①巻と③巻はブッコフで購入していたのですが、読まずにその辺に置いてました。
ジャンプスクエア2007年12~2008年7月号、スクエアセカンド2008年6月号、月刊少年ジャンプ2006年12月号『マジカル極道あざみ』月刊少年ジャンプ2007年6月号『敏感!ばくはつエスパー 一条さん』収録 装丁者未記載
②巻が入荷したらお知らせをもらう登録をブッコフにしていて、その登録は諸星大二郎『巨人譚』(光文社シグナル叢書)やながいけん『第三世界の長井』④完結(ゲッサン)なんかにもしているのですが、私は入荷連絡をスマホにもらってその場ですぐポチるような生活をしておりませんので、数日に一度開くパソウコンのメーラーで入荷メールを見てブッコフ公式を覗くと、すでにもう誰かが購入してまた在庫なしになっている、その連続でした。が、この漫画の②巻は誰にも買われていなかったので、ごく自然に買えました。少し他の巻より保存状態が悪いですが、まあ仕方ない。
ジャンプスクエア2008年8月号~2009年3月号、スクエアセカンドvol.002、WEB掲載の告知おまけまんが収録 装丁者未記載
上の表紙の、ビキニで戦うキャラは一話のみの捨てキャラだったが、そうしなくて本当によかった、このキャラが連載を救ってくれたとどこかに書いてあった気がしましたが、どこか探し出せませんでした。
ジャンプスクエア2009年3月号~6月号、スクエアセカンドvol.003、ウェブ掲載。『GOD MANGAX ゴッド マンガックス』という読切収録ですが、セカンドに載ったのかウェブ掲載なのか分かりません。装丁者未記載
各巻にカラー口絵(表裏両面)あり。読んだのはぜんぶ初版ですが、それもまたおまけまんがのジャンプフェスタ '09レポート(②巻収録)で、読者「大ファンです!単行本もぜんぶ初版で持ってます」担当編集と作者(茨木編集長かもしれない)「増刷かかってないんでぜんぶ初版です」ハモって答えるネタにされてます。
②巻の帯。今となっては、消えた漫画家となった尾玉なみえの帯。尾玉マニアが死蔵するため、②巻だけブッコフにも出回ってないのかもと思うとそれはうがった見方かも。
尾玉なみえの代表作、シリウス版『マコちゃんのリップクリーム』連載開始が2007年4月号で、この漫画も2007年年末連載開始。ふたつのマンガ、よく似てるなと、後付けで思いました。マコリプもザイアーという半ニート成人女性のボディと性格で読者をひきつけたわけですので、かおキチと呼んでいいのか知りませんが、こちらが牛野まほ(ビーフネス)という、平時はビキニ戦闘服とOLの私服の併用、学園潜入時は22歳なのに厨房の制服を着なければならない矛盾に苦悩するキャラの葛藤と恋に、読者が吸引されるミリキが多得很だったとしても、なんもおかしくないなと。
特に②巻の頁72界隈は、若い世代ばかりであろうスタッフの楽屋裏を想像して、今はもうみな15年の年輪をそこから経てるのだろうなと感慨深いです。
スタッフ CHUMS(ぱま)、K藤奈緒(一児の母)、東本一樹(第4話) 編集 小菅隼太郎 コミックス編集 富山慎也
このCHUMSという人は「CHUMS氏」と書いてるので男性のようですが、①巻頁100で、月イチでスタッフ慰安のスーパー銭湯を実施した際、サウナで股間むき出しの男性に遭遇したエピソードを伝聞でしか聞いてないので、女性なのかと思ってみたり、作者とこのアシスタント、どちらかが墨入れてて、墨おkとNGで行き先が分かれたかどちらかだと思いました。ラッパーだからタトゥーがあってもおかしくない。
尾玉なみえが②巻に寄せた数々。高橋留美子も幾多の男性作家に模倣され、模倣した方は絵柄を替えるか何かして、高橋留美子も巨匠として燦然といまだ君臨し続けてますので、尾玉なみえも、いろいろ大変かもしれませんが、ご多幸を祈念します。
Tシャツが主人公でないのに、昨夜気づきました。コアチョコは1999年設立のTシャツ屋さんのようです。ハードコアチョコレート。古いようで、センスはやっぱり若い。
