「台北暮色」原題 ”強尼·凱克” English Title "MISSING JOHNNY" 劇場鑑賞

スタンプがやっとたまったので観た映画。これにあわせて献血時間も調整しました。献血でお試しカイロプラクティックやってたので、やればよかった。時間が間に合わないとイヤなのでよしにしたら、午後は血小板が埋まってて血漿だったので、血漿は血小板の三分の二か半分くらいの時間で終わるので、時間よゆうでした。残念閔子騫

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https://en.wikipedia.org/wiki/Missing_Johnny

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/0/08/Missing_Johnny_poster.jpgカイクーの意味が分かりませんでした。なんなら。

ジョニーは约翰尼かと思いましたが(ジョンがヨハネだから)デップさんのジョニーは強い尼ちゃんだそうで。

というか、往年の臺灣ニューシネマを、演出は、ほんとうに丹念になぞっているのですが、芯がないというか、AIの助けが必要なのかもと。白色テロの時代が清算されないまま經濟起飛小四龍の矛盾、もどかしさを台湾ニューシネマは表現しようと苦戦したわけですが、この映画は、表面上それを真似るだけでなく、現在なら現在なりの苦悩をもっと直にガンツイ干脆表現すべきではなかったかと。

ツァイインウェンさんも統一地方選で負けましたし。この映画の主演女優さんはレバノンとのダブルだそうで、きれいなんですが、なんで飯島愛みたいな髪形なんだろうと思いました。先日観た大陸のシャンチンシャンアイの若い女優が百恵ちゃんカットで、今日は飯島愛のワンレン。懐古趣味にも保土ヶ谷井土ヶ谷上大岡。と最初は思ったのですが、改めて考えると、森泉のほうが似てるかもしれません。下記は二年前の記事。

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 下記は"卓尼県"

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 主演女優はしょっちゅう英語で、ヒアユーゴーと言ってるんですかね、ヒアウィーゴーとゆってるんですかね、その口癖が印象に残りました。

景色も、台北の特色のある日差しよけつきアーケードとか、丹念に撮ってますし、高速道路の入り口を撮影のため、止めたりして、頑張ってるんですが、しかしなんだろう、スマホ以外変わらない台湾というのもどうかと。パジェロがいけないわけではないと思うのですが…プラットフォームを月台と書くのは、相鉄線だけが採用してる中文表記。ほかの鉄道会社は"站台"

骑楼- 维基百科,自由的百科全书

https://zh.wikipedia.org/wiki/%E9%AA%91%E6%A5%BC

インコはかわいいです。

主演女優も男優も細かい賃仕事をするシーンは繰り返しあるんですが、しかしそれで食えてるのかというと、急にぼやける。台中から来た男との会話だけ閩南語だと最初は思って、話がまじめになると急にどんどん國語になるところは、ほかの台湾映画といっしょだーと思ったのですが、私は閩南語聞き取れませんし、あとで、娘は香港にいる、という説明セリフがありましたので、えっじゃあさっきの広東語だったの?と不安になってみたり。

監督は、女性なのですが、なでしこジャパンを頂点とする日本女子サッカーを貫く不文律、「おとこ禁止」についてどう思うか知りたい気もしました。交際についての規則ではなく、女子ばっかでいると身なりに気を使わなくなってガサツになって髪の毛とかもバサバサとかになるので、女子としてのオサレや身なりにも気を配ってぬかりがないように、というディシプリンだそうで。俺物語。せっかくいい女優さん使ったんだから、もっといろいろ狙ってもよかったのに。

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ポストカードと、近くの台湾料理屋のデザート券くれました。

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入口で台北ストーリーの予告やってたので撮った侯孝賢

男女が夜の街を走るだけでカタルシスなんて、ロビンソンの庭というかジャンク・フードというか、21世紀それでいいのかと。あまりにもとりとめがないので、公式読み直したのですが、カイクーはインコだそうで。

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国际镍业公司 Guójì niè yè gōngsī

で、監督は、香港を舞台にすることも考えたそうですが、予算の関係も加味して、デビュー作だし、台北にしたんだそうです。香港で高速止めるとかやったらどうなるんだろう。ホウシャオシエンが言うには、この映画の家族像が監督のルーツ、ライフヒストリーなんとかかんとかだそうで、しかしいまひとつよく摑めませんでした。いまひとつどころか、ぜんぜんか。バナナ食べてた老婆はどこ行ったならとか、父親は認知症なのかそうでないのかとか、地下鉄でどこか作業所にでも通ってたのが、サボって自転車で高架下えんえんうろつくようになったのかとか、いろいろ不明なまま。

それでいい映画ならそれでよいのですが、現代の台北を切り取ったといえるのか、監督の初期の意図のように香港に置き換え可能な人物関係なのか、分からなかったです、以上。