『ストリップ一代 浅草駒太夫ひとりがたり』読了

Webcat Plus
http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/book/ncid/BA60699302.html
Wikipediaに項目がないので、Yahoo!知恵袋 2015/10/22
伝説のストリッパ−踊り子、浅草駒太夫は何人もいたのでしょうか?ま ...
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14151732664
駒田信二先生の本を読もうと
借りた本。
週刊新潮S61.12.4
 〜62.7.16号連載。
装画 村上豊

テープ起こしの
人とか、下請けは
もちろんいたでしょうが、
官立東京大学の教授が
ストリッパーの一人称
自伝ダイアローグの
作者名になるとか、
今ではちょっと考えにくい
気がします。それだけ社会が
硬直化したのかも。
で、学のあるエロい人が
執筆すると、語り手も
学術的考証が出来て
うれしかったかも。
菅原道真〈こち吹かば匂いおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ〉
のパロディ〈こち吹かば匂いおこせよマンの花あるじなしとてマラな忘れそ〉

頁103
女が立膝をして、裾が割れて、自分の前をのぞき込みながら、その歌をつぶやくのです。そして手をやって、身もだえしているところへ、泥棒がはいってきて、じっとそのありさまを見ているのですが、女は気がつかない。その女の役をわたしがやったのです。
 女は仰向けに寝て、ますます身もだえる。そこへ、いきなり泥棒がおおいかぶさってくる。女は泥棒の腰に脚を巻きつけて、
「おまえさん、だれなの」
 ときく。
「泥棒だ。金を盗みに忍び込んだのだが、おまえがオナニーしているのを見て不憫に思い、豆泥棒になってやったのだ。ありがたく思え」
「泥棒だなんて。おまえさんのようないい男が、どうして泥棒なものか」
「いや、正真正銘の泥棒さまだ。静かにしろ。声をたてたら抜くぞ」
「いや! 抜かないで! でも、おまえさん、こんなによくしてくれて、声をたてずにはおられないよ」
 ――まあそんなコントなんだけど、それをはじめてやったのは昭和三十九年の十一月、
(中略)そのころまだわたしはオープンしてなかったのに、したといわれて――
 え? 佐山のコントは江戸小咄の盗作ですって。ほんと? それじゃ、歌は天神さんの盗作だし、みんな盗作じゃないの。

下記は作者オリジナルの艶笑。

頁141
「そうよ。やろうよ。見せても捕まる、見せなくても捕まるということは、警察が見せることを奨励してることじゃないか。見せても見せなくても同じ罰を受けるんだから――。こんど捕まったら、この前には見せていないのに捕まえられたので、こんどはちゃんと見せて捕まりました、といってやろうじゃないの」
「やるなら、負けないようにしようじゃないの」
「どんなふうにやるの?」
「チラチラもチョロチョロも、ガバガバも、見せるということは同じだから、やる以上は、チョロチョロなんかじゃなくて、ガバガバよ」
「姉ちゃんはガバガバかもしれないけど、わたしはちがうから」

頁144
「それじゃどうやればいいの? チラリズムにちょっぴり毛がはえたようなことをやればいいのですか」
 すると小屋主は急に笑いだして、
「ちょっと毛のはえたようなこと? アンタ、もくもくとはえてるくせに」
 といったのです。下の妹の梨香がそばから声をたてて笑いながら、
「あたってる。社長さんよく見てるじゃんか」
 といいました。わたしのニックネームご存知でしょう? デゴイチ(D51)っていう――。もくもくと黒い煙を吐いてグワーッと突進してくる機関車みたいなんですって。あれは写真家の荒木経惟さんがつけたんだったかしら。

今でもある大和ミュージックが頁228に出てきて、へえと思いました。サガミ劇場はナシ。
宣伝用のマッチは分かりますが、宣伝用のタバコがあったとは知らなかったです。

頁159
それからこれは小さいことだけど、タバコもつくってばらまきました。ホープというタバコなの。そのころは専売公社といったわね。専売公社にお金を出して頼むと宣伝用のタバコをつくってくれたんです。なぜ、ホープにしたかって? だってピースじゃおもしろくないでしょう。平和運動してるわけじゃないし……・ああ、そうか。ストリップというのはピースなのよね。でもホープでなくちゃ。

カニカニ
後半かなり泉ピン子との戦いに頁を割いてますが、それより、
亭主兼プロモータープロデューサーの佐山さんと中ピ連の榎美沙子のやりとりのほうが、
面白かったです。なぜヒモや女衒を糾弾しないんだい目の前にいるぜ、と挑発しても、
榎は完全シカト。ここは藤本義一なんかも出てきます。あともうひとつ、

頁205
 わたしたちを逮捕した曾根崎署のおまわりさんだって、いっしょにつかまったほかの踊子たちに対して、
「おまえたち、何をやっとるんだ。少しは駒太夫を見ならえ。駒太夫のやってるのが踊おろりや。おまえたちのは見世物にも劣る」

