『私は勉強したい 中国少女マー・イェンの日記』(WISH BOOKS)"Le journal de Ma Yan. La vie quotidienne d' une écolière chinoise" by Pierre Haski 読了

ほかの人のブログで見た本。その方も同様の考えというか危惧を抱いたようですが、日中友好墨守があるためか、なるべく穏当に感想を書かれています。 

www.gentosha.co.jp

装幀 多田和博 本文レイアウト 田牧美菜子 翻訳協力 和泉裕子

(1) 

2001年5月、まだある程度おおらかに中国農村部と外国ジャーナリズムの接近が出来た頃、寧夏回族自治区の最貧困地帯を訪れた中国に詳しいフランス人ジャーナリスト一行に、農婦が娘の日記を託すところから話が始まります。

(2) 

寧夏の貧困、医療に関して、NHKでドキュメンタリーを見たこともあったですが、勉誠出版チベット小説のうしろに、下記の広告が載ってました。ここが母娘の暮らす環境です。

bensei.jp

西海固の人々

西海固の人々

  • 作者:石舒清
  • 発売日: 2014/08/29
  • メディア: 単行本
 

 (3) 

貧困地帯との接触は、この後2005年あたりが最高潮だった気がします。この頃は熱かった。

books.bunshun.jp

publications.asahi.com

今は、省都レベルだと監視カメラの渦なわけですが、そこから地方都市、さらに県城、農村へと足を延ばした場合、行って帰って来てその後、そうそうスパイ容疑で拘束でもあるまいし、別になんもないんでしょうけれど、やっぱり行こうと決断するには、心理的なブレーキがかかる感じでしょうか。

(4) 

本書は渡された中学生少女の日記の翻訳がメインなのですが、これがフランスで出版されたことで、"Enfants du Ningxia"という支援団体が組織され、各国語に翻訳されることでその運動は世界に広がり、彼女が救われるのみならず、まず六人の学童に奨学金がもたらされ、それは徐々に広がってゆこうとしたようです。

下はポーランド語とロシア語の馬燕日記。たぶん。

lubimyczytac.pl

www.colibri.bg

(5) 

本書刊行後、ピエール・アスキがまだブログを書いていた頃、2004年くらいかな、ここを訪れた時は、「あとちょっとだけまだ支援、経過観察しよう」みたいに書いています。それは本書のうしろのほうの現地ヒートアップと対をなした記述です。援助対象に選ばれるため血眼になった〈红眼病〉患者たちが、例えば、深夜、路上、車の前に飛び出して、相手はキリスト教徒だから十字を切って、どうかどうかと命乞い、助けてくれと訴える。(頁270)その反面、彼女の家族は、援助で羊をたくさん買って飼い(頁296)、たらふく食べ(頁288)彼女は周囲の怨嗟、嫉妬を超然と受け止め、屹立しようとします。おそらくこうした彼女の偶像化を避けるためか、現在読むことが出来る英語版は、彼女が表紙になっていません。表紙は茶碗です。飢餓と紙一重の貧困が主題だからです。個人が英雄になっても、アンチの対象になってもいけない。地元の実力者が外国メディアと話す時は、彼女は頭がいいので進学させないのは惜しいとか云うのですが、実際は彼女は、クラスでもそんな良い点が取れず落ち込んだりするレベルです。別に神童ではない。彼女以外の奨学金ゲット者六人を決める際は、村の実力者であるアホン、否、本書ではイマームと書かれる人が差配します。その辺は、韓石という漢字名を持つピエール・アスキも、農村部ではそういうのがないとということで、納得してる感じです。アスキはんは、チュニジア生まれで、ひょっとしたらフランス人になったアラブ人かもしれない。(フランス人というのは、民族でなく、仏革命の精神に賛同した人々とその子孫という建前)

 The Diary of Ma Yan - Wikipedia

 (6) 

支援団体"Enfants du Ningxia"は現在どうなってるのか分かりません。仏語版ウェブサイトは消えています。

f:id:stantsiya_iriya:20201206215719j:plain

英語版は最新の記事が2006年で止まっています。FBに移行したようなのですが、そっちも2013年くらいまでしか更新されていません。こういうの、ほんと無責任だと思います。どこかで活動休止や停止、解散するなら、その事実がのちのちまで残るようにしなければいけません。でないとなりすましの山賊行為を許してしまう。メール送ってみましたが、もちろんメアドも生きていませんでした。

