『ゲバルト時代 Since 1967~1973 あるヘタレ過激派活動家の青春』バジリコ版読了 "GEWALT DAYS. Since 1967~1973: Youth of A Certain Hetare(blob) Radical"

【装丁】十河兵男 【装画】大野八生 

読んだのは二刷ですが、バジリコなので、2008年当時から初刷をたいして刷らずに「たちまち重版出来!!!」戦術を採用してたかもしれません。2011年にちくま文庫になってるのですが、単行本はまだバリバリ買えるみたいです。逆に、筑摩は、文庫をもう刷らず、しかし電子版は買えるでよ戦術をとってるみたいです。

basilico - ゲバルト時代 / 中野正夫(著)

「ヘタレ」の英訳は下記知恵袋参照しました。"looser", "chicken" のどっちかを使うんだろうと思ってましたが、「負け犬」「臆病者」でない多様な表現があるということで、ほんとかどうか知りませんが、借りました。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

私は、"The Youth of A Certain"と書きたかったくらいの英語力なので、どうでもいいといえばいいです。ボーツー先生と福田和也がSPA!でやってた対談で知った本で、いつか読もうと思いつつめんどくさそうなので、そのままになっていました。今回、山口文憲から阿奈井文彦、足立倫行と読んだので、なんとか読めるかなと思って借りましたが、やはり最初は苦しかった。途中からサクッと読めましたが、足立倫行等の文章と比べればまだ正直だと呑み込んで読まないと、前半苦しいです。

stantsiya-iriya.hatenablog.com

「うわーいやだー」

【著者略歴】
中野正夫(なかの まさお)
1948年生まれ。東京・神田で育ち高校卒業まで神田で暮らす。都立城南高校卒業後6年間、『極左?』ゲバルト活動家として党派・職業・住所を転々とする。その後、理工系出版社に入社。コンピュータ、プログラミング関連、理工書の出版にたずさわる。退職後の現在は、酒の飲みすぎで身体を壊し無為徒食の身。やがて腐った肉となり腐臭を撒き散らし土となるか、焼かれて千の風になるかを待つ身である。
 なお、本書について、ご意見のある方は下記アドレスまでメールをどうぞ。

「なにがいやだー、だっ。無礼じゃないか年長者に対して」以上想定問答。

あとがきがありますが、バジリコの誰が依頼したのか、謝辞含め、書いてません。

前半は、宮崎学を引きつつ、強烈に日共と民青(のやり口)を批判してます。読んでいて、あーこの世代の左の人、今75歳前後の、かつての新左翼(非共産党)だった人が立憲民主党の主票田であったからこそ、共産党との革新合同を謳った今回の選挙結果、枝野落選や、特に辻元清美落選があったんだなと思いました。アベやめろとかのプラカード持ってる人たちからここまでソッポ向かれるとは、本当に読み違えたんですね。いい加減日共と新左翼の不和も収まってるだろうと、全然関係ないビートたけしなんかを見てかんちがいしたのでしょう。

本書を読んで、男女の話もさることながら、この時代を書いた本としては、珍しく、在日コリアン以外に、華人への言及があると、私は思いました。頁50、問題意識のある高校生がこうやって道を踏み外していくステレオタイプのような、「時事問題懇談会」なるサークルが出てきて、そこはセクト直営店でないので直接オルグはなかった(今は時代がちがう)のですが、先輩に在日華僑の陳さんという人が出てくるのが嚆矢。

頁50

(略)陳さんの家は千代田区一番町の瀟洒な邸宅で、何の職業なのかわからなかったが、世の中いろいろな経済的環境の人間がいるものだと実感したものだ。

この団体で、作者らは、「民主集中制」」とは「宮顕集中制」だとジョークを飛ばし合ったりしてます。同ページ。頁65に、おそらくはユダヤ人が建国したらパレスチナ弾圧、から言ってるんだと思いますが、下記のように書いてます。

