町田市立国際版画美術館の畦地梅太郎展を見た折り、売店で下記ヤマケイ文庫を見て、買おうか迷ったのですが、図書館で借りれるかと思ってそのまま帰って、検索したら1999年の平凡社ライブラリー版があったので借りました。
平凡社版は、表紙が違います。ヤマケイ文庫は初刊の1957年朋文堂版と同じ表紙みたいです。1986年に美術出版社から出た『山の目玉』が平凡社ライブラリーの底本だそうで、美術出版社版は、函入で、箱の絵は、なんか竹と筍です。版画じゃない感じで、山男シリーズでもない。
装幀…中垣信夫
解説…大谷一良(詩人/版画家)
主に戦後すぐの文章を集めたとのことですが、戦前の登山の話も相当数入ってるのだろうと。戦後の登山というと、私はすぐ井上靖の『氷壁』を思い出してしまいます。敗戦から復興に向かう途中の時期に、すでにしてホワイトカラーの大卒社員の中には、週末は夜行で登山に行く余暇活動、レジャーを嗜む人たちがでだしていたんだなあと、驚いてしまいます。
本書にも、引き揚げ者用の開墾宿舎に留めてもらったり、街道筋の商人宿に泊まったら、前夜は闇屋ばっかり泊まってたと聞かされる場面があります。山小屋のあるところもあり、そまびとの泊まるところも泊まることもある。支払ったお釣りをバックレる宿もありました。私が思うに、お札でもらって、返せる細かいおかねの持ち合わせがなかったんじゃいかと。開拓集落のこころづくしのうどんがしょっぱかったり、山小屋といえばライスカレーで、ところが尾頭付きの煮魚が出て来て驚く、なんて記述もありました。
こういう知識人がひっきりなしに八ヶ岳やつばくろ、かれさわに来るのだから、そりゃ地元も影響受けるですかね。吉野源三郎がどうとかとかが、長野県では盛んだったのも、登山者が来る境遇が影響した面もあると思います。小山田いくのマンガ『すくらっぷ・ぶっく』なんかも、小諸の、旧制中学の色が濃い生活がしのばれたりしました。そもそもあの漫画では、アルピニストのやってる喫茶店がたまり場になってるし。中学に行って、そんな小遣いと時間的余裕がある生活が送れると夢想しても、現実にはありえないわけで。らんちき恋愛百花騒乱も同様。
満洲の話も一個ありますが、白系ロシア人の村に行ったら、子どもが皆素足だった、というような話。
頁34、掘っ立て小屋のおかみさんが、ねえさんかぶりの手ぬぐいの下が青坊主で、近くの寺の僧侶という箇所は新鮮でした。妻帯する僧侶がいるんだから、夫帯する僧侶(尼さん)がいてもおかしくないんだなと。女性の神父や牧師もいるんでしょうか。その辺は調べたけど忘れた記憶があります。仏教の場合は、女性は一度男性に転生してからでないと解脱㍉という経典を、なんとかせんければならんというのが先にあると思います。解釈で切り抜けるのか、新教典造るか。
版画家の墨絵が見れますし、こういう文章を読むのも楽しいです。以上