『盤上の夜』 (創元日本SF叢書) 読了

盤上の夜 (創元SF文庫)

盤上の夜 (創元SF文庫)

盤上の夜 (創元日本SF叢書)

盤上の夜 (創元日本SF叢書)

読んだのは単行本。眠いので後報としますが、ネタバレ前提でないと感想を書き得ないです。

【後報】
ネタバレで書きます。

Cover Illustration:瀬戸羽方
Cover Design=岩郷重力+WONDER WORKZ。
初出は、最初のが第一回創元SF短編賞山田正紀賞。次が創元ミステリーズ!紙版。その次と次がWebミステリーズ!さいごの二作は書き下ろし。
各話本文に入る前に、どの遊戯を扱っているかの簡単な説明があります。
各話参考文献一覧つき。
各話英語タイトルつき。

「盤上の夜」"Dark beyond the Weiqi"
 ⇒イキナリ拼音で面喰いました。囲碁の国際名称は"围棋"なんですかね。それとも、繁体字で書く「圍棋」か。ダーク≠夜、ですが、以後もこの調子の英語タイトルです。香港の更衣室で女性が消失するとかそういう、所謂ダルマ伝説を下敷きにした話(資本主義世界でなく大陸中国を舞台にしています)。フォークロアのダルマは、しゃべることも出来ず、涙ですべてを語りますが、作者は彼女にボードゲームという表現手段を渡してみた。

頁15「盤上の夜」
(前略)話しぶりからしても、彼らとて一度ならず由宇を抱いたのだろうが、彼女の身を真剣に案じている節もあり、おおむね、由宇はけなげで可愛らしかったと好意的に捉えられていた。なかには、馬との賭碁に応じてきたのは由宇の生活のためだったと言う者もおり、馬が由宇を買った経緯を話したのは、そうした常連客の一人であった。客たちはしばし思い出話に花を咲かせたのち、誰が言い出したものか「由宇加油カユ(頑張れ)!」という寄せ書きを作り、わたしに託したのだった。

加油普通話、國語、北京語でジャーヨウと発音することくらい、五歳の子供でも知ってそうなものですが、それをあえて日本語の音読みでルビを振るあたり、作者はめんどくさい小技をちりばめるのが好きなのかなと思いました。で、引き写してから、ここ、私が大嫌いな中国人のムッツリスケベな一面、聖人君子ヅラしてやることはドシケベ、そして最後まで無礼講や腹を割った話はない(ポンヨウ朋友になればあるでしょうが)を上手に描いているなと気づきました。

「人間の王」"Most Beautiful Program"
 ⇒チェッカーという、チェスより簡単?なゲームの話だとか。そのゲーム知りませんし、検索してないので、実は作者の創作だったとしても驚きません。現在ではすべてのボードゲームで人類がコンピュータに勝てないという事実は全世界に共有されていますが、そうなる直前の話で、人類代表の打ち手はコンピュータと戦っているのではなく、プログラマと戦っているのだ、という世界観。これもAIによって覆されたのか。

「清められた卓」"Shaman versus Phychiatrist"
 ⇒シャーマン対精神科医という英語タイトルの、幻のマージャン対決の話。

頁127「清められた卓」
 優澄は赤田の元を離れてから、東京の郊外で廃墟となった一戸建てを低家賃で借りた。彼女は日雇いの仕事などを試みたが、うまくいかず、生活保護を受けて暮らしていた。その一戸建てを改築したのが、この〈シティ・シャム〉のオフィスである。
 統合失調症に罹患した患者が、霊的なものに目覚め、共同体のなかでシャーマンとなる。これ自体は、どこにでもある話だ。たとえば、世界各地の原始宗教がそうだろう。

〈シティ・シャム〉は新興宗教。赤田は、患者にホレてミイラ取りがミイラになった精神科医。卓を囲むほかのふたりは、アスペルガーサヴァン症の少年と、いつもほんのりお酒のにおいがして、金を賭けると人が変わる(小説中ではギャンブル依存のレッテルが貼られています)プロ雀士
これ読んで、作者、ちょっと書きすぎじゃいかと思いました。そんなに知識をバンバン出さんでもいいのに。私としては、その知識をどこで得たのか、どうして得る必要があったのか、それは作者に何をもたらしたのか、そしてその後どうやって生きているのか、が大事だし、作者がどこか別の場所で吐露していることなのかもしれないな、と思います。

「象を飛ばした王子」"First Flying Elephant"
 ⇒ガウタマ・シッタールダの息子ラーフラの話。本文にはまったくそういうくだりはありませんが、象って、お釈迦様の母親の脇の下から入って、お釈迦様を懐妊したなと、今書いてて思い出しました。東西南北四つの門を出て対面する四つの人生のうち、お釈迦様(転輪聖王にもなれた人)でない私はどれを選択すればよいのでしょうか、という… キリスト教は神を試しちゃいけないですが、この話はブッダを試す。

