『アフリカの満月』読了

 前川健一を読んでみようシリーズ

アフリカの満月

アフリカの満月

 

 装幀=旅行人編集部 写真協力=田中真知 

協力者のしとを知りませんでしたので検索しました。強力なアフリカライターで、毒に強いらしく、そういう著書が図書館蔵書からぱらぱら出ました。

この人のツイッターには、小池百合子カイロ大学について、カイロ大OBで農業ジャーナリストの浅川芳裕という人のJBpressの記事の紹介もありました。

田中真知 (作家) - Wikipedia

協力者の偕成社からの近刊は図書館蔵書なしですが、凱風社の90年代の本と、旅行人からの本は図書館にあったので、そのうち読みます。

本書は、『東南アジアの三輪車』の副産物だそうで、あとがきなどによると、たまたまたった十日で三輪車を書き上げてしまい、執筆欲求がありあまっていたので、過去に私人お蔵入りで私人ボツにした、東アフリカについての原稿(第一稿から第三稿まで書いてまだ個人的にダメだと感じて封印してたとか)を取り出して、再トライ試み、その途中で「右手がおかしくなった」「右手が壊れてしまった」そうで、素直に腱鞘炎と書かないのは腱鞘炎でないからか、あるいはただたんにやっぱりそういう人なのか分かりませんが、兎に角それで生涯初のワープロ執筆に挑戦して、生涯初のMS-DOSによるフロッピー入稿に成功したのが本書だそうです。次はパソウコンだと蔵前仁一から勧められたがとてもとてもと書いてますが、ブログ開設が2003年前後なので、歴史の大勢には逆らえなかったということだと思いました。以後、コタツ仕事…ではないと思いますが、資料をまとめて作ったJTBからの本と、今年の、何故かチェコに一ヶ月滞在の本以外出してないので(あと、国会図書館でたぐれた、味の素の雑誌での仕事)ブログで承認欲求が満たされちゃったりしたのかあるいはそうでないのかと思いました。

本書は、『タイ様式』(講談社文庫)の著者紹介によると、JTB紀行文学大賞・奨励賞を受賞してるそうで、このキャリアで奨励賞もないと思いました。あるいはその屈辱から断筆したのか。

あとがきでは、虚心坦懐に、例のナイロビのバラックめし屋の話を再録してること、落としましたよ詐欺の話は絶版の処女作『東アフリカ』(グループオデッセイ出版局、1983年)に載せた話を膨らませたことを書いています。落としましたよ詐欺は習近平第二の故郷、中国甘粛省蘭州でも駅前のメインストリートでは日常茶飯でした。世界は狭い。また、向こうからぶつかってきてガラス製品落としてパリンと割って、お前がよく前見んさかい割れてしもたやないけ、どないすんにゃ、詐欺にも西北で遭遇しましたが、これと同じ詐欺がニューヨークでもよくあると他のエッセーで読んで、感心したものです。あとは睡眠薬強盗か。海外だけと思っていたら、アホな処方箋書く奴が悪いのか、横流しする奴が悪いのか、日本でも主に女性に対しての犯罪でそれがインターネットや活字で流れることも、前世紀末から急増したと思います。場所が相模原市のコンビニ駐車場とか書いてあるとげんなりした。そういうのも旅行人はまとめてるのかな。

巻頭の話「ナイロビ・リハビリロード」もとい、「ナイロビ・リバーロード」がやっぱりいちばんおもしろく、天女のようなそうでないようなソマリ人女性との思い出の話です。彼女の写真が、駐在が書いたケニア滞在記にバーンと使われていて、神保町古書店の均一台で彼女に再会するというかなりしょうむない導入。私もトルファンなどでは地球の歩き方シルクロード編を見せろ見せろ、これはハッサン、これはアジズだと、ちいさなムラが観光拠点であったばかりに、海外でフルカラーで村人が紹介されまくる事象には遭遇しました。あと、カンボジアミポリン。本書は、どうせならその駐在が撮った彼女の写真載せればいいのにと思いました。無断転載になるから、ダメか。高野秀行『恋するソマリア』(集英社文庫)は、それに対するアンサーエンタメノンフィクションにも見えます。21世紀で、紛争地域にも自己責任で、かつ旅行者にたかっている現地クラスタでないものを見ようとすると、こうだよ、みたいな。前川健一はエンタメノンフということば自体ぶつぶつ言いそう。ミラアもしくはマルンギ対カート。しぼんだおっぱい。

stantsiya-iriya.hatenablog.com

バラック飯屋のエッセーなどで、前川健一のアフリカ文学に対する造詣に驚いたのですが、この巻頭作でネタばらしがあります。同宿にナイロビ大学で学ぶタンザニアのジャーナリストがいて、彼に「アフリカ文学必読リスト」を書いてもらって、それをヒマにまかせて読んでいたです。洋書を読めるのは素晴らしいです。英語になってる本オンリーで、セネガルコートジボワールなどの仏語圏文学が出ないのは、それはそれとして了解してましたが、英語圏作家だけでもよくこんな知ってるなと、インテリ読者の憧憬を一心に集めていたであろうと思います。著者は日本人だまりの宿をナイロビでも避けていたわけですが、その効能のひとつなのかどうなのか。