頁65

 たとえば、帝国主義時代の戦争だけを見ても漢民族は被害者でもあったが、ウイグルチベットでは加害者だった。

へーと思いましたが、よく考えたら、執筆時の2008年は北京五輪なので、いっときそういう行動が盛り上がってた時でもありました。ただここで、アムネスティとグリンピースを同列に書いてるのは、私としては承服しかねました。

頁187に、「チョッパリの会」という衝撃的な名前の団体が登場し、現存してないのがつくづく惜しいです。いろんな意味で。まあ、「抑圧民族である日本人の歴史的役割を常に意識し、被抑圧民族であった朝鮮人・中国人・アジア人との連帯を掲げた活動」という趣旨そのままで存続出来たわけがないですが。相手が怒るかも。作者はけっこうここに同調していて、「キムヒロが韓国帰国後やったことを見ろ」と斜に構えたことも書いてますが(頁193)、仲間がこの組織を続けたからか、けっこうのちのちまでこの名前は出て、出るたびに笑いました。もっとも、「中野入管闘争」などの単語は、なんのことなのか、検索しても分かりません。下記は、華僑青年闘争委員会(華青闘)の記述。

頁189

 華青闘は六九年三月頃に結成された在日華僑青年の闘争委員会で、東京・飯田橋の後楽園裏にあった善隣学生会館、日中友好会館などの建物を巡り、自主独立路線を掲げ中国共産党と断絶した日本共産党の暴力部隊と、会館の争奪をめぐって壮絶なゲバルト合戦を戦い有名をはせていた。

 当時、善隣会館の三、四階には、毛沢東主義文化大革命支持の立場をとる在日華僑青年の「後楽寮」があり、一階の日中友好協会事務所は日共が不法占拠していた(日共が敵対後すぐに中国共産党系の「日中友好協会・正統派」が結成されたが)。華青闘の学生たちには、台湾系の親を持つものも多く、生まれた時から日本育ちの学生もいて、私が知り合った青年のほとんどは日本語が達者だった。しかし中国本土からの留学生は、寮の部屋に行ったこともあるが、実に質素で大変な生活ぶりだった。

 当時の中国共産党による文化大革命は、その実態情報も少なく、日本の岩波書店朝日新聞社社会党などの進歩的論壇は、観念的イデオロギーによって、文化大革命を無批判に賛美している状態だった。「造反有理」を旗頭に、資本主義者、修正主義者を自己批判させるという大義名分があったから、日本の論壇でも異を唱える者は「右翼」のレッテルを貼られた。まあ、日本共産党は宮顕の自主独立路線で、大批判を繰り返していたが。

この団体のハンストが、交代制の十何時間交代の、名前だけのハンストであることをその後に書いています。いかにもあちららしいと思ってしまう。頁192にはさらに「反差別」という大義名分のあやうさを見るに見かねて、「チョパーリの会」否「じょっぱりの会」否「豬足の会」と距離を置いた旨書いています。「売りが「差別」から「焼酎と気功」に変わった津村喬は、今何を思っているのだろう」*1等々。で、またの機会に書くとしている「差別追及快感」主義者や「差別狩り」主義者について、どこかで書いたのか、それは主張もさることながら、おもしろく読めるものなのか、気になるところです。

頁263に、荻窪の「ふんよう亭」という、現存する中華料理店が出ます。「アルコール度の高いフェンチュウ(マオタイ酒に似た無色のきつい蒸留酒)」という記述に、当時パイカル白乾児)でなく山西省の銘酒〈汾酒〉を日本で出す店があったのかと驚きました。亭主が満州馬賊上がりで、本場満州で料理を覚えたと書いてあるのはあれにしても、今でも食べログ等で、代替わりはすれど、荻窪に二軒ある高級中華とも違う、町中華とも違う店と書いてあるのも分かる気がします。さらに私が付け加えるなら、おそらく、中国人のレンチン中華とも違う。でもなぜかアルグオトウ〈二锅头〉「二鍋頭」の写真なんか出ていて、中国人が行く店でもないのに、なんでアルグオトウがあるんだよと思ったりしました。行ったことはないけれど、行ってみたい気はします。