作者のピエール・アスキは、現在もFBやツイッターで旺盛に活動してるので、もし私にアカウントがあれば、直接そっちに問い合わせてみるのですが、私はどっちも持ってないので、人に頼んでみるかなあ、どうしよっかなあ、です。もっともありそうな答えは、彼女は元気だよ、でもそっとしておいてやってほしい、かなあ。

現在、中国農村部の学校に日本からなんか送ろうとしても、地元の教育委員会をとおしてくれ、になってしまうそうで、中抜きを怖れて直接現地に送ってたのに、それが出来なくなって、教育支援NPOとかうたってる人たちも、開店休業状態だと聞いたことがあります。少数民族絡みだけの話かもしれませんが。それで云うと本書は回族地域で、漢族幹部が、計画生育さえ守れば回族の貧困もだいぶ解消されるんだよ(少数民族一人っ子政策に関して優遇されていたので、当時漢族はよくやっかんでいたし、一人っ子政策をかいくぐるため、身分証の上でだけ少数民族になる人もいた)みたく力説する場面もあります。

ほかの方が中国の貧困学童支援プログラムとして挙げていた団体は、GDP世界二位になった昨今では、ビルマにその支援の手を広げているみたいです。

[B!] 宋慶齢基金会,雲南に中国ミャンマー民生基金設立

(7) 

 2009年1月16日付のテレグラム誌。彼女のパリ留学が報じられてます。ジャージ姿の大学生は、中国の沿海部分以外の大学構内では別に珍しかないと思いますが、パリであえてこのカッコをしてるのは、天然なのか演出なのか。演出だとしたら、プロデューサーがいるのか、それとも自己演出なのか。

www.letelegramme.fr

 とりあえず辿れたのはここまで。中国のQ&Aサイトで、彼女はその後どうなったなら、分からんねえ、みたいなやりとりがあったりします。

《马燕日记》里的马燕现在什么情况? - 知乎

(8) 

その一方で、2016年、否、紙版はその前年に中国で再版された馬燕日記では、それまで出てこなかった新しい写真が表紙だったりして、誰が誰をどう支援してるんだろう、と、いぶかしく思う展開になっています。新しい写真に見えて、汗をCG加工したのかも、とも後から思いましたが…

马燕日记 (Chinese Edition)

马燕日记 (Chinese Edition)

  • 作者:马燕
  • 発売日: 2016/01/01
  • メディア: Kindle
 

 马燕日记 on Apple Books

回族(漢語を話すイスラム教徒)なので、2008年と2010年のアルジャジーラ英語版で彼女を持ち上げたりしています。フランスの動画もそうでしたが、マーイエンなのに、ピンインでは"Ma Yan"と書いてしまうため、さかんに「マ・ヤーン」「マ・ヤーン」と連呼されています。

www.youtube.com

www.youtube.com

カバー折

ピエール・アスキのメッセージ 
 少女の心の叫びは、中国で、そして世界中の他の国々で、学校に行かせてもらえないすべての子供たちの、いわば抗議行動といえよう。中国のちっぽけな村を一歩でも出れば当たり前のこととなっている、学校に通って勉強することへの憧れと、進歩することへの一種の信仰である。
そして二十一世紀になった今もなお、過酷な社会経済環境によって子供たちの未来が台なしにされていることを気づかせてくれる。

 (9) 

脱線しますが、幻冬舎の邦訳は、漢語のカナ表記が秀逸で、フランス語でろ過してるせいもあるでしょうが、清音濁音は有気音無気音にあらずルールを盲目的に信奉するような莫迦な真似をせず、例えば、F音とH音を明確に分け、人名の「花」は、「ファー」と書かず「ホァ」と書いています。素晴らしい。

また、「世」や「致」は、なまじピンインどおりに読んでしまうと(燕の"yan"とはまた別に)"shi", "zhi"と読め、また私の耳にはそう聞こえるのですが、本書では「シュー」「ジュー」とルビを振っていて、確かにそう聞こえなくもないのですが、それはもうピンインにとらわれないフランス人の耳が自由に聞き取った音としか言えないです。ウェード式でも「シュー」「ジュー」とは読まないと思う。

