『フリーメイソンリー その思想、人物、歴史』(中公新書)読了

国会図書館サーチ
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002052577-00

これも、橋爪大三郎フリーメーソン本読んだ後、
トンデモ本が多いということだったけど、本当かな? と、
まとめて借りたうちの一冊。中公新書だから、まともな本かというと…

頁鄱 はしがき
(筆者は日本でこれまで現われた関連文献はガリ版印刷のものや、全くつまらぬものも含めてほとんど全部読んでいるが、残念ながら本書の執筆に役立てることが出来なかった)

本書は、例えば吉村正和講談社現代新書より後の刊行なのですが、
それでこういうことになっていると、業界内において、
やはりフリクションはまぬかれえないと思いました。

作者は面白いというか、幸せな経歴な方で、北海道の美瑛に生まれ、
西ドイツのケルン大学法学部で、博士課程まで行って博士号貰って卒業し、
さらにまた同じ大学の哲学部で博士課程まで学んで哲学博士号を得て卒業、
信州大学助教授から、京都府医科大学の教授になります。
下記の自伝によると、ケルンの前に上智大を出ていて、
京都府立医科大学では名誉教授にまでなっているとか。

現在のように独立行政法人で予算がアレだと、医科大学が、
文系の教授なんか在籍させられるのだろうかと訝しみます。
非常勤講師だとロマンがありません。苦しそう。いい時代だったのだなと。

頁22、アンダーソンの憲章の古い義務(Old Charge)第三章
「肉体労働者(labourer)はメイソンの本来的な仕事には従事すべきではない」というものである。第三章では農奴、婦人、男の犯罪者等もフリーメイソンリーから排除されている。もっとも後に女性のためのロッジ(養子ロッジ)もごく少数創立されたが、そこに高位階はない

と書いてあるのは、他の本でも、石工のギルドだったフリーメイソンが、
頭脳労働建築家アーキテクトの親睦団体からエスタブリッシュメントのそれ、
に変容する過程は、推察するだけしか出来ない的に書かれてたと思いましたが、
それが、

頁23
 他方、一九二〇年(三〇年代と共にフリーメイソンリーが最も隆盛を極めた時代)、メイソンは、アメリカで生れた白人、成人男子の全国民中一〇・一パーセントを占めた(同書)。しかもメイソンには全国民の四分の一を占めるカトリック教徒は入らないのであるから、その数は一三パーセントぐらいになろう。ここから、アメリカでは如何に多くの適正者がメイソンであるか解るであろう。非カトリックの白人男性のエリートの大半はメイソンであるに違いない。大多数の歴代大統領がメイソンであると「驚くべき秘密を暴露する」かのように得意がっても、このことは統計的にもその蓋然性がかなり大きいのであるから、その指摘は自慢すべき「真相の暴露」には全くならないのである。

この人は誰と闘っているのだろうと思いました。インヴィジブルな敵がいる。

頁32
メイソンは、一七三八年の教皇クレメンス十二世の最初の破門令から現教皇ヨハネ・パウロ二世の聖庁信仰省の一九八三年の声明まで、教皇の回勅によって十七回ないしそれ以上も「破門」され、また教皇によって二百回以上も警告ないし干渉を受けてきた(このことは大抵のカトリック司祭も知らない)。そしてその直接の相手は「非正規な」大東社系であるが、形式的には「正規のフリーメイソンリー」も除外されていないのである。

この文章の前段には、フリーメイソンカソリックから、
「悪魔のシナゴーグ」呼ばわりされていたという記述があります。
カソリック側からの反発があるだろうという読みがまずあって、
それをツブすため、先回りして次の文章を書いているようにみえます。

頁48
アングロ・サクソン諸国のプロテスタント司祭のほとんどがメイソンであるように。

ほんとですか、と思いました。言い過ぎが大杉なんでは。
あとは各国の近代におけるフリーメイソンの歩みを、国ごとに書いてます。
イギリスのハノーヴァー朝の王君の多くが、王子時代ロッジに出入りし、
会員になっていたとは知りませんでした。ガッシュ国大統領の話より、
こっちのほうがインパクトあるのではないでしょうか。事実なら。

そんな本です。以上
2017-08-27
フリーメイソン 秘密結社の社会学』 (小学館新書) 読了
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20170827/1503844174