頁10、社青同解放派を皮肉ったエロねたが二つ書いてあり、「射精洞解放派」はあからさまなので分かりましたが、「一点突破、全面展開」で笑えるというのは、かなりムッツリスケベだと思いました。裏ビデオビニ本もない時代とは、こういうことなのか。だいたい社青同解放派と他との区別がつきません。青ヘルでしたか。21世紀なのに、「俺、青ヘルやで」とか言ってた人がいましたが、大阪から京都に来てる人だったから、そういうことで。

何が赤ヘルで何が青ヘルで、民青が民青、中核が中核、と書いてあるのをメモってたのですが、「Z」は出ませんので、なんかうやむやです。革マル派社青同革マル派中核派内ゲバが「あった」ことだけ一行どこかに書いてありますが、それだけ。作者としても21世紀の現代まで書けないことはあるのかなあと。クロカンの名前も一行だけ出たりしますが。その意味で、内ゲバ周辺のライフヒストリーをこれで読むとして、オーラルヒストリーとして立花隆『中核対革マル』を読んでおかないと、へんに内ゲバに憧れるアホが出てもおかしくないと思いました。立花隆の同書は本書の参考文献にも入ってないのですが、ぜったい入れるべき本だと思います。

その後、マングローブとかの、駅のキオスクに置いてもらえないなどのゲンロンナントカがあった、一連の動労がどうの関連書籍に進んでもいいかもしれません。今はもうスマホがあるから、駅売店で雑誌やスポーツ新聞を買う人なんてぜんぜんいないというすごいパラダイムシフトですけれども。

本書の後半は赤軍派についてで、赤軍派はヒトによるので、その時期その時期でぜんぜん違うとしていて、「日本赤軍」と「連合赤軍」はまったく別物と力説しています。北朝鮮に行ったのと、レバノンに行ったのと、リンチ粛清あさま山荘のと、それぞれ性格もなにも異なると書いてます。「でもようするにアカでしょう?」と言い返されることは考えてないと思います。パルゲンイ。重信房子はすっごい美人だったそうで、娘のメイが下北の喫茶店にいるようなものと、例において説明してますが、それでいいのか。アンナミラーズを念頭に置いているわけでもないと思いますが。重信父が血盟団の右翼だったことはウィキペディアにも書かれてますが、仁義礼智信の筋を貫いて生きろと親に薫陶を受け、何故か右翼の親が娘の赤軍派を公認していたとまで、本書頁222で書いてます。

重信房子 - Wikipedia

頁289に火炎瓶の作り方が書いてありますが、私が韓国人から聞いたのとちがうので、まあ直球で書いたりしないんだろうと思いました。あるいは日韓で製造法が違うのかも。

過激派ではダメなのでほんものの軍隊を作ると言いながら、米軍もソ連軍も研究せず、火炎瓶やバクダンでなんとかなると思ってたのならおこちゃまとか、言いたい放題書いてますが、まあその通りで。ISやタリバンみたいなのがホンモノなのでしょう。迷惑ですが。騒乱初期の、重傷にならないよう双方気遣いながら衝突する時代を懐かしく回想してますが、その矛盾をいとおしんでる感じです。酒やめて文章書いてヨカッタデスネ。

そういう人の本なので、東大全共闘より日大全共闘におおいに肩入れしていて、そこのくだりは面白かったです。全軍行進すると、たぶん三崎町だと思うのですが、道路の地面が波打ったとか。最近も岳飛、否学費がどうとか不正がどうとかやってますが、もうこういうことはないでしょう。日大全共闘よりもっと即物的なのが三里塚の現地農民の百姓一揆だと思うのですが、それは書いてないです。神田っ子は都会っ子。