流石ベダンダけつねうろん県。都をどりも、ホントはみやこおろりなんかなあ。
ストリップという産業の盛衰史としても読めますが、ナマイタショーがこの後、
80年代にはフィリピーナの時代になって、客がパキスタン人になるなど、

じゃぱゆきさん (岩波現代文庫―社会)

じゃぱゆきさん (岩波現代文庫―社会)

山谷哲夫さんの本にあったりしますが、しかしその、発展途上国の民衆に対し、
先進国の中流下流心理的に共感を寄せたとしても、それへの反発が、
より強くテロや誘拐というかたちで現われるまでになる21世紀は、また別に、
語られなければいけないな、と思います。…ストリップから話が逸脱しました。

頁174
踊子って、よく眠るんです。不眠症の踊子なんて、わたし聞いたことがない。

あと少し、後報で、本書のお酒に関する記述を抜粋して、了とします。

【後報】

頁141
 金馬車ではまだしませんでしたが、オープンに慣れてきてからは、「チューリップ満開ショー」というのをやりだして、それが葵ショーのいわば売りものになってしまいました。わたしたちのそれが有名になってからは、(中略)
 下の妹の梨香がお客さんの方へ足を向けて寝るのです。梨香の上へ、中の妹の杏子が乗り、その杏子の上へわたしが乗るのです。そしていろいろやって、最後にわたしが、下から順にチューリップの花を開いてやって、わたしも開く。そして、わたしたちの両脇に、麻里か佳津子か由美か、そのうちの二人が梨香と同じ形で開いて、これで五つのチューリップが満開する。そういうオープンなのです。佐山には黙って、わたしたちだけで相談をしてやったのですが、(後略)

こういうのは今でも凄いと思います。フェリーニの世界。うそ。
母親はしじゅう何か働いていないと気が済まない人で、姉妹は、
みな中学の途中か卒業後、特に何もしない人生になるので、
長姉と母親が勧めてこの道に入る、という話だったと思います。
それが後年ワイドショーで泉ピン子云々との戦いになるとか。

頁101 ヒロセ元美のエピソードを披露した後、
 大宮でジプシー・ローズさんにお会いしたこともあります。飲んで酔っぱらっているのですが、踊るときはそうではないのです。その独特のグラインドやバンプも、わたしは舞台の袖で盗み見をしました。
 グラインドというのは、腰を、というか、お尻をというか、それをぐるぐる回す踊りです。バンプは、腰を前へ突き出す踊りなのです。そのときから六、七年後の昭和四十二年の四月でしたか、シプシーさんは山口県防府ほうふのスナック・バーで、「バッカスと心中」をしてしまいました。
(中略)亡くなられたとき三十二歳だとすると、わたしがお会いしたのはまだ二十五、六歳のときで、そのすばらしいというほかないような裸体と、そしてやはりすばらしい美貌の持ち主でした。

頁102
 沼津でだったか、ヘレン滝さんといっしょになったこともあります。まだストリップという言葉がつかわなれていなかった昭和二十三年ごろ、――エロ・ショーといわれていたそうですが、そのとき浅草の常盤座で敢然と裸になったというストリップの草分け時代のひとです。アルコールの勢いで舞台へ出ていったのが病みつきのようになって、アルコール中毒になってしまったといううわさで、沼津でお会いしたときにも、ぐでんぐでんに酔っていて、これがほんとうにあの有名なヘレン滝さんかと疑いたくなったほどでした。
 ヘレン滝さんはその後、ストリップ界から姿を消し、下町でバタ屋をしているとか、乞食になっているとか、そんなうわさをきいたことがありますが、それからまもなく、世田谷のどこかの道端で、アルコール中毒で亡くなられたそうです。

ヒロセ元美 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%AD%E3%82%BB%E5%85%83%E7%BE%8E
ジプシー・ローズ - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%97%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BA
ヘレン滝 SMpedia 
 …はURL貼りません。

頁153 一座でいちばん人気のあった(語り手より)血縁のない「麻里」の話
(前略)酒を飲みだしたのがいけなかったのかしら。いつのまにか、と麻里はあとで佐山にいったそうですけど、――いつのまにか酒好きのコメディアンの深見千三郎というひとと酒を飲んでいて、そして、いつのまにかできてしまったんだそうです。その、ひとり部屋で。
 麻里は酒好きだったのですが、佐山が飲まないものだから、それにわたしも飲まないものだから、わたしたちといっしょのときはひかえていたんですけれど、離れてしまうと飲みだすのね。