左に②巻のカバー裏のあらすじを置きますが、写しません。
②巻にはジャンプフェスタのことを描いたマンガも載っていて、ガラス張りの部屋で数台のカメラで撮影されながらマンガを描く企画が詳しく描かれています。この人でなければ大石浩二というマンガ家のひとしか出来ないということで、大石という人は知らなかったので検索しました。どちらもB型。スポーツマンタイプ。
ご本人がヒゲづらで、自画像と全然似てないこともジャンプフェスタまんがで描かれてました。単行本はどれも、前のカバー折に自画像、後ろのカバー折に不鮮明な作者の写真が載っているのですが、②巻がいちばん鮮明です。ラッパーみたいな服装の仕事中の横顔。そのせいで②巻だけセコハンが払底してるのかもしれない。
それまでは武将のように面をつけた絵で描かれていた担当の人が、結婚したからか、素顔の似顔絵を載せている③巻帯。書いてあるのがどこだか忘れましたが、この人がデビュー時からの担当で、百五十回だったか何回だったか、連載開始までに無数のボツを出したそうで、さぞ凄腕の編集かと思うと一年目のペーペーで、しかし先輩社員を目の前でデブ呼ばわりするなど、いろいろ気づかいと無縁の人だったとか。しかしまあ、プロになるのに必要なのは体力と、あとB型なんだなあと改めて思いました。趣味で同人やってふつうに暮らす人生は送らない。
コミティアで、告知したのにファンが一人も来なかったエピソードも書いてあって、この人は人生のある時期まではてなダイアリーに書いていたようなので、はてなダイアリーにその写真もあったです。その日記は、なつかしい、改行をやたら繰り返して、空白を続けて、いい加減スクロールもうええやろ時点でオチを書くあのブログ芸でした。はてなを消さないのは、①巻からはてなダイアリーのURLを載せているので、なんとなくそのままにしてくれているのだなと推測しました。読者が来なかったのは、たぶん、貧乳の女子中学生が大活躍して、バストの大きい女子も、なんとなくマンガらしく頭身がデフォルメされているので、そのマンガが好きな読者が来たというと、そくネタにされて絵まで描かれるので、それで名乗らなかった、あるいは遠巻きに見ていたのだと思います。そのへんの読者に対する作者のルサンチマンが、ウェブ掲載されてからの軽井沢の話に出たのかもしれません。それとは関係なく、軽井沢なのに湖で水着ではしゃいでいて、富士五湖とまちがえてると思いました。
とまれ、このころは童貞いじりの映画やまんががいろいろあったと思いますし、童貞が風俗に行ってヤンギャルに会うので、そういう現実を反映したエロ作品が雨後の筍のように出てきた時期と一致してるかしてないかの時期だったとも思います。③巻のRを見てそう思った。
神様キャラは過去のマンガ研究の成果で、Rのもうひとりはツインテールなのでここには出さないようにも思います。右の読切は、この連載の初期設定(ゲイいじり)の残滓が感じられ、チョイスを間違えなくてヨカッタデスネと思いました。ほもおだ復活で息の根が止まったとんねるずの例もあることですし。真ん中のキャラは「スーザン」ではないように言うコマがあり、まったく別の回で、楳図かずお邸裁判を思わせるせりふも出るので、業界の話をいろいろ知るようになったのだなと思いました。③巻には、連載中のいろいろな出来事がおまけエッセーで矢継ぎ早に触れられていて、別のマンガをほめたのでブログのアクセスが400倍に増大したとあり、はてなダイアリーで検索ワード「アクセス」で検索して、そのまんがが『しゅごキャラ!』というマンガだったと分かりました。
PEACH-PITという人は、水没前の川崎ミュージアムでやったマンガ展で、丸ペンでの作画風景を動画で見せていた記憶があり、その点でも服部の人には親近感があったのかもと、時系列チェックせず思いました。
stantsiya-iriya.hatenablog.com