燕の"yan"イェン同様、絹も、ジュアンでなくジュエンとルビが振られていて、うれしくなります。

また、中共の本の邦訳はよく、「畝」という田畑の単位を、「ムー」とあちら読みそのままで出してきますが、本書は「せ」という日本語で訳しています。ヘクタールやアール、町反に換算してもいいのでしょうが、「畝」を使いつつ「ムー」と読ませず「せ」と読ませてるの初めて見ました。ここも素晴らしいです。

頁183の「舌」シャーだけはよく分かりませんでした。「シェー」なら分かるのですが。

(10) 

両親の写真を見ると、母親は、カメラの前でいちばんいい表情を出すようなセルフプロデュースが出来る人間で、父親は、弱い人間に見えます。

頁60

 彼は年に何回か、寧夏の主要都市、銀川や、内モンゴル自治区呼和浩特、または隣接する甘粛や陝西といった地方に出稼ぎに行く。畑仕事の期間の合間に工事現場で仕事を見つけるのだ。

「四百元か五百元ぐらいは稼ごうと思えば稼げるんだがね。たいていは、雇い主がちゃんと払ってくれんのさ」と彼は嘆く。

 馬燕の父は、見るからに、彼のような農民を食いものにするこの都会というジャングルに立ち向かうだけの力がなさそうだ。 

 曾祖父は乞食だったそうで、祖父が抗美援朝戦争に従軍した老兵士で、父親も解放軍あがりで、文革中の身分逆転もあったのに、まったく最貧の環境から抜け出せていないので、母方の親戚からは唾棄すべき存在としてほぼ見捨てられていて、カメラを向けると素敵な笑顔がいつでも繰り出せるような母親からするとこれは我慢出来ないはずで、絶えず一発逆転のチャンスを狙っていたのだと思います。娘の苦学日記を外国人に手渡したのもその一環。ほかの方も、母親の力技の勝利のように感想を書いていて、全く同感です。そもなんでこの二人がくっついたのか、持参金はどうしたのか、恋愛結婚だったのか、など疑問は残りますが、そこは語られません。十三歳の少女の日記で語られてたら、そこは中国じゃない。

(11) 

本書を読んでいて、ぎゅっと何かに心をつかまれそうになったのが、寄宿制の学校から、週末村へと帰り、週明けに向けて学校に出発する場面。数人単位で固まって、ひとけのない道をとぼとぼ歩きます。就学率が低いということは、学校に行かない(行けない)児童や十代が多数その辺に暮らしているということで、そういうやつらは、四六時中奴隷労働してるわけでもないので、ぶらぶらしてる時があって、年少のガキが歩いてると、目をつけてカツアゲに来るわけです。私も、黄土高原の農村で、何度も登下校の子どもたちを見ていて、さらに、こっちをちらちら見ながら村はずれをぶらぶらしてる不良少年たちも見ていたのですが、彼らのあいだに、そんな残酷な関係があったとは、想像力が貧しいのか、気づきませんでした。いちびった同士がナイフ出して刺されたとか、そういう話は知ってるのですが、子どもをカツアゲに来るとは。

貧困地帯の農村は、集落ごとに学校があるわけもないので、一ヶ所に子どもを集めて寄宿制のガッコを作り、食費と学用品は保護者負担ですので、授業はロハでも、食費等の負担が重いので、三年くらい通わせたらもうガッコに行かせない、という話です。それじゃあ、ガッコに行き続けて週末帰宅する子どもをねらってカツアゲしたって、幾らもゲットできめえ、と思うかもしれませんが、ようするにエゴというか、ルサンチマンというか、いじめですので、エンピツや消しゴムやノートをカツアゲして、ギられた子どもが再度学用品を買ってもらうよう貧しい親にねだることも出来ず苦しむのを見ていじめっこはニヨニヨする、そういう話です。学校へ払うお金をもし持っていて、それをカツアゲ出来れば更に云うこと茄子です。ひどい話。貧困地帯が皆清貧に甘んじるわけもなく、貧困な精神は劣悪な環境に宿る、一例。

(12) 

唯一の換金植物なので乱伐される「髪菜」は本書なかばくらいでやっと説明があり、黒椀米も説明があるのですが、黄米は説明がなく、粟かなあとか、考えながら読みました。蒸しパンと書いてあるのは、あちらで餅子と呼ばれる、種無しパンだと思います。カチンコチンの状態になりますけど、保存が効く。