頁34、『現代の眼』という雑誌が「総会屋経営の一部左翼を装った雑誌」として出てきます。総会屋の意味から説明しなければいけないかまで考えて、とりあえずこのへんにしといたろ、と書いたっぽい。頁129には、総会屋のしとが木島力也という名前だとか、執筆者に羽仁五郎いいだもも太田竜竹中労といった左翼ミーハー受けする顔ぶれがズラリ並んでいて、必読誌だったとか書いてます。あと朝ジャーも必読誌だったとか。丸山という苗字は書いてますが、名前は書いてません。検索すれば出ます*2このページはほかにもいろいろ当時の左翼学生が読んでいた雑誌を書いていて、後年、噂の真相が出ると、創刊号だけ散逸して、あとはバックナンバーコンプリートだとか、情況がどうのこうのとか書いてます。平凡パンチがファッション、週プレがズリセン道具として出ますが、週刊マガジンのあしたのジョーは、1㍉も出ません。頁202に、よど号ハイジャック事件で田宮高麿以下10人が北朝鮮に行って、「金日成茶坊主部隊になってしまった」とは書いてます。

頁153、内ゲバの記述「寝たきりのウンウンうなる捕虜(重傷のふりをした「ポーズ」も多かった)」もよかったです。にんげんだもの。「青医連」という人たちが、随所で応急手当をする場面が出ます。捕まった時の弁護士支援体制(頁328)と、ここが、けっこうゆるやかな組織として機能していたんだなと分かる。住所氏名書いて、あとで保険証と金持って支払いに来ればいいとか、完全に性善説の世界。東京医科歯科大が、「MD」という略称で出てきて、お茶の水にあるせいか、けっこう員数の面でじゅうようだったことが分かります。隣の順天堂大は不明。

頁167に、阿佐ヶ谷のジャズ喫茶「イーグル」が出て、唐十郎緑魔子を口説いていたとありました。李麗仙。

冒頭に「学生活動家組織の変遷」「高校生組織系統図(1968年~1970年)」がありますが、細かすぎてついていけません。細野不二彦のマンガ『恋とゲバルト』巻頭にも、実名でバンバンセクト名が出てきますので、それぞれ参考にしたらよいかと。で、自分がどの辺にいて、どう移っていったかくらいは、記号など添えて分かりやすく書いてほしかったです。よく分からない。レビューを読むと、ベ平連中核派の周辺にいて、そっから赤軍派エロゲー派ならぬRG派(レザーラモンのようにアールジーと読んではいけなくて、エロゲー、否エルゲーと読むそうです。頁281)に行って、終わりの方のふたつは、どちらも抜け忍のように逃げたそうです。ブントに好意的なので、ブントかと思うと、そうではない。AKBから櫻坂、でんぱ組を経てナントカという経歴の人は21世紀にいないので、それで類推が難しいのかもしれません。中田翔は日ハムから巨人。MLというのもメーリングリストと読んではいけないそうで、難しいですね。レビューに「塩見孝也*3をボロクソに言ってるのがすごい」とありましたが、いろんな人をぼろくそに言ってるので、あまり気づきませんでした。赤軍派に関しては、その中にそのままいたら自分もリンチや粛清で死んでいただろうので、冷や汗かきながら、ぬっころされた人たちのためにもボロックソに言ってる感がありますが、レビューで森ナントカさん*4をかばうような記述を書いてる人もいて、世の中さまざまだと思いました。永田洋子については、レイプされたことにも触れつつ、やはり厳しく書いています。そこや、「強姦をしながら女性解放をわめく」活動家と書いていたりするからか、いちばん批判的なレビュー(書き方がちょっと民青っぽい気もします)は、フェミに関して「オマエモナー」と書いています。

作者は、デモでも占拠でも、機を見るに敏で、オカルト的な嗅覚で、機動隊が全面攻勢に出る直前に脱出しています。ので、作者が逃げ出さないうちは船はまだ沈まない、歌ってるうちは坑道に酸素があるということになっていたとか。その本人が何故か五島勉ノストラダムスの大予言に触れていて、同じ内容が左翼学生のあいだでは数年前から流布していたとあるのは、ほんとかどうか、へえ、でした。

