『迷い家ステーション』① "MAYOIGA STATION" Vol.1 by OYAMADA IKU 小山田いく SHONEN CHAMPION COMICS(少年シャンピオンコミックス)

All of a sudden the station appeared out of the fog.

Mayoiga - Wikipedia

せっかく小諸に行ったので、何も読まないのもなんなので、ブッコフで買って読みました。¥330。「ポイント290ポイントあるけど使いますか」と言われ、「お願いします」と答えたので¥40しか払ってません。二巻以降はブッコフ在庫なし。アマゾンで出品買おうと思いましたが、二冊ごとに送料がかかって、合計すると二千円くらいになってしまうので、ちょっと思考を止めてます。キンドルアンリミテッドなら全冊タダで読めるはず。

迷い家ステーション - Wikipedia

平成四年十月十日初版 装幀者未記載 一話完結の話が七つ、いや八つ入ってます。

小山田いく - Wikipedia

すでに時代は国鉄解体、民営化してJRになっており、主人公は国鉄末期に就職し、第三セクター移行後のドサクサのまま、運転士志望がなぜかイケズでことごとく人事をとおらず、腕のいい整備士のままアラサー独身という設定です。正直、私は神奈川や中国や京都の都市部に住んでたので、第三セクター移管というのがまったくピンと来ず、「青春18きっぷで乗り継げない区間」という認識しかありませんでした。相模線も御殿場線鶴見線第三セクターじゃないし、叡山電鉄はもとから私鉄だし、逆に中国には新幹線が走ってしまうし(私がいた頃には考えもしなかったですが、朴李云々は至極納得)

作者が住んでるのは長野県ですが、新潟県の温泉町をつなぐ在来線という設定で、通学プラス温泉観光で存続してるという。なんで長野県にしなかったのかと、読んでてふしぎでした。東御のほうと佐久小諸の絡みがあって、一方的にグチれなかったのかとか、勝手に考えました。

カバー折。曽田正人が新人で、刃牙がまだ四冊しか出てません。まだへんなドクターとかも出てないのかな。合気道の人はもう出てたでしょうか。

巻末広告。クローズは六冊。小諸の図書館なら分かるのでしょうが、作者のクロニクル、順番的に、『マリオネット師』の次にあたるのかな。私はたぶんこの頃は、『GET!フジ丸』や『オレンジ』でチャンピオンを時おりめくっていたのではないかと思います。もう少し後の時代か。なんとなく『マリオネット師』は、それまで否定していた弟さんの絵柄を実は自分でも描けて、そっちによせて、手塚治虫が『ドン・ドラキュラ』の時に、ブラックジャックエピゴーネンは描きたくないと言っておいて『七色いんこ』『ミッドナイト』と二作もエピゴーネンを描いたそれと同じ路線でかつ必殺仕事人みたいのを描きますた、てな感じで、本人もアレだったのか、すごく絵が荒れてたイメージがあります。

中表紙(部分)なんか字がちょっとナナメな気がして、秋田書店の無頼ぶりが発揮されてると思ったですが、写したらそうは見えなくなりました。

この話は最初の数話とにかくめんくらってしまって、各キャラが問わず語りをするのですが、それがぜんぶ立原あゆみ調の語り口で、同じシナリオライターがテコ入れで友情参加してるのかと思ってしまいました。立原あゆみは、御存じキラキラ目でヤクザまんがを描いた日本で最初で最後の人ですが、この頃の小山田サンもキラキラ目のキャラなので、接点があったのかもしれません。

連載開始の巻ということで、背景等も荒れてなくて、ていねいに描いてあって(最後の方は夜のシーンということでベタ増殖してますが)地方で毎回描き込むのって、ほんと大変だったろうなあと思います。地元高校の漫研がアシスタントしてたわけでもないだろうし。今なら、ぜんぜん違うやりかたが出来るはず。

頁159と頁161。それでいうと、この辺りは、誰かほかの人がヘルプで来て、遊んでる気もしました。内山まさとしとか、山上たつひこ(まさかね)とか。

立原あゆみ節は後半かげをひそめて、高専ゆずりの上下関係語りなど、本人の色が出て来ると思いました。思ったのが、笠原倫が板垣プロ全面協力、アシもなにも使い放題で土下座マンガ描いて再起をはかったが、土下座の定義や見せ方で板垣笠原双方折り合いがつかず決裂し、それぞれ土下座まんが描いた話。このまんがも、マリオネット師が終わって、休養してV字回復しようとする作者を、いろんな人が支えた、そんなまんがだったのかもしれないと勝手に思いました。プレイコミックに載せるような内容とも思いますが、プレイコミックはもっと殺伐としたエロ込みの世界だったし、チャンピオンは少年誌なのにバイオリン観音鯉尽くしみたいな背中一面刺青のブチぬきがバーンと出てたので、秋田書店的にはこれでよかったのかもしれません。

東京まで遊びに行こうとして親にバレて叱られる娘の話があり、川崎の知り合いのところまで往復する話あり。新潟の話ですが、作者の長野でもあった話なのだろうと思いました。週末ごとに原宿をぶらついて(平日も学校さぼって行ってたかもしれない)スカウトに声かけられるのを待っていた厚木のキョンキョンみたいな話とは、やはり状況がちがうのだろうと。今は撮影も録画も複製もエラいことになってSNSがおそろしいので、キョンキョンみたいな真似をする子はいないと思います。あれはあの時代の幸運な例だった。

あと、神奈川だと直球で渋谷原宿に行ける点も埼玉や千葉に比べて有利だったかな。埼玉や千葉が池袋や上野や錦糸町で終わらず原宿迄足を伸ばすそのひと手間に比べて。その分秋葉原は神奈川から今一つ遠い気もしますが、そういうこともなく、新宿から総武線に乗ればいいだけ。

むかし、シャコタンブギで、箱根の手前、秦野とか伊勢原になるんでしょうか、そこからギロッポンに遊びに行って帰る人たちの話をやっていて、246なり東名で一時間。たった一時間。だが、遠い遠い一時間。というのは私はかなり腑に落ちるのですが、長野や新潟の人は腑に落ちないかもしれない。青学時代の名取裕子が、当時もうアッシー君ということばがあって、帰る際には車でいつも送ってもらっていたという話も同系列ですが、それも長野や新潟だとまた違う感傷になると思います。

以上