寄宿制の小中学校の児童が、ひもじい時に自宅から持ってきて私蔵しておいたビンズを齧る、場面は、容易に目に浮かびます。実際よく見ると思います。そこまで行って、外国人お目付のいないタイミングなら。お目付のいる前で、ガイジン(老外)に食べてるところを見られた子は、あとで叱られるんだろか。

 あと、こういうところの子どもでよく聞くのは、親元から離れて三食手抜きの学食生活なので、箸でなく、スプーンとフォークでアルマイトの飯盒メシを食ってるので、箸の使い方がヘタクソになるという話と、夜、灯火がないので、電柱の下などで教科書を音読したりしてるのですが(田舎だと大学生でもやってた)それと水不足とで、汚い手で目をこするので、眼病病みが多い。

(13) 

寧夏というと、日本が出てって砂漠緑化に貢献した事業もありましたが、まさに砂上の楼閣というか、覚えてる人が覚えてるだけと思います。

中華人民共和国における環境植林事業への取り組みについて | 日本製紙グループ

不毛の大地を緑に、「日中協力の成果を全土に広めよう」| 中華人民共和国 | アジア | 各国における取り組み - JICA

確かこれの現地作業員が、ショベルを引きずって歩ってて、ガランガラン音立て乍ら帰途につくような、弛んだ態度だったので、そんなにショベル引き摺ったら、ショベルが傷むやろが、肩に担いで歩かんかえ、と日本人監督だかがゆったところ、そんな三八担いだ日本兵みたいな真似が出来るけえ、ミシミシトツゲキサエナラと返され(そこまでは返されてない)、指導の人は、現地の反日感情に触れてもうた、どないしょうと頭を抱えた、というエッセーをどこかで読みました。こういう減らず口は、ああいえば上祐、否、こう云うタイプの口から生まれてきた人種ってだけだと思うので、真剣に対応を検討する必要もないと思うのですが、現地日本人のナイーヴさが今となっては貴重なものに思えます。

とりあえず以上です。また思い出したら書きます。

 (14) 

f:id:stantsiya_iriya:20201206204005j:plain

WISH BOOKSとは、日々の生活をより知的にランクアップさせたいと考える方々の役に立つような情報を満載した、新しい本のシリーズです。  主に海外の文化やライフスタイル、語学、旅に関するテーマを積極的にとりあげてまいります。また日本の伝統文化の見直しやシニアの生き方への提言など、新たな発見にも挑戦していく所存です。皆さんがそれぞれに理想とする「知的ライフスタイル」を実現するために、ぜひWISH BOOKSをご活用ください。

見城徹やるなと思ったのですが、このシリーズもラインナップが版元公式になく、Webcat plusで検索してみると、如何にこの本がシリーズから浮いていて、無理やりねじ込んでくれてありがとうというか、本書刊行が一種の僥倖のような気がしてきます。

<WISH BOOK>

 

『コツコツ働いても年収300万好きな事だけして年収1000万 : シリコンバレーで学んだプロの仕事術』キャメル・ヤマモト 著 2003.5
『これが「美味しい!」世界のワイン』福島敦子 著 2003.6
『最高にうまくいくのは何時と何時? : 仕事、健康、人間関係 : 魔法の体内時計』マイケル・スモレンスキー, リン・ランバーグ 著 ; 大地舜 訳 2003.6
『私は勉強したい 中国少女マー・イェンの日記』本書 2003.8
『人生の午後の紅茶』出口保夫 2003.10
『ドイツ流30分の家事整理術』沖幸子 著 2003.10
『できる人は5分間で仕事が終わる』マーク・フォースター 著 ; 青木高夫 訳 2003.12
『大人のための2週間からのプチ留学』高田智子 著 2004.1
『鋭い頭を持った、世界で通用するMBA的課長術』斎藤広達 著 2004.1
『「英語オンチ」は絶対なおる! : 英語脳を鍛える20の魔法』藤沢晃治 著 2004.2
『廻り道、通り道、マキセ道 : 人生リセットプチ留学記』牧瀬里穂 著 2004.3
『「クビ!」になる人の共通点』「クビ!」になる人の共通点 キャメル・ヤマモト 著 2004.9
『風を感じて : 紀香のハワイ日記 : Norika Fujiwara takes lessons of"hula"in Hawaii』藤原紀香 著 2005.2

如何に本書が浮いてるか。以上