『テロリストのパラソル』"Terrorist's Parasol" by Iori Fujiwara(講談社文庫)読了

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◎第41回江戸川乱歩賞受賞作

読んだのは講談社文庫の2007年2月15日25刷。初版は1998年7月。カバーデザイン 辰巳四郎 解説 関口苑生 表紙に英題が書いてあるので、とても楽ちんです。単行本は1995年9月。キンドル版を貼ろうと検索したら、現在は角川文庫みたいです。

山口文憲団塊ひとりぼっち』に出てくるので読みました。どういう文脈で出てくるのか忘れましたが、前掲書のサマリはメモっていて、それによると、藤原伊織サンはノンセクトで、全共闘ボヘミアン派を名乗っていたそうです。そんな理由で借りたのか。私もヒマですね。

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藤原伊織 - Wikipedia

著者ウィキペディアを見ると、ちゃんと東大仏文を卒業して、天下の電通に就職。いやあ、才能というのは、ある人にはあるものだと、改めて。

アル中バーテンダーしまむらは、過去を隠し二十年以上もひっそり暮らしてきたが、新宿中央公園の爆弾テロに遭遇してから生活が急転する。ヤクザの浅井、爆発で死んだ昔の恋人の娘・塔子らが次々と店を訪れた。知らぬ間に巻き込まれ犯人を捜すことになった男が見た真実とは……。史上初の乱歩賞&直木賞W受賞作。

新宿中央公園は、昔は終電逃した後、朝まで寝てて、ラジオ体操で起きたり、「兄ちゃんもう始発出てるよ」とか「風邪ひくぜ」とか声かけられたりしてた場所だったはずで、幸運なことに一度も置き引きや強盗に遭ったことがなかったのですが、どうも都庁が出来てから、中央公園に行くのにひとけのない都庁前を通るのがおっくうになり、結果、1991年に都庁が出来てから、たぶん、一度も行ったことがありません。御苑は夜リーガルには入れないので、では私はどこで夜明かししていたのでしょうという。哲学堂まで歩いてた、とウソを書いてみたくなりますが、それはウソです。

この本の主人公は、アル中と自分で言っていて、確かに連続飲酒でウイスキーばかり飲んでいて、で、私が借りた本自体、歴代の貸出者が多数ウイスキー片手に読んでたらしく、ものっそウイスキーのにおいが染みついています。こんな攻撃を受けたのは初めて。気をつけるべきしとは借りる際気をつけてください。ほんと最初本から匂ってきているとは思わなくて、それだけ迫真の描写だろうくらいに思ってました。実際ににおうとは。

頁143

 彼らと知りあったのは、この夏のことだ。日曜の夜、蒸し暑い部屋をでて西口の通りを歩いていたとき、酔っ払いがわめいているのを見た。なんだ、このプータロウどもが、汚ねえ小屋並べやがって。そう叫んでいた。私もアル中だが、そういう酔っ払いのように酔っ払うことはしない。

意志の力でどうこうなるものじゃないのに、よくそんなことが言えたなと、読んでて思いました。手の震えを、飲んで止めるところまで来てるのに。案の定、頁296で、アルコールがもう経口摂取で収まらず、つまみなしで飲んで吐き、文句を言う隣の客から店員まで殴り倒す場面が出ます。主人公は、東大除籍、学生運動やめたあとは六戦全勝のプロボクサーでした。

アル中はくさい、きたないという定説がありますが、本書はそこは忠実で、頁264で全身洗わされる場面などは正鵠を射てると思います。頁35で、初来店のヤクザに一目で見抜かれるが本人は見抜かれないと高を括ってた場面も、ありがち。このヤクザの人は、もって半年、消されるはめになるような、上部組織組長銃撃をやらかすのですが、なんか最後そこのケジメがあいまいなまま大団円で、おかしいなあと思いました。このヤクザの人は、上部組織と南米とのコカイン取引をいさめたいが「内政干渉」になるのでいえないとする場面があり(頁301)内政不干渉って、今でもネトウヨが好きなことばだよなと思いました。中韓は外国なので直接言えず、左翼マスコミは国内なので叩けるというロジックのためのことば。かんぱ。

本書はまあ、随所にうまくて、解説の関口苑生という人は、乱歩賞選考委員各氏、高橋克彦阿刀田高井沢元彦北方謙三、西木正明それぞれの評を引いて、べたぼめしてます。私も同意見だったのですが、ウィキペディア電通と知り、電通でこれをこれくらいやってのけるとなると、なんだかなあと冷めました。文庫本のプロフィールには、1㍉も電通と書いてないです。

解説 頁384

 本書が話題となったとき、一部では全共闘世代のおジンたちだけが喜んでいる、マスターベーション小説だとの評価もあったようだが、

「おじん」という言葉も消えるのが早かったです。実権を持ってる世代が聞き捨てならないと思い、いきがった若者がすぐしゅんとなって忖度した感じ。あるいは村上もとか『仁』が世に出て、ドラマ化され好評を博し、同音忌避現象が起こった。もう解説は喜んじゃって、テロについて、高橋和巳『暗殺の美学』サヴィンコフ『テロリスト群像』カミュ『正義の人びと』など、立て板に水のように知識を開陳してます。でも電通

頁216のDigable Planets "It's Good To Be Here"は検索しました。この歌を聴いてる、ひろゆきみたいなヒゲの若年帰国子女ホームレスが、元医学者ホームレスが持ち歩いてる、洋書『法医学の臨床的研究』の英文、ファレンシック・ジュリスプルーデンス "Forensic Jurisprudence" の意味が分からないと言う場面はリアルでした。信じた。頁147。

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頁287の短歌は9.11を予知してたかのようです。

<油日に火柱のごとき摩天楼天ひとつにて拠らむ術なし>

頁329、一晩飲んでないのに手が震えてない場面は、ご都合主義かもしれません。頁348、警察庁のキャリアは入庁十年後くらいから一等書記官の肩書で在外大使館に出向するケースが多いとは初めて知りました。そうだったのか。でもすべての一等書記官が察官ってわけでもないんだろうなと。あと、本書には、在日コリアン通名っぽい姓がいっこも出ません。この手の反権力をにおわせる小説にしては珍しいなと思いました。それくらい藤原伊織という人は頭がいい。

読んでて、原田芳雄みたいなキャラがいるな、君よ憤怒の河を渡れの刑事をヤクザにした感じだろうか、最後出てくる刑事の造形はすごく人間の出来た大物キャラで、全共闘世代のファンタジーなのだろうかとか、思いました。若い女性が壁一つ隔てた隣の部屋に寝てるのに、なにもしないのは、いい意味で考えると血縁関係があるかもしれないからだし、悪い意味で考えるとアル中はその辺の禁忌忌避も麻痺してるが、それ以前に勃たないと解釈出来ます。この小説は悪役がものすごいモンスターに成長し、リチャード・ウーに「ぼくのなかのモンスターがこんなにおおきくなったよ」と言うくらいで、しかも映画版のオールドボーイくらい陰湿なねちねち攻めをかましてくるのですが、人間そんなモンスターになってしかもメデジンカルテル(と同等の組織。ホセ・ムヒカかしら)婿入りとかありえないよと、ネタバレで思いました。電通。ホットドッグのような小技にごまかされへんで! 電通。以上