『猫の泉』 (日影丈吉選集 Ⅳ) 読了

http://ecx.images-amazon.com/images/I/51o5v86enSL._SL500_SX357_BO1,204,203,200_.jpgこれも、台湾カルチャーミーティング*1
のレジュメにあった、
台湾を描いた日本語文学の一冊。
日影丈吉は兵役で
台湾にいた人なので、
なんかかんか、
推理小説怪奇小説仕立てで、
いろいろ台湾舞台の
作品をものしてるですが、
レジュメでは特に
『消えた家』を挙げていて、
たぶん台湾特有の、
日本統治時代に独自に
発達したアーケード、
四方田犬彦の本*2にも
出てきた亭仔脚を、
当時の在台内地人の目から
描いているから、それで
レジュメに載ってたのかな、
と思います。で、それが入ってるので、借りた本です。
装画 エミール・ガレ「草花紋花器」1885〜90年(撮影:内藤正敏種村季弘
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309706849/(濱ぞうアマゾン検索がnotworkingなので公式)
私が、夢野久作も、久生十蘭小栗虫太郎もロクに読んでないのに、
台湾というだけで日影丈吉にはちょくちょく手を伸ばしているというのも、ヘンな話。

選集付録の月報Ⅳ 先生とガストロノミーの周辺 清島 治
 というのは、経営本位の「システム化、合理化」「本格的な料理法では手間と時間ばかりかかって仕事にならない」という考え方がでてきたからです。先生のような方は必要ない。先生ご自身もそうした傾向に失望されていたようです。「いまのあやしげな食文化」ということをよくおっしゃっていたものです。

ガストロノミーが分からなかったので、検索しました。

ガストロノミー Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%8E%E3%83%9F%E3%83%BC

歐林洞 鎌倉本店

食べログ 歐林洞 鎌倉本店

頁135 消えた家
 老人の説によると、台湾の石工、大工、建具家具師など建築関係の職人の世界には、むかしから悪い慣習があって、労賃を値切られたり、チップがすくなかったりすると、家の中のどこかに悪い厭勝まじないを残して、知らん顔で行ってしまう。それが年月と共に力を持って怪異をあらわしたり、人に祟ったりするのだそうだ。呪符などが匿された場所によって、家全体が祟ったり、ひとつの房間、家具などが化けたりする。幽霊が棲んでいるのでなくて、家そのものが、あやしくなっている場合がある、というのである。

『歩道橋の魔術師』に出てくる建築家も、施工主にナイショで、
秘密の引き出しなんかを作る趣味がありました。伝統なのか職人とはそういうものなのか。

頁149 虹
 台湾のナゾナゾには、大人のものと子供のものとあって、大人用の謎は、いまではほとんど廃れているのではないかと思うが、わが国にもむかしはあった……いわゆる字判じである。このあいだアメリカ映画の題名で有名になった、南フランスのシャラード(シャレードというのは英語なまり)も、同じようなものといえるが、違うのは東洋の方が、ひどくペダンチックな点だ。
 清の時代には文字の研究がさかんだったから、その頃、中国の植民地だった台湾でも、漢字や漢字学趣味の遊戯が流行したのであるが、したがって、こういう学問を土台にした大人の謎々は、古典の素養がないと、ほとんどわからない。むずかしいだけで、いまの人には無味乾燥に思えるかも知れないようなものが多い。
 この謎かけ遊びのことを、灯猜テンサイという。猜は、そねみ、ねたみ、だが「あてもの」の意味もある。灯猜というのは、遊戯の形式から来た言葉らしい。清朝の頃、学問好きの連中があつまって謎々を考え、問題を紙に書いて戸外に貼りだし、その上に灯火を吊るした。屋内には太鼓をおいた。
 この遊びをするために集った者が、貼紙を読んで答えをいう。あたれば太鼓を叩いてあたったことを知らせ、賞品を与える。通りがかりの者に、あてさせることもあった。灯猜の灯は、目じるしに吊るした灯火から来ているのであろう。
 灯猜の内容はどういうものだったか。これは前にもいったように無味乾燥なので、紹介にも及ぶまいと思うが、この遊びは遠く後漢の蔡邕の、曹娥碑から出ていると、いわれている。蔡邕は、手習いをしたことのある人なら誰でも知っている永字八法の作者だが、親孝行でも有名で、当時、孝女のかがみといわれた曹娥のために碑文を書いた。曹娥の父の曹旰は洪水で溺死した。彼女は同じ場所に投身して死んだのである。
 碑文の中に「黄絹幼婦外孫韲臼」という四つの言葉があるそうで、黄絹は色糸だから、色と糸を合わせて「絶」と読む。幼婦は少女で「妙」。外孫とは女の子のことだから「好」。韲臼というのは、たぶん韮などのような臭い野菜を切りそろえて漬けこむ器だと思うが、辛みを受けるところから、この二字を合わせて「辞」となる。黄絹幼婦しかじかで、絶妙好辞と読ませるわけである。

