔を見ながら言った。
「暢気だなあ。――何だい?」
「やさしいんです。デスが一人胸を悪くして、田舎の病院へ入っているのを、別のデスがお見舞いに行ったんです。そしたら蝶々がひらひら飛んで、牛がモーと鳴きました。デスの病気は何でしょうか?」
「馬鹿馬鹿しい。盲腸に決ってるんだろ」
「ワーイ。ひっかかった。胸を悪くしてって、言ってあるじゃないの」

頁295
「これ、車掌さん、えらい、かわいらしい手をしてるな」
 などと、田舎の狒々爺さんに手をおさえられたり、そんないやな思いをした時でも、彼女はあとで、みんなで笑って、すぐ忘れてしまうだけの、若さと強さを持っていた。
「どうも、ちかごろの新しいデスは、気が強いよ。あんな時、昔のデスは、泣いたもんだがね。この間も、パラシュートを積んでないのかって、しつこく聞くお客さんがあったそうだ。そしたら、十四期のデスだが、お客さま、もしパラシュートがつんであったら、飛び降りられますかって、やり返したっていうからね。

どう考えても、エイゴの「死」と同音なので、忌避淘汰された口語ですよね。

小説の前半は、戦災で女児ひとりを遺してあと全部失った男が、
徴兵で行ってた上海の顔見知り士官(設計者)に青梅の羽村まで行商に行った折再開し、
そのツテで進駐軍黒人兵専門のキャバレーを開設し、さらには観光バス会社、
北海道リゾート開発へと乗り出してゆき、一方で設計者はパージがとけて、
たぶん全日空だと思いますが、航空会社設立参画、国産量産機YS-11開発、という話で、
後半は興業家の娘さん、通称ぎょっと娘、ぎょっとちゃんが、
成長してスッチーになって、幼少時は反対したけど、自分が結婚するまえに、
やもめの父親とそのおめかけさんを再婚さそう、と決意する、
作者と娘さんの阿川佐和子とはたぶん全然関係ないと思いますが、そこまでを描いています。
勿論順風満帆ではないので、墜落事故のあと数年などはこんな描写です。

頁244
 だから、飛行中、パイロットが扉をあけて客室をのぞいてみると、からのシートが三十幾つずらりと並んだ一番うしろに、スチュワーデスがひとり、ぽつねんと、泣き出しそうな顔をして坐っているなどというのは、毎度のことであった。

大文字は私がしました。戦後の日本人観光客のモラルもかくのごとし。

頁253
「みなさま、バスの外は何でしょう?道路かも知れません、公園かも知れません。でも、お手洗いや紙くずかごでないことだけは、たしかでございます。みなさまの富士バスは、無事故の安全運転でも有名ですが、窓から決して、ビール瓶やお弁当箱が飛び出して来ないお行儀のいいバスとしても、有名で、評判をいただいております。どうかバスの窓から、物をお捨てにならないよう、お協力下さいまアせ」

下は、ぎょっと娘が、便所掃除も出来ない娘は不採用と言われた後の、父親と婆や。

頁259
 そう言われてみれば、今まで、音楽会、パーティー、ロカビリー大会、アンポハンタイ、自動車の練習と、外でばかりお忙しかったのが、急に、便所掃除とは、いささかへんでないこともない。
新興宗教みたいなものに、どこかでかぶれていらしたんではないかと思っているんです。わたくしは年よりでございますけど、ああいうもの、きらいでございますから」
 婆ァやは言った。

そのスッチー採用に関する描写。(かなりあんまりです)

頁266
 一期、二期、三期あたりのヴェテラン・スチュワーデスは、もう加茂井妙子たち数人を残して、ほとんど結婚し、退職してしまった。何しろ、美貌で頭がよくてよく気がつくこの制服の処女たちは、すぐ眼をつけられてお嫁に行ってしまうので、廻転が早い。
 事故の記憶も薄らいで、新日本空輸の評判が、少しずつよくなって来るにつれて、採用試験の度に志望者は殺到するようになっていたが、由来女の子というのが、顔のきれいなのはお脳の方が弱く、頭のいいのは容貌がお粗末ということになっていて、適当な女性を取るのはなかなかの難事であった。

で、国産量産機YS-11*5のその後の暗示とはちょっと違いますが、こんな場面も。

頁315
 ただ難をいえば、加茂井博士にしろ、宮崎博士にしろ、わが国航空技術界の至宝のサムライたち、みんな軍用機の経験ばかりで、それまで、お客さんを乗せて飛ぶ飛行機をつくったことがない。
 読書灯一つ、ベル一つ、便所の構造一つ取ってみても、どうも兵隊さん向きで、サービス精神が足りない。
 これは、量産に入る前に、使用者側で充分に註文を出す必要があるというので、NATの内部には、YK20艤装委員会というものが設けられた。

さすがに一式陸攻みたいな、空飛ぶライターを作ったわけじゃないので、
こういうのも大変だな、と思います。なぞなぞもう一つ。

頁300
「ところで、さっきの英語は何語だってのは、何だい?」
 と、亜紀子に話しかけて来た。
「あら、まだ分からなかったの。英語って、日本語じゃありませんか」
「なんだ、つまらない」
「じゃあ、これも映画の知識だけど、ザ・ピーナッツって何語?」
「………」
「分からない?ふたごでしょ」
「チェッ」

最後、ここを引用します。

頁256
「それやったら、二十年後とか三十年後とかには、どうなりますかいな?」
「結局、スーパー・ソニック(超音速機)から、空気の無いところを飛ぶロケット機ということになって行くでしょうね。東京と日本中の主だった都市が、わたしどもの飛行機で、日帰り圏内に入るのが、三、四年のうちとすれば、二十年乃至三十年後というのは、大体、アメリカ、ヨーロッパが日帰り圏内に入って来て、東京への通勤地帯というのは、鹿児島から北海道まで、要するにどこでも、ということになるんじゃないでしょうか。僕たち技術屋というのは、専門の知識にしばられて視野が狭いから、ほんとは、もっと何か驚くようなことが起って来ないとはかぎりませんけど……。何しろね、僕が子供のころ、代々木の練兵場で、徳川大尉が初めてファルマンという飛行機を飛ばせた時、翌日の新聞記事は、『松の木よりも高く場内を一周せり』というんだったんですからね。たった四十年前の話ですよ」

けっきょく、技術屋にも想像は出来たであろうけれども、理想の前にそれを考えるのは、
あまりにもつまらない、コストとの戦いで、国産旅客機も、コンコルドも、
スペースシャトルも、スタンダードにはならなかったわけですが、
利用者のほうもな、少子化限界ナントカで、たとい長野県から品川にリニアで通えるとしても、
通勤するかというと、さてどうだろう、と思います。軽井沢から新幹線通勤とか。以上

【後報】
国産機ではありますけれども、エンジンはロールスロイス社製というところにも、
きちんと触れていて、その辺のバランス感覚はしっかりしてると思いました。
(2015/3/28)