その報告のはてなダイアリーに担当からのメールが書いてあって、小林麻耶がかわいくて、、森泉はどうこうとのことで、15年の時に思いを馳せるに十分でした。はてなダイアリーを開設して一年足らずでアクセス数10万突破なことも分かりましたので(私は何年かかったろう)別にこの一件だけで閲覧者が増えたわけでもないと考えます。
②巻で報告してる、杉作J太郎とやった対談だけ、はてなダイアリーからたどった結果、現在は集英社公式からバニッシュしてることが分かりましたので、何を話したか知りたいです。その後、どこかに収録されてるとよいのですが。
http://jumpsq.shueisha.co.jp/contents/topic-chaos/index1_1.html
スーザンアントン子みたいなキャラの人は、越路吹雪の「ろくでなし」を歌いながら、合間にピーナツで鉄板をうちぬくだったか、なんかそんな芸があるそうで、これは昭和マンガの研究とも、ヒップホップへの傾倒とも無縁な、どこかよそから来たネタのように思います。
得意料理のチリビーンも、意外性を狙ってあえて習得したものだそうで、生活のかなりの面で「演じて」いるのだなと思いました。サングラスもレイバン。
最後の巻のカバー裏。このキャラより、執事役のほうが目からウロコでした。腸が弱い成人男性は、ロッキンオンの渋谷陽一はじめ日本中至るところにいますが、それをまんがキャラにしておもらしまでさせて、女の子にパンツ洗ってもらう発想はなかった。(男が洗ってもいいのですが、悶太やケンタウラスはたまたまその場にいなかった)渋谷陽一は確かそういう本も上梓していて(見つけられず)、公衆トイレに入ってもう待てないしかし紙がない時、パンツを使うのはシロウト、玄人は靴下を使う、なぜなら、パンツは一枚しかないが靴下はふたつだから二度目があっても安心、という話など書いていたはずです。ウォッシュレットだったりどこにでもコンビニがあったりする21世紀から見ると、隔世の感がありますが、地方ではまだそういう極限状況もあるやもしれず、大都会岡山の作者がどう考えるかも知りたいところです。
ブッコフがはさんでくれたチラシ。全巻帯がついててよかったです。同時に買った『薔薇はシュラバで生まれる』には帯がなかったので、そっちは少し残念。
①巻には新刊のチラシが挿入されていて、ひとつはワンピースやらドラゴンボールやらのアニメで、もうひとつは、ナルト43巻がトップのこれ。このマンガがTo LOVEると並んでいて、それも担当編集の仕事なのだろうかと思いました。黒ずくめのキャラはトラブルの、えっちいのはきらいですというキャラのインスパイアがある気がします。どんどん外見が変わった。インスパイアとパクリのちがいを大衆が理解してる前提で書きました。そして、パンちらが衰退するのは、撮影機材の進化で社会的な問題が広範囲に渡るようになったからだと思います。作者は、学生時代横目で見たものを思い出しながら描いている気がします。それが吉。資料雑誌だと、モデルの家庭環境に思いを馳せて、筆が止まる。それが現代の一面、人間の良心。合掌。
①巻の帯。ホーム社編集、集英社発行。このふたりのつながりは分かりません。脱童貞というわけでもないだろうし。ベタで血しぶきが表現されてる程度で、別にこの漫画はグロくないです。おろし金がグロかったら、生活出来ません。で、この巻には、アシスタントの描いた絵が二枚ほどブチぬきで紹介されてます。その路線は②巻以降継承されません。本人が書くことが多すぎて、ワクが取れなかったとしか。
①巻の帯裏。ものみな消費されてゆく。最初は、15年前でもジャンプスクエアとか読めなかったので、何も書くことがなくていいや、縮小再生産ガーとか言って締めようと思ってましたが、時間がかかって、ノーノーボーイの感想をまた書けなかったので、残念閔子騫です。スーザンとかやっぱり笑ってしまいましたが、それは反射なので、作者が、そっちにばかり拘泥しなくてよかったと思います。絵柄は往年のマンガのパロディだが、内容は新しい、に開眼してよかった。田中圭一もしりあがり寿もそうだった。偉そうに以上