頁155
 深見さんというひとは、アルコール中毒に近いほどの、大酒飲みだったのです。麻里も酒好きなものですから、深見さんといっしょになってからは、みるみるうちに酒量がふえていったようです。
 わたしが旅から西新井の家に帰ってきたとき、麻里から電話がかかってきたことがありました。深見さんといっしょになってから半年あまり過ぎたときです。
「ねえちゃんですか。先生、いる?」
 ときくんです。いないというと、いまから遊びにいってもいい? といって、だいぶんたってからタクシーでやってきました。少し酔っているようだったので、
「あまり、飲まない方がいいのじゃない?」
 というと、
「だって、素面じゃ、ねえちゃんやお母さんにあわせる顔がないもん」
 というのでした。わたしの母に意見されたときのことを「まいったなあ、あのときは」といって話したのは、そのときでした。深見さんのことをきくと、「母さんにもよくしてくれるし、ちょうどいいひとよ、わたしには」といったのですが……。わたしが麻里の顔を見たのは、そのときが最後でした。あるいは仕事のことで佐山にたのみたいことでもあるのかと思って、そのこともきいてみたのですが、
「いいの、深見がやってくれるから。いまさら先生にたのめる筋合いでもないし……」
 というのでした。
 佐山はそれから二、三年たったとき、どこかの小屋で麻里を見たことがあるそうです。松川あやという名で踊っていたが、見るかげもなくやつれていたというのです。楽屋へたずねていってみようかとも思ったが、スターに育てあげたはずの子が、躰もくずれてしまって、意地も張りもなくただ踊っているのがくやしくて、それもやめたといっておりました。くやしいというよりは、なさけない気持だったのでしょう。
 麻里はいちど西新井の家にきただけで、それからは全く交渉がなくなってしまいましたが、うわさはときどきわたしたちの耳にはいってきました。
 ストリッパーとしてはやっていけなくなって、浅草の三業地で芸者になっている、といううわさをきいたのは、昭和五十年か五十一年ごろでした。大酒飲みで、酔うとお客さんを無視して、狂ったように踊りだし、くだをまいて、ひっくり返って、寝たまま小便をたれるなどという、ひどいうわさでした。
 アルコール中毒みたいな深見さんといっしょに飲んでいるうちに、麻里もアルコール中毒になってしまったようでした。結局、置屋でも嫌われて芸者もできなくなり、また、マナイタ・ショーしかやらないような小屋に自分を売り込んだりしているうちに、ヤケ酒からアルコール中毒がますます重症になってしまって、入院するよりほかなくなってしまい、わたしたちの一座から離れて七年度の昭和五十三年、病院で亡くなったということです。麻里はわたしより一つ年下でしたから、そのとき三十六だったはずです。
 深見さんですか? 麻里さんを背負い込んで苦労したともいえるし、麻里さんをアルコール中毒にしてしまったともいえるひとですけど、麻里さんが死んでから一年後に、アパートの火事で焼け死んでしまいました。酔っていて、タバコの火の不始末から火事になったとかで、焼けたのは深見さんの部屋だけだったのです。もしかしたら、自殺だったのかもしれません。
麻里さんにしろ深見さんにしろ、好きな酒と心中してしまったといえなくもないわけで、本人たちにとってはそれでよかったのかもしれませんし、わたしもそう思えばわたし自身、いくらかつらさが薄れるのですけど、そうも思えません。
 酒におぼれて崩れていく前に、なんとか救ってあげることができなかったか、と後悔のような思いもあるのですが、後悔は後悔で、本人にとってはなんのかかわりもないことですわね。可哀そうな人だったと思うことも、やっぱり、本人にとってはかかわりがないことと同じように。

頁243
 佐山はほんとうは酒が飲めないのです。ほんとうは、というと、ほんとうは飲めるたちなのかもしれないのですけど、どこかの神経がブレーキになっていて、飲めないのです。
 わたしといっしょになる前のことだから、これは佐山からきいたことなんですけど、コメディアンのとき、――そのころのコメディアンは酔って舞台へ出るひとが多かったそうですが、楽屋から酔って舞台へ出るとき、くわえていたタバコを舞台のそでのところで足で踏み消したつもりだったのに、幕の端が焦げて、白いスクリーンの隅に焦げ跡がついてしまったんですって。映画館だったんです。それでギャラがもらえなかったんですって。ギャラで弁償させられたわけね。それ以来、――タバコの方はやめなかったけど、酒はやめた。――というよりは、飲めなくなってしまったんですって。
 わたしといっしょになってからは、おつきあいでちょっと飲むことはあったけど、飲むというほど飲んだことはありません。それが、山代温泉で梨香が駆落ちしたとき、飲みだしたんです。
(略)ブレーキがきかなくなってしまったんです。(略)酔って、どなるんです。舞台で踊っているわたしに、舞台の袖から――。

このあと、病状の進行と入退院(回復)の記述があります。
ほかにも、ストリップ興業の末端で、ささやかにカネを借りながら返さず働く人、
その他いろいろ出ます。下記映画そのまんまの蒸発男もいた。

映画『喜劇・女は男のふるさとヨ』劇場鑑賞 
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20141113/1415886420

以上
(2016/7/9)