しかし、私も中国で、日本人が来ない街に行くとある意味当たり前ですが、中国人しかいない旅社に泊まってばっかりでしたが、こういう出会いはありませんでした。酔った木こりだか炭焼き職人の山東大漢に頭突きされたりしてた。そういうへき地でなく、首都で、安宿に泊まると、近隣国からの滞在者が欧米や日本人バックパッカーと混在してるというのが、ナイロビの面白い点だと思いました。ウガンダ人、タンザニア人、ソマリ人がころころ泊まってる。北京で中国人出稼ぎやワケアリだけ泊まる旅社(映画「秋菊の物語」で出てくるようなところ)に潜り込む日本人はそりゃいますが、バックパッカー向けの宿とはやはり違うです。住み分けてる。ナイロビの場合、近隣国も英語圏もしくはヘタリア植民地だった関係上英語も発達する、なので、混在出来るのかもと思いました。北京の語言で、ポルトガル語圏の赤道ギニアのアフリカ黒人と、北京語というツールを介して混在するようなものか(ちがう)

料理に関して、不思議だったのは、マーガリンを使って野菜を炒める料理がひんぱんに登場する点です。ラードやバターでなく、マーガリン。欧米ではマーガリンは健康に有害だからとかなんとかで、毛嫌いする人が多いという印象なのですが、アフリカはふつうに手に入って、ふつうに炒めもの料理に使ってるんだなあと。暑い国だから、冷めてもマズくならないのかもしれない。

f:id:stantsiya_iriya:20200814085225j:plain
f:id:stantsiya_iriya:20200814085204j:plain
f:id:stantsiya_iriya:20200814085216j:plain
f:id:stantsiya_iriya:20200814085210j:plain

あとがきで、カバーや本文レイアウトにも口出ししたと後悔してますが、本書の特徴は、作者名のアルファベット表記が、"Kenichi"から"Ken-ichi"に変わった点です。上は、左から、本書、タイ様式、東南アジアの三輪車、アジア・旅の五十音。そこまで英文表記に関するこだわりをこじらせたのか。
この後JTBから出す『異国憧憬』では、自分の名前は漢字表記だけにしています。アルファベットなし。チエンチュワンジエンイーと北京語で読んでもイイヨ、ということではなかろうと。床前に看る月光。

ナイロビのくだりを読んで、そういえばバックパッカーって、ナイロビといえば女性、みたいなこと言ってたなと思い出しました。ぜんぜん、耐えてアフリカじゃない。前川健一は女の南米には行ってないわけで(ライターの仕事で、取材では行ってるのかな?)タイでも女の話はあんまし出ませんが、本書で、その手のオッサンのイギリス帰りのインテリウガンダ人のオッサンに言い寄られる話はあります。だいじな話なのでオッサンを二度言いました。

頁219、ウガンダの話は、作者には珍しく紛争に巻き込まれる話です。それまでは、ソマリアに行こうとして行けないので国境越しに見て帰ったとか、そんなん。作者の数ある著作でも、クメールとイサーンの共通項はよく出ますが、クメール・ルージュが実効支配してた、ルビー鉱山のバイリンのバの字も出ない。この後でスーダンナイル川下りの話があり、スーダンの南北対立(読んで、北部のイスラム圏支配の悪口が多いので、これは実は、南部の基督教圏を欧米が煽ってるような気がしないでもなかったです。グーグルはいち早く南スーダン認めてるし)(東チモールと同類項のあやしさを感じるインドネシアシンパなのかな、私は)も登場するのですが、一番危険なのがウガンダフレディ・マーキュリーでお馴染み、アフリカのインド人のシーク教徒がやってる寺院だけがかろうじて外国人旅行者の宿泊を許していたとか、そんな記述。で、頁219、「経済を握っていたインド人を追放してしまったために流通も商売もうまく機能していなかった」なんて、通りすがりの旅行者がそこまで言い切れるのかよ、と、ほかの旅行記なら突っ込みそうな著者がそう言い切っていて、華人を追放したビルマを旅行した時には、それが原因で経済が回ってないとは書いてなかったな、と思い出しました。ボーダン『タイからの手紙』などにビルマ組は負け組と書いてあったりするのを、作者は知らないはずないと思いますが、別の理由でビルマ経済廻っていないと思ったのでしょう。フィリピンの華人制限と、にもかかわらずアンダーグラウンドで実権を握るスペイン語の名前を持つ華人たちの世界は、読みたいのですが、作者は書かないだろうな。

以上