頁150 虹
(略)子供の謎々の方には率直だが、おもしろいのがある。
「一枝竹仔通天長 胡蠅蚊仔不敢串。天まで届く竹ばやし。蠅もとまらず蚊もささぬ、なあに」
 この答えは、雨である。一枝竹仔は一本の竹だが、雨が一条というのもおかしいから右のように訳してみた。次のはもっと奇抜である。
「樹裡二葉々 越来越去看没看。一本の木に葉が二枚、どちらを向いても見えやせぬ、なあに」
 答えは耳。人間の耳のつもりなのだ。ずんどうの幹に葉が二枚きり、というのは無理な想像のようであるが、幻怪な熱帯の樹木を見馴れた眼には、かならずしも不自然には思えず私には、それ故かえっておもしろく感じられる。

長い引用だった…

頁153 虹
 たまに長い隊伍を組んで街の中を行く軍隊を見かけると、アメリカ兵のトラックが、ハンドルを切りそこなった振りをして、列を乱し、あわてて走る中国兵ツンゴビンを見て喜んだりしている場景にもぶつかった。大陸から来た連中も、必ずしも勝利者の気分ではなかったであろう。
(中略)
 南京の紫禁城にある石窟の蓋があいて、そこから飛びだして来た天符だか、江西省竜虎山から、はるばる海をわたって飛んで来て、台北市万華の某所に落ちた神文だかに、台湾人の破滅が予言されているとか、まじめくさっていうのを、私達も聞いた。かれらの真剣な危惧は、次にくる暗い特務政治の影を、敏感に肌で感じとっていたからかも知れないのである。

頁156 虹
台湾の線香は日本のとだいぶ違うので、店頭で製造しているところを、私はしばしば立見したが、竹の心に香粉を塗りつけて造るのである。竹心の先の方は塗残してあって、そこを香脚ヒュカアといい、香炉や壁にさす。
 戦争中、裏街の、しめきった戸口の外にさした竹香の火が夕闇の中に、ぽつりぽつりと見えるのなどは、さびしいながめであった。

頁228 蟻の道
軍隊ほど非情で、同時に軍隊ほど物わかりのいいところはない。派遣隊が駐屯すると、宿舎は既に軍施設部の采領で、きまっているが、最初にやることは給与源の確保で、これには、主計官と給与係下士官があたる。酒や煙草は官給品や酒保の売物で間に合うし、このくらいの規模の町では外でも飲める。
 ところが、どういうわけか女の調達は、部隊長の責任になっていた。

あくまで小説の描写ですね。

以下、台湾語っぽいはっちょんのルビのついてる単語ぬきがき。
頁20両歩半リオンボウボア
頁20紅雨アンホウ
頁20法主公ホアツコン
頁21嘴亦未死ツイイアボヱシイ
頁21魂帛フヌペヱ
頁22[身長]爺ロオイア
頁22矮爺エエイア
頁22天仙宮テエンセンキエン
頁22城隍爺センホンヤ
頁22土地公トチコン
頁22牛爺馬爺クウイアベヱイア
頁23雖汝食スイリイチア、雖汝蛋スイリイスン
頁23関帝廟コアヌテビオ
頁23五顕大帝ゴオヘンタイテ
頁23文章帝君フンチョンテイクン
頁24火将軍ホヱチョンクン風将軍ホンチョンクン
頁25王オン 三サア
頁123林投ナアタウタコノキ
頁134薬店イオチャム
頁148紅鞋鞬繡枕頭アンヱーキヱンシヱウチムタウ
頁154米酒ビーチュー米はミーで、ビールがピーだと思うのですが…そんなに閩南語だと変わるかな。米酎という字を当てた箇所も。
頁155暗孔アムカン
頁155中案卓チョンアンタオ
頁155牽手カンチュー
頁159老鰻ラオマー(遊び人)
頁245剃頭舗とこや
頁245土豆仁なんきんまめ土豆といえば現代ではジャガイモのことですが…
頁256有応公イウイエンコン
頁256甘蔗カムチャ
頁260山様仔ヤマソワヤ野生のマンゴー 以上