『シェリー酒と楓の葉』読了

装画/ホルストヤンセン Ⓒ1978 

グリフィンス・コーポレーション

読んだのは昭和五十四年七月の二刷

初出は「文學界」'77年1,3,4,7,9,11号、'78年1,3,5,7号

コレットの『シェリ』を図書館検索した際に、いっしょにひっかかっただけの本。今、何冊か、著者のお兄さんの本を読んでますが、それとの関連はありません。ぐうぜん。神奈川近代文学館に行った際、著者が川崎の生田で晩年を過ごしたことを知りましたが、それとも関係なし。

著者がアメリカになんかの援助を受けて留学した際の記録。いきさつは省かれています。どうも『ガンビア留学記』という本に別途纏められているのかな。で、その後、すぐ帰国したわけではなく、『懐かしきオハイオ』という本に、米国内で留学先を移しての記録があり、で、昭和三十二年だから1957年の滞在なのですが、その二十年後の昭和五十二年だかにこの留学先のケニオンカレッジからのお誘いがあって、再度訪問した際の記録が『ガンビアの春』になるそうで、その辺は、古書店の方のブログなど拝見しました。

シェリー酒と楓の葉 (文芸春秋): 1978|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

庄野潤三 - Wikipedia

庄野家へ | 夏葉社

 このガンビアという地名がぜんぜんそのカタカナで検索で出ず、「ギャンビア」とでも呼ぶのかという感じです。フランス語でギャンビエールとかそんな感じなのかな。

Gambier, Ohio - Wikipedia

Mount Gambier の発音: Mount Gambier の 英語 の発音

大学のエトランゼなので、お付き合いする人も自然外国人主体になり、いちばんよく出てくるのが、隣家のインド人と米国人の夫妻です。インド人といっても、英国育ち。ただし、生家や親戚はインドで、フレディ・マーキュリーと同じ、拝火教徒です。彼の母親(これも英国育ち)がインドから孫の顔を見に来ていて、「ガンビアってどんなとこだと思ったらジャングルだった」というジョークを飛ばしています。

1952年だからか、大学街だからか、車を持っている人と持っていない人がいて、買い物は隣町まで行かねばならず、そういう時、車を持っていない人は持っている人に乗せてもらいます。あらかじめ約束するというより、だいたいこの辺という辻で立っていると、車で通りかかる人が知り合いなら、止まって乗せてくれるという。作者夫妻もその恩恵に浴します。見知らぬ人を乗せると強盗に早変わりの危険性も、既に本書では語られています。

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そのインド人がシェリー酒が好きで、夜、ちびりちびりとシェリー酒を飲みながら歓談するので、それでそういうタイトルになっています。ペトリという銘柄が97セントと安いのでよく出てきて、教師の安月給ではそればっかになるとか、猫の小便のようなにおいがするので、鼻をつまんで飲むとか、さんざんです。著者の滞在の直後、ペトリの会社は売却されたそうで、それで検索の結果がはかばかしくないです。でも、オールコットの若草物語に出てくる「ペトリ鼻」?という表現の由来は安いシェリー酒の常飲からではないかというQ&Aが見つかったので、面白かった。

Petri Wine - Wikipedia

oshiete.goo.ne.jp

この推察はたぶん違うと思うのですが、どうだろう。本書で最良のシェリーと称されているニューヨークのテイラーという銘柄は、検索ですぐ出ます。"Taylor, New York, Sherry"

ニコディムというポーランド人夫妻が出て、奥さんの英語は、ちょっと意図するところがとらえづらいとか、ワンダフルをウンダフルという、などの記述があります。(頁192)下記のポーランド映画にもニコデムという人物が出ますので、ありふれた名前なんでしょう。

stantsiya-iriya.hatenablog.com

 頁213に、チップス先生さようならと同名で似たような善人の急死が語られ、そういえば私はチップス先生さようなら読んでないので、読んでみます。しかし手に取ったら読んだことあるの思い出したりして。

バーボンは、頁215に、ハイラム・ウォーカーのテン・ハイという銘柄が出ます。三ドル八十九セント。味が「スムーズ」だそうで、スムーズは、口当たりがいい、と訳されています。同じ店でスコッチのブラック&ホワイトが五ドル三十五セント。

Ten High - Wikipedia

頁223、廃屋になった空き家の家財道具を、住民組織で競売、オークションにかける催しがあります。独居老人が老人ホームに入り、時おりそれからもサマーハウス的な感じで来ていたが、それも絶え、窓から覗くと、机の上に本が開いてあって、まるでさっきまで人がいたかのようだと。

大学街なので、けっこう日本文学に精通してる専門家とも交流するわけで、『福翁自伝』『蘇峰自伝』はいいが、日本で伝記文学ジャンルが発達しないのは何故かなどという質問があったりします。頁237。私は最近松本清張や田辺聖子のモデル小説を読んで(杉田久女のはまだ途中)こういう、第三者が見てきたように実際の出来事を書くというのは、21世紀には筆が止まるだろうと思いました。訴訟社会なので。が、著者の時代はまだ勃興前。(でも現在ハリウッドは「実話!」映画ばっかしなので、その辺のルールも整備しようと思えば出来るんだろうと思います。金がかかるのかもしれませんが)

同じページに、著者夫妻が、子どもは日本の祖父母に預けてきていることを知れる描写があります。しかし単身ではない。著者のお兄さんの旅行記を読むと、だいたい単身なので、欧米では、なぜ奥さんと旅行しないのか不思議がられています。その辺本書は、夫婦滞在で、夕食をあちこちの家に呼ばれたり呼んだりで、食後は、一杯か二杯だけのお酒でなごやかに歓談し、それでも九時前もしくは九時に散会、家に帰って寝じたくをして寝ます。テレビは、試合や映画、演劇など、特別な出し物がかかる時以外、見ない。そういう時も、誘い合って、テレビのあるうちで、手料理をごちそうになりながら、見る。

こういう、失われた夜の時間の流れ方、過ごし方を読む本です。大学街なので、大家族も出ない、食後は賭け事でなく歓談になる、でも教師なので富裕でなくカツカツ生活、など、多分階層による違いもあると思いました。

頁252、ワシントンDCの11ストリートの北京楼という店でチャプスイを食べたという記述があります。八宝菜みたいなものだったとか。11ストリートは現存しますが、其の店はよく分かりません。よくある名前だし。時代的に"Beijing"でなく"Peking"だと思いますが、21世紀は改名してたりして。

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頁261に、やはり日本人の学究の徒の夫妻とも連れ米国留学の例として、湯川秀樹博士が出ます。というか、会ったことのあるアメリカ人の話として出ます。湯川秀樹の奥さんは英語が話せなかったそうですが、日本舞踊がうまくて、頼むと気軽に踊ってくれたんだとか。芸は身をタスク。

庄野潤三の奥さんは英語話せる感じです。料理はどっちが作ってるか分からない。一緒に作ってるのかなあ。野菜が多く、精進揚げとか、ぬたとかあえものなんかです。ケチャップつけないし、一般のアメリカ人の口にあうとは思われないのですが、たぶん大学街だからか、ヴェジーな人々にバカウケだそうで。ただし白米は出さず、チャーハンにして出してます。テンプラといい、それなりにオイリーな調理法を入れる。

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以上ですよ、ではでは