「宮顕」の正式名称について、何かネットでないか見ましたが、あんましまともなのはないかったです。やっぱりこういうことは、ほどほどに。

自民党のハマコ-が国会で吠えた件は、≪公安によってスパイとさ... - Yahoo!知恵袋

巻末に参考文献があり、笠井潔*5という人は本文でも好意的に書かれているので、それで出てくるんだなと思いました。ゴチエイも三冊も出てくるのですが、関係性は書いてません。山口文憲は、フォークゲリラで見たと本文では書いていますが、参考文献には出ません。香港の本が入るとおかどちがいだったのか。

頁240に当時の週刊誌体制で「データマン」やら「アンカー」「デスク」の説明がありますが、作者がそっちに進まなかった理由は分かりません。むかしのゴールデン街がボッタばっかだった記述やら、住吉会系に93売りに行く時、またカンが働いて代理人を立て、粗悪品なので代理人がコッテリヤクザにしぼられて、終生恨まれたことは書いてます。頁259によると、坂本さんという人が「モッサン」というスナックを開いて、太田俊哉というマスターが引き継ぎ、その太田サンが池林房を開き、さらに、「○○房」はぜんぶチェーン店と書いてます。そうなんですか。

頁278

ただ麦汁の煮沸の匂いは純粋にビールの匂い、アル中の匂いは熟した柿のような甘ったるい臭い匂いと、微妙に違うのだが、皆さんにはわかるかな?

いや、もっとくさい。

親について、養子について、書いてるところは、素直に読みました。母親がいつまでいたか、読んで読み飛ばした気がして、あとから探しましたが、記述箇所見つけられず。生みの親は知らなくていいと考えているのに、公安が、その辺調べはついてるので、素直に吐けばあわせてやってもいい、と取引してくるのは、21世紀的にはアウトな気がします。この辺、ゴム持ち歩いて所持品検査で出すのハズいと思ってるほどなのに、妊娠させてしまった女性がいて、彼女は組織から中絶を迫られ、しかし彼女は強硬に組織を離脱してまで生むことを選択し、人生意気に感じたのか知りまへんが、その女性と所帯を持つため、世俗の道を歩むことにした、という問わず語りとセットな気がしました。あと、公安に提出したメモの連絡先電話番号が、ぜんぶダミーなのはいいのですが、禁酒の団体や禁煙の団体の電話番号だったそうで、私がその番号の応対ボランティアだったら、たいそう迷惑だと思いました。

f:id:stantsiya_iriya:20220111175000j:plain
f:id:stantsiya_iriya:20220111175006j:plain

f:id:stantsiya_iriya:20220111175011j:plain

以上

【後報】

この人の、女性とのやりとりは、雑魚寝でモゾモゾ手をのばして… のパターンばかりで、過半数は失敗しており、また、失敗/成功にかかわらず、そうした挙動はほかの女性活動家に女子トークとしてそっこく筒抜けとなります。挿入出来なかったのに初体験性交、道程捨てたと豪語する場面含め、拒否られるのはつらくて恥ずかしいものだなあ、なんであんなやりたかったのだろうと、ジョナサンから血を奪ったDIOなみに頭ボリボリかきながら読みました。しかしこうして「恥」をオモテに書くことで、実はヤッテいた、しゃれんならん体験を隠しているのかも、などと思い始め、やっぱこういうセクトだなんだの本を読んでると精神衛生上よくないわ、と再確認しました。

また、スケコマシのヒモ体質の友人が登場し、ゴンタという名前なのですが、コメリミサト、否コナリミサトサンの『凪のお暇』にも同名のヒモ体質キャラが登場するので、私が知らないだけで、ゴンタというのは、スケコマシの隠語なのだろうかといぶかしんでます。検索しても、そういう意味は出ないのですが、う~ん。キング☆ゴンタ。

求める人物像|新卒採用情報|小林製薬株式会社

小林製薬には、「ごんたの10か条」と呼ばれる求める人物像があります。

(略)

※「ごんた」とは関西弁で「やんちゃな」という意味です。

(同日)