当初開始時間は19:00でしたが、緊急事態宣言延長により18:00に繰り上げ。トークショーの時間も短めになりました(10分程度減)
そろそろ、漢字で書いて北京語で読んでしまうとワンマァツァイダン(万瑪才旦)がチベット語由来のかな表記だとペマ・ツェテンになるロジックを知りたい気もしてきます、と書いてもいいかなと。だいたいこういうのは、アムドとラサの発音の違いと、北京と四川(及び西北)の発音の煮貝、否、違いがダブルで交錯して来るはずなのですが、具体的に紐解けません。
ユニットのチベット小説『黒狐の谷』や『ハバネロ狗を飼う』に、タシデレを漢人はザシデレと訛ってはっちょんしてけつかる、みたいな箇所がありますが、アムドだとチャヒデラだった気がしますので、挟まってる夾雑物が一枚でなく二枚、三枚あるのも関係してると思います。だいたいこの前の上映の「オールド・ドッグ」では、ニーハオだってニホー、ニホー、ni2ho4と西北方言になってるし。
キーを叩くとそれに応じて中国語をしゃべる電卓ほしいです。中華街で売ってないかな。
ヤムツォというキャラは、ラシャムジャの小説『雪を待つ』に出てくる、郷村から蒸発して大都会(ラサなど)に出奔する若い女性とかぶって見えました。それが、いまだ機械化が遅れ、女性労働力に依存する部分が多いチベットの家事労働に由来するとして、チベット語ラップ歌謡ショーの場面で、こんな初対面ではへりくだったシケたおっさんでも、女性と距離がちぢまると、オラオラづらしだして支配し出すんかいな、アホか、と思ったらトンズラ当たり前ですよね。パパ活とか思わないことです。
で、この女性の部屋、たえずコバエが飛んでる理由を知りたいです。たしかに高原も日当たりがよいと、アブみたいのがうるさく飛んでますが、室内のはコバエに見える。
この映画あたりからか、前からなのか、小説も含めてそういうルールなのか、チベット語題名を筆記体で書き出してるかなと勝手に思いました。産め文字、否、ウメ文字というのか、な。なんでだろう。人名は楷書体で、映画が始まると出てくるタイトルロールも楷書体です。宣材だけ筆記体な理由、さらには小説でも、青海民族出版などの原書表紙が楷書体で、邦訳だと、邦題タイトルのよこのチベット語表記が筆記体な理由が知りたいです。
羊になって鞭で叩かれたい草原浄化、否、情歌バルーンバルーンが一人っ子政策(漢族)、ラオゴウが不妊とせいし、で、この映画では、やもめが、人間の赤ちゃんですらなく、母親をオオカミにくいころされた子羊をカバンに入れて連れて歩いて、哺乳瓶でミルクを与えています。そうやって見ると、三作とも子孫という観点で共通点があるんだなと。
簡体字で書くと"为人民服务"ですが、簡体字前夜のエライりんだおの字だかなんだかだからなのか、それ以前の漢字です。カラオケ屋でヤムツォが店員を呼ぶとき、チベット語でなく漢語で「フーウーユエーン」と呼んでますが、その後の会話がどっちの言葉だったかは聞き取れてません。オールド・ドッグもそうですが、この映画も、漢語と英文、邦文の三つ字幕がついてくれるので、漢語は特に分かりやすいはずです。西北方言になじみがない人でも、「不」がモーになる時あるんやな、広東語みたいやな、と思ったり出来るのでは。
タルロが毛語録の一ヶ所をそのままベイ、丸暗記して朗誦する時(西北訛りで、やたら〈的〉が入ります)、お経みたいになってるのは、チベットの口承文学の系譜ガーとか云えると思います。グサルDVDがこの企画のパンフ類と一緒に売店に売られてました。よかったですね。せまい世界で角つきあわすこともない。昔、ペマ・ギャルポが日本国籍取った後の亡命政府とのやりとりとか聞いた時の気持ちが蘇るのもあまり楽しくないので。
この所長が、みんなー来てみろ、彼はなんと、漢語で毛語録をそらで言えるんだぞ、と云う時だけ漢語になります。で、その後の展開は、ファム・ファタールに騙された純朴な牧童のなれの果ての末路、としてもよいのですが、ただたんにアルコールが脳に来たんじゃないの、とも思いました。アルコール性記憶障害、健忘症。ややスピード、進行が早い気もしますが、もともとガンベイ文化は良くない風習だからか、中国でも近年酒害をさかんに映画に取り入れてるので、それでよいかと。ヤムツォは若いので、無理して医者に連れて行かず、白酒をほしがるタルロに供給してしまいますが、そこも人生の分かれ目かと。おばはんだったら渡さないと思う。🐺オオカミが羊を十頭以上(数えました)遊び半分に食い殺したのに泥酔して気づかず、牧羊の腕だけは負けないと思っていた自負が崩れてからが早い、というふうに解釈するとカッチリはまります。
チベット語の会話でも、身分証、身份证は、シェンフェンジョンと漢語が混ざります。じゅんすいチベット語保護運動家に訊くと、ちゃんとチベット語でも該当単語があると思います。字幕があるので、タルロが褒め殺しされるとき、カッコいいというのが、せりふはチベット語ですが、〈蛮英〉とか〈英俊〉という漢語字幕で表現されるので、面白いです。タルロのラジオからお経のようなチベット語の俗謡が流れる場面も、字数の関係からか、文語調の中文字幕がついていて、じっくり読みたいなあと思いました。ついていけるほどの能力はありません。
この映画は白黒なので、街の雑踏を、ザギン含めた今回上映のペマ・ツェテン監督のほかの二作よりよく描いていて、特に印象に残ったのが、ゴミ収集車。アムドの田舎町でも、県城レベルではパッカー車でゴミ収集する時代になったのか、と驚きを深くしました。新幹線が通る中国より、パッカー車がゴミ収集する中国のほうが、スバラシイです。風船映画だと、モンゴルで大問題になってる、ビニルごみを羊が食べてしまう問題を想起させる場面がありましたが、この映画時点ではそれはまだかな。2015年。123分。
家族のいない羊飼いのタルロ。ある日、役所からID(身分証明書)を作れと言われ、タルロはIDに必要な写真を撮りに町へ。髪を切るために入った床屋で女性と知り合い……。磨かれた演出と美しいモノクロ映像で、社会の変化に翻弄されて自身のアイデンティティを見失うチベット牧畜民を、寓話的でありながらも鋭く鮮烈に描く。
『タルロ』ペマツェテン監督Q&A | 第20回「東京フィルメックス」
第16回フィルメックスグランプリ。
『タルロ』Tharlo / 塔洛 /東京フィルメックス・コンペティション | 第16回東京フィルメックス
以上