「千年の虚空」"Pygmalion's Millenium"
 ⇒ピグマリオンの千年紀。ピグマリオンは操り人形でいいのかな。人形に懸想する、かな。映画素敵なダイナマイトスキャンダルで、半分、蒼いの百均店長嶋田久作が作り手を演じていた。
今週のお題「ゲームの思い出」⇒「ゲームを殺すゲーム」なる概念が登場しますので、この話は今週のお題にふさわしいかと。村上龍のコインロッカーベイビーズや愛と幻想のファシズムを、ドラッグの後遺症ときちんとむきあいつつ描くとこうなるんちゃいまっか、という話。将棋です。
「ゲームを殺すゲーム」は、従来の文系歴史学の不完全さ、恣意的な解釈による偏向に対し、理系による量子歴史学という概念を提唱し、簒奪し、あらゆるファクターをフラットにならしたうえで普遍の歴史を築こうという試みです。歴史要素ひとつひとつの虚構や正統性は精査せず、集合知となった段階でおのずと取捨選択、大同が得られるであろうという性善説に基づいて、スパコンなのかグリッドコンピューティングなのか知りませんが、量子コンピュータを使ってプロジェクトは始まったのですが、それで在野の史家がこぞって偽史をブチこんで結果を自分のほうに引き寄せようと必死になるのはともかく、フラクタクルというかエントロピー拡散の法則というか、巨大な一本の歴史という柱は構築されず、ゼロサムどっちもありあり、オッケーオッケー👌、南京アトロシティはあるといえばある、ないといえばない、どっちもあって、ちょうどいいみつを、みたいな計算しか量子コンピュータははじき出さなくなり、プロジェクトも政治家も棋士ファム・ファタールも敗北します。
ゲームを殺すゲームの果てに開発者が目指したもの、それは、人類の暴力の終焉だったのですが、それは、見果てぬ夢で終わります。この話も、何か書きすぎてるように私には思え、境界性人格障害の説明や、それだけならそれだけですが、処方箋薬濫用やらそうでない薬物やらも語られます。

「原爆の局」"White Sands' Black Rain"
 ⇒昭和二十年八月六日に広島で行われた囲碁の対局の記譜を、最初のネバダ砂漠での核実験場で再現という試みの話。盤と碁石を持ち込むのでなく、タブレットで再現します。1945Aug6にほんとにそんな対局があったのか、作者の偽史なのかは、確認の検索をしませんでした。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/78/Trinity_Test_Fireball_16ms.jpg/450px-Trinity_Test_Fireball_16ms.jpg
トリニティ実験 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%8B%E3%83%86%E3%82%A3%E5%AE%9F%E9%A8%93
表題作の女性棋士囲碁棋士と呼んでいいのか分からないレベルです私は)とその後見人、あとは全話通して語り部として登場する「私」が出ます。誰だか説明はありません。よく考えたら古代インドの話には語り部は出ないか。最初の女性棋士は、もう早逝されたとばっかり思っていたので、その後の展開で、これもミステリーの妙手かぁと思いました。そういうふうに書いて誘導。あとこれもがいしゅつのプロ雀士が出ます。
頁249に、ベトナム戦争の徴兵逃れの方法としての故意の身体欠損が登場しますが、米国に関していえば、徴兵でなく志願制のはずなので、北ベトナム正規軍の話かしらと思いました。あるいはほかの戦争を、直前に、クレーム回避かなんかでちょちょいと書き替えたか。
頁276で、書いてみたいという欲望に負けたのか、ラリってるかのような描写をおっぱじめています。リワインドとかハイパスフィルターとか、単語自体が新鮮でした。さすが帰国子女と言ったら怒られるか。最近死刑が執行されましたが、蟹がうまいとか蟹食べれるかなとか、ところどころ挿入されるのが、なんとも印象的でした。
この人は宮部みゆきのアンソロジーで、うまいなと思い、読もうと思い、カーブルをカブールと表記した作品が気になってまずそれを読んだのですが、その本の表紙が、一見アフガニスタンに見えて、じつはエルパソとかその辺をタクシーから写しただけ、という写真で、この話が、まさにその辺を車と運転手借りて移動する話ですので、関連あるかなぁと思いました。

2018-04-24『宮辻薬東宮 みや・つじ・やく・とう・ぐう』読了
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20180424/1524554907
2018-05-05『カブールの園』読了
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20180505/1525525921

カブールのほうでもアノニマスレスラーとか色々出していて、該博な知識があるんだろうなと思わせたのですが、あっちはどちらかというとSFの枠を飛び出た純文で、こっちはSFデビュー作。最初からそういう人だったのだなと分かりました。
たとえばシンジくんとか飛鳥ラングレーの人はヱヴァと共依存なんでしょうが、それでさらにそれを調和させるための薬があって、それを使用上の注意を守らず濫用したら、みたいにしてゆくと、なんとなくそうなるかな、という。私はあまりSF読まないのですが、たとえば、グレッグ・イーガンの『しあわせの理由』が薬物や実在の症状名てんこ盛りだったら、ああいうふうに感動して読みはしなかっただろうと思います。作者にはそういう露悪趣味がある。プラグドガール、接続された少女とかも読んでないのですが、どうなのかなぁ。

ヨハネスブルクか、何か分かりませんが、また別のも読むかしれません。またその時まで。以上
(2018/7/14)